控 訴 趣 意 書 (控)
名古屋拘置所在所 被告人 勝 田 清 孝
私は強盗殺人、殺人及び強盗致傷等被告事件の控訴の趣意を申します。
このたび死刑を宣告されました私は、逮捕された直後に宿悪の一切を自ら告白してきたといえども、犯した罪を思うと恐れ多くてとても趣意書の提出など許されない気がします。
しかし捕まりたくない一心で次々と人命を奪い続けた私ですが、被害者や遺族への謝罪に心から目覚めると共に、少しでも生き延びたいと野心を持っていた卑しい自分を突き放しながら極刑で裁かれて至当な犯罪だと自覚し、すべての罪を認めてきたのです。
そしてまた自分の昔を思い起こし、無実の罪を着せられて日陰を生きてこられた人達の苦衷を察すると何としても嫌疑を晴らしてやらねば済まないと、遅まきながらそんな気持にもかられていたのです。
万死に値する罪であり、詳細を極めた立証を果たすことが被害者に対するせめてもの罪滅ぼしだと肝に銘じ、犯した罪を贖うべく全身全霊を以って懺悔に徹してきました。そして黙秘権の行使はもとより今の自分には取り繕った嘘や言い逃れは断じて許されないのだとの初心を固持し、深夜・早朝の現場引き当ても自ら申告して悪事を裏付けてきたのです。罪を悔悟する者の振舞いとしては至極当然のことだと思っていたのですが、私のそうしたひたむきな態度を見る取調べ官の山崎刑事は
「勝田、むごたらしい殺人事件ばっかり扱う捜査一課でなぁ、わしは三十一年間この道一筋に生きてきたんじゃ。だがなぁ、永年いろんな被疑者を取調べてきたが、自分から何もかも喋るお前みたいな奴は、わしゃ初めてじゃ」
と話され、ある時は
「被疑者をつかまえてお前なんて言っとっちゃぁいかんがなぁ、わしはお前に何一つ罪の追及はしていないんだぞ。お前が全部自分から喋ったことなんだ。もしなぁ、わしの証言が必要ならばいつでも言って来い。お前から要請があれば、わしはいつでも法廷に立って証言してやる。本当のことを証言するだけだから、何も遠慮なんかいらん。証言するにちっともやぶさかやない・・・」
とまで言ってくれたのです。この他にも、山崎刑事に限らず告白して本当に良かったと思うような温かい言葉は数多くかけて頂きました。
しかし重罪を犯した私には、よしんば事実の証言が得られるとしても、警察官の言葉に依存することは被害者への詫びをなおざりに罪科を逃れるべく卑劣な手段を講ずる気がしてならなかったのです。
つまり、公正な裁判を受けたい気持と生命の至尊というものを痛感していたとはいえ、極刑を覚悟して率先した告白でありながら一度は警察官の厚意にすがろうと考えたそんな自分が、とても浅ましく思えたのです。
ですから弁護人とも相談したところ
「裁判所の判断に身を委ねる立場にあっても、犯した罪に限らずできるだけ正確な真相・経緯を上申することは決して自分を庇護するためではなく、泉下の人となった被害者を冒涜するものでもない・・・」
と諭され、三思の末にやっと山崎刑事を証人申請する気持になったのでした。
自分の犯罪をすべて告白すればまず間違いなく死刑になると判っていたし、極刑を意識しての告白は、正直、筆舌では表現できないほど恐ろしいものでした。しかし、真人間になって純粋な気持ちで被害者に詫び、冥福を祈り、遺族の方々にも一日も早く真相をお知らせしてお詫びしなくてはとの一念で、告白したものだったのです。言えば死刑になると判っている犯罪事実は、少しでも自分を庇護しようとの意図があれば絶対に告白できるものではありません。すべての告白は、自責の念から贖罪精神に目覚めて己を鼓舞した結果だったのです。ですから犯した重罪を自ら裏付けるべく真剣に思い出しました。そして、取調べ官から崇高な考え方だと言われたことを誇りに思い、何もかも正直に供述してきたのです。
こうした私の真の姿を裁判官に知って頂き、公正な裁きが受けられることを切願して申請したものでした。が、残念なことに申請は却下されてしまったのです。これも大罪を犯した者が被る業報なのかも知れないとわきまえ、以後弁護人の勧めも断って自省の念を深めて来たのです。
