弁護人安田好弘さんの講演(2006/6/19)から。
「最高裁判決と弁護人バッシング報道」 |
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〔5〕 | |||||||||||||||
被告人を守るシステムの崩壊 元の裁判の話に戻るんですけれども、3月14日、私が欠席した日に、裁判所が私に出頭命令と 在廷命令を出してきたんですね。私は裁判所から着席命令とか退廷命令を出されたことはあった けれども、それはあくまでも法廷の中でした。法廷の主催者は、確かに裁判所ですから、法廷の 秩序維持に関する法律を根拠に、彼らは在廷者に命令を出す。こんな裁判はやってられないよと 退廷しようとすると在廷命令を出す。それでも退廷しようとすると今度は退廷命令を出すんです (笑)。しかし、今回は法廷はまだ開いていない。私は私の事務所にいるにもかかわらず命令を 出してくる。法廷に出てもいないのに在廷命令を出してくるというふざけた話だったんです。 実は、これは法律が新しく変わったことによるんですね。昨年の11月から新刑事訴訟法が施行 されました。刑訴法の大「改正」です。裁判員制度を新しく導入することになったから、それに基い て刑訴法を抜本的に「改正」する必要があるというんです。新刑事訴訟法といっていいほど法律 を変えてしまった。その変えた主体は、司法改革推進本部といいました、法務省ではなく内閣だ ったわけです。新しい法律の中に、弁護人が法廷や裁判所との事前打ち合わせに出てこないお それがあるときは出頭命令を出すことができる、途中で帰ろうとするなら在廷在席命令を出すこ とができると。命令を出して従わない場合には科料に処すことができる。なおかつ、その弁護士 に対して、その所属する弁護士会にしかるべき措置を請求しなければならないという規定を設け たのです。いままで、対等であった弁護人と裁判所は、この規定の新設によって、弁護人は裁判 所に従属する地位におとしめられたのです。もっとも、この程度ならそれほど致命的なことでは ありません。しかし、これに加えて、裁判所は、弁護人が出廷しないおそれがあるときには、別に 弁護人を選任できるという規定があるんです。さらに、出廷しても退廷してしまうおそれがある場 合には、つまり勝手に帰ってしまうおそれがあるときにも、別に弁護人を選ぶことができる。これ は法廷だけではなく、事前の打ち合わせ、公判前整理手続においても同じです。別の弁護人と いうのは国選弁護人で、当然、裁判所の意向に従う弁護人ということになります。つまり私ども私 選弁護人が、裁判所の一方的な期日指定に従おうとしないものなら、出頭しないおそれがあると して、違う弁護人が選任されてしまい、その弁護人の下で裁判が行われてしまうのです。 たとえば今回のケースでもそうですが、裁判所は、旧弁護人が、やっぱりもういっぺん弁論につ いて見直したいから時間をくれと言っても、すでに上告趣意書に対する答弁書が出ているから、 「そのとおりです」と言えばいいのであって、時間をかけて弁論を準備する必要はないと言うわけ です。裁判所は、その程度にしか弁護の必要性を認めていないのです。ですから、国選弁護人 が今日選ばれたとしても、翌日、いくらでも、裁判をやっていけるわけです。つまり実質的に弁護 人の存在しない裁判がすでに用意されてしまっているんです。これが実は被告人・弁護人にとっ て致命的な制度なんです。弁護人が被告人の権利の擁護をめぐって裁判所と対立し、その権利 を何としてでも守ろうとする姿勢を示したとたんに、裁判所の言うことを聞く弁護人に変えられてし まうシステムを作り上げられてしまったのです。 これについてどうして弁護士や弁護士会がまともに反対しなかったか。私たちの力はそれほど までに弱くなってしまいました。国民に裁判員として義務を負わせて裁判所に張りつきにするんだ から、今回のように弁護人が裁判所に出てこないという形で欠席されたのでは国民に申しわけな い。そういう義務を国民に負ってもらうんだから弁護士が欠席するのは絶対認めない、と言うわ けです。国民の側から見ると、そうかもしれないと思うかもしれません。しかし、冒頭に述べました 被告人の十分な弁護を受ける権利、十分に弁護を準備する時間が与えられなければならないと いう原則はどこに行ってしまったのでしょうか。たとえば今回のように、わずか2週間しかなく、しか も本人は事実は違うと言っている、証拠を見直さなければいけないというときに、2週間で準備で きるはずがありません。それでも、裁判所は弁論を強行し、結審し、判決を出そうというのです。 こういうときに、私たちは、準備なしに裁判所に出かけていって、まともな弁護もできないまま裁 判を結審せざるをえないのでしょうか。私たちは、弁論期日の延期を求めましたが、裁判所は即 座にこれを拒否しました。しかし、14日ではとても準備ができませんし、すでに他の変更できない 重要な仕事も入っています。それで、14日は欠席せざるを得ないと判断したのですが、そのこと について、事前に欠席届けを出すことなく、前日の13日の午後になるのを待って欠席届を出しま した。