光市事件弁護人【更新意見陳述】 〔第1(全)〕 1.更新意見の概要 2.上告審判決批判

2007-08-03 | 光市母子殺害事件

(『2007 年報・死刑廃止』特集2 “光市裁判 弁護人の主張”)

 光市事件弁護人更新意見陳述
 光市裁判弁護団
 件名 平成18年(う)第161号
 被告人  ○ ○ ○ ○
更 新 意 見 書
 平成19年5月24日
 広島高等裁判所 第1刑事部 殿

 (主任)弁護人  安 田 好 弘
       同   本 田 兆 司
       同   足 立 修 一
       同   井 上 明 彦
       同   岩 井   信
       同   今 枝   仁
       同   大河内 秀 明
       同   岡 田 基 志
       同   河 井  秀
       同   北潟谷   仁
       同   小 林   修
       同   新 川 登茂宣
       同   新 谷   桂
       同   田 上   剛
       同   中 道 武 美
       同   舟 木 友比古
       同   松 井    武
       同   村 上 満 広
       同   山 崎 吉 男
       同   山 田 延 広
       同   湯 山 孝 弘
 
目 次 
 第1 はじめに・・・・破棄差戻審の審理開始にあたって
 1 更新意見の概要
  (1)本件事件は、極めて不幸にして悲惨な事件である。
  (2)弁護人が、当公判廷で明らかにしようとしていることは、以下の4項目である。
 2 上告審判決批判
  (1)被告人の弁護を受ける権利の侵害について
  (2)永山判決の死刑選択基準の適用の逸脱と法令解釈の誤り
  (3)小括

 第2 1審・旧控訴審・上告審判決の事実誤認と事案の真相
  1 1審及び旧控訴審・上告審判決の事実誤認
  (1)本件犯行に至る経緯(自宅を出てから被害者に抱きつくまで)
  (2)被告人が被害者に抱きつき死亡を確認するまで
 (3)被害者死亡確認後から被害児を死亡させるに至るまでの経緯
  (4)被害児を死亡させた後の行動(被害児を死亡させた後、被害者を姦淫して被害者宅を出るまで)
  (5)何故、彼らは誤りを犯したのか
 2 事案の真相
 (1)はじめに
 (2)本件事件は、およそ性暴力の事件ではない。
 (3)被告人は、激しい精神的な緊張状態の中にあった。
 (4)そして、被告人は、被害者と出会った。
 (5)それで、被告人は、一旦、被害者宅を出ようとした。
 (6)被告人は、被害者と被害児に、亡くした母親と2歳年下の弟を見た。
 (7)被告人は被害者を死亡させ、自分の母親を守った。
 (8)しかし、母親は死亡していた。そして、被害児の首に巻いた紐は泣き悲しむ弟への償いのリボンだった。
 (9)被害者に対する姦淫は、母親の復活への儀式であった。
 (10)被告人は自分の犯したことを十分に理解できていなかった。
 (11)結論

 第3 情状
  1 精神発達の未成熟
  (1)事実関係における精神発達の未成熟
  (2)情状関係における精神発達の未成熟
  2 被告人のこれからの道のり・・・贖罪と償いの人生を生きる
 (1)第1審、旧控訴審、上告審段階の被告人
  (2)被告人が目標とする先輩の存在 