かくして自分にとって不利な物的証拠などを懸命に探索しながら罪を立証してきた私の姿勢は、女性の殺めや兵庫労金及び松坂屋事件を検分された小久保検事にも理解いただけたのでした。
「スーパーを襲った浜松や京都の事件と、神戸や名古屋の猟銃を使った事件とは手口も似ているし、もし君が喋らなかったとしても何れは警察官から追及されていただろうと思うが、五人の女性殺しなんか君が喋らなけりゃ絶対に判りっこねぇんだよ。なぜそんな古い昔の事件まで話す気になったんだい」
そして
「神戸事件なんかは、君が尻もちつくほど激しく抵抗されたんだろ。銃身も掴まれているんだし、君が、銃身を引っ張られたから弾が出たんだ、といってもそれで通るんだよ。松坂屋事件にしてもそうだ。意識して引き金を引いたなんて、君さえ言わなけりゃ判らないことなんだよ・・・」
とも言われました。
確かに検事の言うとおり「引っ張られた拍子に弾が出たんです」と言っても、その嘘は通用したかも知れません。いえ、検事がそう言うのですから、間違いなく通用したでしょう。
でも私には、逮捕された直後にすべてを告白して初めて人間らしい気持になっていたので、嘘は言えなかったのです。この穢れのない気持をいつまでも大事にしようと強く自分に言い聞かせていたのです。
検事に迎合したのは、要するに各事件の所轄署へ身柄を移送されたくない気持が強く存念していたためで、深い悔恨に囚われていながらも気に入られようといった、さもしい魂胆を抱いた結果だった訳なのです。しかしながら、事実を曲げた調書のまま刑に服することが果たして被害者に詫びる素直な姿勢だといえるのかと、真人間になろうと決心した初心も貫けないで追従した自分が、後になってとても情けなく思えたのです。
やはり事実は事実として誤りを正し、公正な裁きは事実のみを以って臨むべきだと気づいたのです。真実のみしか語ることを許されない私には、事実に反した内容の調書のままで今後の裁判が進められるのだと思うだけで、とても耐えられなかったのです。それで
「実は、こういう訳で迎合したのです」と、初公判までに検事に具申したとおりのことを法廷で発言するつもりだったところが、満廷の異様な雰囲気にすっかり呑まれてしまい、自分が何を言っているのかまったく話の辻褄が判らなくなったばかりか、裁判長に発言を制されるといった自ら墓穴を掘る格好になってしまったのです。
兵庫労金や松坂屋事件のように、自分にとって真相が極めて不利であっても真実は真実、意識して引き金を引いたものであれば「引いたのです」と、ありのまま正直に申し上げてきた私です。
だが一審では、
「撃鉄を起こし引き金に人差し指を掛けたままの状態で右拳銃でクッションを払い除ければ、指の僅かの力が引き金に作用して銃弾が発射され、同人が死亡するに至るかも知れないことを認識しながら・・・」と、「認識していた」という断を下されていますが、わずかな時間の推移の中での一連動作で、そのような意識を抱くことは到底不可能なことだったのです。私の「クッションを払い除けようとして、あっと思った時は、もう遅かったのです。『ボーン』という大きな音と共に、弾はすでに出てしまっていたのです」とお話したことが紛れもない事実なのです。
クッションを払い除ける際に殺意があって引き金を引いたものであれば、兵庫労金や松坂屋事件のように私は素直に認めます。絶対に迎合するな、と検事に言われていながら迎合したのですから、その責任はやはり私にありましたので、とにかく迎合した経緯を検事に具申してから初公判に出廷した訳なのです。
本当に罪深いことをした許されない私ですが、逮捕された直後には良心の呵責に苦しみはじめ、永年私の中にわだかまった悪という鱗を一つずつ自分の手で取り除きながら、贖罪が責務と自覚して一切を告白したのです。よって、
一、確定裁判前の中村博子さんをはじめ他の女性の殺めはもとより、兵庫労金及び松坂屋事件はすべて問罪されて告白したものではなく、
二、確定裁判後の養老事件(神山事件)も前述のとおり検事に迎合したのであって、殺意はなく、
はばかりながら以上の二点は、法の適用の誤り及び事実誤認でありますので、右控訴の理由を提出致します。
昭和六二年一月一日
勝 田 清 孝