神戸連続児童殺傷事件20年 <少年と罪 「A」、20年> 第2部(6)拒絶 (中日新聞 2017/7/1)終わり

2017-07-01 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

<少年と罪>第2部 「A」、20年(6)拒絶 
中日新聞 2017/7/1 朝刊
   自身に負けた敗残者
 犯行声明文から漂う強烈な自己顕示欲に、十代の影を感じとった。「犯人は大人であってほしい」。祈るような気持ちは、すぐに裏切られた。作家あさのあつこ(62)は、神戸連続児童殺傷事件で14歳の「少年A」が逮捕されたと知って、うろたえた。「怖かった。冷静でいられなかった」
 岡山県の自宅で十代の息子2人を育てていた。次男はAと同学年。母親仲間で容疑者逮捕を「良かった」と話す人はいない。「みんな、事件と自分を切り離して考えられなかった」
 作家としてではなく、母親として「息子たちは大丈夫」という証拠を見つけたくて、事件の記事をスクラップした。だが、どれだけ調べても、Aの家庭と何が違うのか、分からない。安心は得られなかった。
 こうした不安は日本中の親に共通していた。教育評論家の尾木直樹(中略)
 あさのも「異常な人間の異常な犯行」とふたをすることは、大人の勝手な防衛策だと気付いた。「Aは社会が生み出した。自分たちが創造したものを社会は見ようとしなかった」。Aの「世界を壊したい」「弱い者を傷つけたい」という衝動は、十代には「普通」のこと。「ものすごく、しんどい年代。大人は自分が十代だった頃を忘れ、批判だけする。腹立たしかった」
 事件前年の1996年、大作「バッテリー」シリーズ第1作を世に送り出していた。(中略)
 神戸事件や、その後の類似事件のたびに、一律に「心の闇」と語られるのは「子どもは純真」との誤った先入観があるから。「前提が違う。そもそも十代は、いじましく残虐で、闇を持つ。さわやかな青春物語を書いたつもりはない。自分自身と格闘する奇蹟を読んでほしかった」。大人にも、子どもにも。
 物語が全6巻で完結した2005年、Aは医療少年院を退院した。あさのは、いまも一定の若者がAへの共感を語ることを「世界を変えるには違う方法があると、大人が示せなかったから」と受け止める。
 母親として、十代の物語を書いた作家として、どう事件と向き合えばいいのか。20年経ったいまも答えは出ない。ただ言えることはある。(中略)
 「Aは、内なる衝動との闘いに負けた敗残者にすぎない。ヒーローなんかじゃ、ない」(敬称略) =終わり

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し。なお、記事中、漢数字のところ、算用数字とした。(=来栖)
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神戸連続児童殺傷事件20年 <少年と罪 「A」、20年> 第2部(5)傷痕 (中日新聞 2017/6/30)


 神戸連続児童殺傷事件 3.5.1 神戸新聞社宛ての手紙

神戸新聞社へ
この前ボクが出ている時にたまたま、テレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも、謎かけでも当て字でもない。嘘偽りないボクの本名である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない
そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」
その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。
しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性(さが)としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
最後に一言
この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
———— ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている ————

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