それは、前から出しておけば、出ないおそれがあるということで違う弁護人を選ばれるおそ れがあったからです。ですから、今度は、翌月の18日だと一方的に指定してきたときに、再度、 異議を言おうかと思ったのですが、出ていかざるをえないと決断したわけです。もしそうすれば、 別の弁護人が選ばれることになって、結局、被告人の弁護を受ける機会が実質的に奪われてし まうからです。このことからも、分かっていただけるように、私たちは、被告人の弁護を受ける権 利を裁判所に人質としてすでにとられてしまったのです。この新法によって、闘えば、被告人の 権利が侵害されるという、ジレンマに私たちは突き落とされてしまったのです。 裁判の迅速化、あるいは裁判員制度と言われながらも、実は根底のところで、刑事司法は変え られてしまったんです。弁護人が被告人の権利を守ろうとしても守れないシステムがすでに出来 てしまったんです。これが今の刑事司法です。 そのあたりがなかなか皆さんにわかっていただけない。むしろ裁判員制度の導入によって良く なるんじゃないかという期待を持っている人が多い。弁護士の中でも相当のものです。しかし私 たちはシステムが健全に動いているのかどうか、システムがほんとうに予定されたとおりの力や 能力を持っているかどうかをやっぱり検証しなければならない。その検証の節目は何か。こういう 事態、つまり、世の中全体が「殺せ、殺せ」と言っているときに、ほんとうに被告人の権利を守る システムがシステムとして機能しているかどうかという問題だと思うんです。実は今の裁判制度 の中にはそのようなものは微塵もなくなっているのです。 私は、少なくとも明日の判決は、捜査段階から始まって7年かけて検察が作りあげてきて、裁判 所がそれに一気に乗り、全部虚構の上に作り上げられている、裁判と名のつくリンチだと思いま す。誰も、真実を明かそうとしない。誰も被告人をして死者に本当に謝罪させ贖罪の道を歩ませよ うともしない。人を裁くことが、そして死者が、徹底して軽んじられている。みんな不真面目という ほかありません。明日は、司法がまたまたメルトダウンを起こしていく日だと思います。 明日の判決を控えて、本村さんはようやく自分の人生がリセットできるというわけです。しかし、 事実がねつ造された下で、被告人が今まで事実と向き合ってこなかった下で、そして、今までほ んとうに反省し謝罪し贖罪をしようとしてこなかった下で、ほんとうに人生のリセットができるんだ ろうかと私は思うんです。 私は昔から、理性的という言葉は嫌いで、特に丸山真男さんなどは嫌いだったです。私たちは 理性ではなく、感性の中で生きて行くんだという、あほくさいスローガンに私も汚染されました。秩 序は破壊するためにある、破壊すること自体の中にやっぱり真理があるんだというように思って いたんです。そういう私が、今では、理性を取り戻せと言わざるをえないようになっています(笑)。 冷静になろうということをみんなに呼びかけざるをえなくなってしまっています。司法なんていうの は国家の暴力装置以外の何ものでもないんだからあんなものはなくてもいいんだと言っていた私 が、いやあ、司法は大切だ(笑)、というようなことを言い出しました。佐藤優さんに、お前みたいな 教条主義、あるいは法治主義みたいな奴はいないと言われたんですけど、まさにそうなってしま いました。やっぱり理性を取り戻せと、ほんとうにシステムをシステムとして立ち直らせる以外ない んじゃないか、可能性がないにしてもあるにしてもやらざるをえないと、明日の判決を前にして思 っています。(終わり) |
検察は「鬼畜とは言え、実際のところ、未成年に死刑はまずいわなぁ」
弁護士は「この鬼畜のために事実認定なんて、やってられない。 死刑さえ逃れれば、履歴に傷は付かない」
裁判官は「検察も本気で死刑を望んでいないな。 弁護士はやる気無い。 じゃあ、無期でシャンシャンだ」
各々がこんな事を考えながら、ヘタレながら進められたんじゃないのか、という私の疑惑は、彼らに失礼でしょうかね?
私が思想信条の異なる安田さんのファンになってしまったのは、麻原裁判で「基地外はさっさと吊るせ」の世論をバックに、裁判を一日も早く終わらせようとする裁判官に対し、同氏が「事件の大きさに浮き足立つな。 平常心を取り戻せ。 裁判所の威厳を示せ」と厳しく叱責した、というエピソードを知ってからです。
差し戻し審の裁判官がヘタレでないことを祈ります。
>予定調和的裁判だった
>差し戻し審の裁判官がヘタレでないことを祈ります。
まったく同感です。とりわけ、差し戻し審の判決を書くのは、裁判官生命を賭けるほどの一大決心を要すると思うのです。来週また公判です。見守りたいと思います。
私は、敵に対しては、どんな小些細なことでも、一切服従はないというスタンスで自分を守ってきました。
相手は権力を振りかざしてきますが、小さな一つの権利を守ることが、大きな防波堤になるのです。
それが出来なければ、生きて死んだ人生しかないと思えるからです。