第4 結語

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第1 はじめに・・・破棄差戻審の審理開始にあたって

1 更新意見の概要
(1)本件事件は、極めて不幸にして悲惨な事件である。
  しかし、だからといって、事件の解明がないがしろにされてはならない。事実は一つ一つ厳格に究明され、真相がすべて明らかにされ、そして、その刑責は正しく評価されなければならない。
  とりわけ、本件事件は典型的な少年事件である。少年はその能力の未発達から、自分の行為を正確に認識し理解することはもとより、これを表現し説明することも困難である。他人の誤解、とりわけ捜査官の誤解や決めつけに反論し、その誤りを正す力を持ち合わせていない。従って、少年事件にあっては、被告人の供述だけではなく、専門家の援助を得て、事実の解明と理解に努めなければ、大きな過ちを犯すことになる。
  本件事件では、法医鑑定、犯罪心理鑑定、精神鑑定が事件解明の鍵となる。法医鑑定は、遺体の状況から被害者にどのような暴行が加えられたかを客観的に明らかにするものであり、犯罪心理鑑定は、被告人の心理状態を分析して、被告人がどうして本件行為を行ったかを解明するものである。さらに、精神鑑定は被告人の精神発達状態すなわち精神年齢を明らかにして、被告人に対する非難可能性、すなわち、成人と同等に非難することが可能であるかどうかを明らかにするものである。
  弁護人は、これまでに、2つの法医鑑定と犯罪心理鑑定、精神鑑定の各鑑定を依頼し、その結論を得た。その結果、1審判決及び旧控訴審判決はもとより上告審判決も、事実の認定を誤っており、事件に対する評価はもとより、量刑にあっても誤りを犯していることが明らかとなった。
  弁護人らは、当公判廷においてそれらの誤りを正すとともに、被告人が反省をし罪を償うために今後どのように生きていこうとしているのかを明らかにしたいと考えている。
  また、裁判所に対しては、本件事件の事実関係を誤りなく認識するだけでなく、本件犯行時の被告人の精神状態や被告人の人格についても正しく理解して、未だ若年である被告人に対し、今後生きるべき指針を指し示す判決を求めるものである。
(2)弁護人が、当公判廷で明らかにしようとしていることは、以下の4項目である。
  以下に、その概略を述べ、詳細は、さらに項を別にして述べることにする。
ア その第1は、本件事件が、検察官が主張し1審判決が認定するような強姦殺人という性暴力事件ではなく、被告人の失った母に対する人恋しさに起因するいわゆる母子一体ないし母胎回帰の事件であるということである。このことは、B関西学院大学教授の精神鑑定とC日本福祉大学教授の犯罪心理鑑定によって解明されたことである。
  しかるに、1審判決及び旧控訴審判決は、被告人は、強姦をしようとして被害者宅に上がり込み、隙を見て被害者に背後から抱きつき、抵抗されるや、殺害してでも強姦しようと考え、被害者に馬乗りになって、まず両親指で被害者の喉仏付近を力一杯押さえつけ、さらに両手で全体重をかけて首を絞めつけて絞殺したうえ、強姦したとして、被害者に対する強姦致死罪及び殺人罪が成立すると認定する。
  しかし、1審判決・旧控訴審判決及び上告審判決は、事実を誤認したものであって明らかに誤りである。被告人は、強姦目的のために被害者宅に上がり込んだのではないし、被害者に襲いかかったのでもない。被告人は、人恋しさから亡くした母親に甘える思いで被害者に背後からそっと抱きついたのであって、そもそも強姦の意思はまったくなかったのである。ところが、およそ予想に反して、被害者に大声を上げられて騒がれたため、これを制止しようとして背後からスリーパーホールドの姿勢で被害者を締めつけて、同人を一旦気絶させ、さらに気絶から醒めた被害者に反撃されて大声を上げられたため、これを制止するために被害者の口を封じようとして誤って首を押さえ続けたことにより、同人を窒息死させてしまったものであって、被告人には被害者を殺害する意思はまったく存在しない。つまり、被告人は、1審判決及び旧控訴審判決が認定するような殺害行為、すなわち、両親指で被害者の喉仏付近を力一杯押さえつけ、さらに両手で全体重をかけて首を絞めつけるという殺害行為を、一切、行っていないのである。被告人が行ったのは前述のとおり制止行為にとどまり、誤って被害者を死に至らしめたものである。このことは、D東京都監察医務院元院長及びE日本医科大学院教授の法医鑑定によって明らかとなっている事実である。
