聖火移りゆく 大義は今(中) 響かぬ福島 2021/07/18

2021-07-18 | 文化 思索 社会

<聖火移りゆく 大義は今> (中)響かぬ福島 
 中日新聞 朝刊 2021年7月18日
 「原発事故のマイナスイメージを変えるビッグチャンスだ」。二〇一七年、福島市の斎藤道子さん(57)は、市内のあづま球場が五輪のソフトボールと野球の会場に決まったというニュースに胸を高鳴らせた。 
 あの日から四年後の今年、ブログに書き込んだ言葉は「今、ものすごく迷っています」。大会を支えたいとボランティアに手を挙げたが、やりがいが見えなくなり、正直な気持ちを吐き出した。 
 斎藤さんは、前回の東京五輪があった一九六四年に広島県福山市で生まれた。記憶に鮮明なのは小学二年だった七二年の札幌五輪だ。テレビで見て「世界にはいろんな人がいるんだ」と興味を持ち、地球儀を抱えて寝た。大学で比較文化を学び、旅行会社に就職して世界を歩いた。 
 海外では「広島出身です」と自己紹介すると、驚かれることに戸惑った。原爆投下から半世紀近くたち、街が復興を遂げても「いまヒロシマはどうなっている?」と同情された。 
 夫の転職で九四年に福島へ転居。中学や高校の講師として地理などを教えていた二〇一一年、原発事故が起きる。教え子たちも将来、海外では自分と同じように「故郷を汚染されたかわいそうな人」と見られてしまうんじゃないか。 
 そんな心配をしていた時、「復興五輪」としての地元開催は心に響いた。スポーツのボランティア団体で事務局長も務める斎藤さん。「フクシマでは人々が普通に、笑顔で暮らしていると知ってもらう絶好の機会だ」とボランティアに志願し、仲間と何かできないか話し合った。だが、その準備では「がっかりし続けてきた」と振り返る。 
 五輪のボランティア研修会で講師を務めた時、スタッフから「アンブッシュですよ」と靴を注意された。履いていたのは、五輪スポンサーでないメーカーの靴。便乗広告になるとの指摘に驚き、五輪の商業主義を垣間見た気がした。 
 二年前には、福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」で大会後にボランティアが集う後夜祭を開こうと計画を練った。国内外のボランティアは十万人。原発事故の対応拠点だった施設が、再びサッカー場として使われていることで「福島の今を知ってもらい、発信してもらおう」と思った。 
 大会組織委員会に相談すると、「五輪を想起する名で別のイベントを開くことは認められない」「ボランティアに関する事業には資金を出さない」と突き放された。新型コロナウイルスが猛威を振るい始めると、復興五輪は「コロナに打ち勝った証し」になった。 
 「復興支援への感謝を伝えたい」とボランティアに手を挙げた知人らは、感染リスクや開催への疑問から次々と辞退していった。自身は「やり抜く」と決めたが、「福島も無観客」のニュースには「福島でやる意味がほとんどない」と力が抜けた。 
 十五日、あづま球場でのボランティア研修会に出席した。「何をやるんですかね」と斎藤さん。並木道には、観客を迎えることがない五輪の旗が揺れていた。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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〈来栖の独白〉
>復興五輪は「コロナに打ち勝った証し」
 「きれいごと」で利用し、過ぎさせようとするのが、政治。
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聖火移りゆく 大義は今(上) 揺れる広島 2021/07/17


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