  また、姦淫についても、もともと被告人は精神的に幼く、女性と対等な関係で性的な関係を切り結んだり、力ずくで女性を姦淫したりすることができるほど精神的に成長していなかったのである。
 被告人は、被害者を死亡させた後、引き続いて姦淫を行ったのではなく、被害児を死亡させた後、死亡していてまったく反応のない被害者を見て、初めて姦淫意思を生じて姦淫を行ったのである。しかるに、1審判決並びに旧控訴審判決及び上告審判決は、強姦の目的の下に被害者に襲いかかって同人を殺害し、それに引き続いて同人を強姦したと認定する。しかし、これは後に述べる被告人の未熟な精神状態をまったく看過したものであって、明らかに誤りである。
  なお、被告人は、被害者に自分の亡くした母親を見ていたのであるが、この点については、第2、2、事案の真相の項で述べる。
  以上のとおり、被害者に対しては、強姦致死罪及び殺人罪は成立せず、傷害致死罪にとどまる。
イ その第2は、本件事件が、被告人の著しい精神的な未発達がもたらした偶発的な事件であり、かつ被告人の対応能力の欠如によって予想外に拡大した事件であるということである。このことは、C鑑定によって明らかになっている。
  前述のとおり、被告人は、人恋しさから亡くした母親に甘える思いで被害者に背後からそっと抱きついたところ、まったく予想外の激しい抵抗を受けてパニック状態に陥り、被害者を制止しようとして誤って被害者を死に至らしめたものである。また被害児に対しては、泣きやませようとして懸命にあやすものの泣きやませることができずに困惑し、遂に首に紐を緩く巻いて蝶々結びにし、その結果、被害児を死に至らしめたものであって、被害者はもとより被害児に対しても殺意は存在せず、傷害致死にとどまる。
  しかるに1審判決並びに旧控訴審判決及び上告審判決は、被害児についても、殺害しようとして頭上から逆さまにして床に叩きつけ、さらに両手で首を絞めたうえ、紐を首に二重巻きにして項部で交差させて強く絞めて絞殺したとする。しかし、被害児を頭上から逆さまにして床に叩きつけたことはなく、もちろん、両手で被害児の首を絞め、さらに項部で交差させて強く絞めた事実は一切存在しないのである。これらは、いずれも検察官の創作にすぎないのであって、このことは前述のD、E法医鑑定によって明らかになっている。
  被告人にいささかなりとも問題を解決し、先行きを見通せる能力があったなら、被害者に謝罪して許しを請うてその場を退散していたであろうし、被害者を死亡させた後にあっても、被害児を残して逃げ出していたはずである。しかし、被告人にはそうするだけの能力がなく、2人もの命を奪ってしまったのである。
  なお被告人が被害者の遺体に縊首により死亡した母親の遺体を見ていたこと、そして被害児に被告人の2歳年下の弟を見ていたことについては、第2、2、事案の真相の項で述べる。
ウ その第3は、本件事件当時、被告人の精神状態は著しく未成熟であったうえ、極度の退行状態にあり、それが本件事件の要因となっており、従って、被告人を成人と同じく非難することはできないということである。
  被告人は、幼い頃から父親の激しい暴力にさらされてきた。それは時には被告人に死の恐怖をもたらすほど激しいものであった。被告人は、その恐怖の中で、精神的にも肉体的にも母親に密着して一体となり、精神的に著しく抑圧されて育った。しかし、父親の暴力は、母親に対しても激しく加えられ、母親は、遂に、被告人が中学校1年生の秋に縊首により自殺した。その結果、被告人は母親という唯一絶対の庇護者を失い、父親の絶対的な支配に直接さらされることになり、その後、精神的に発達する機会をほぼ失った。
  本件事件は、このような精神的に著しく未成熟な被告人が、就職という新しい環境に不適応をきたして、これが強度な精神的ストレスとなり、そのために重篤な退行現象を起こし、その退行現象の中で起こした事件であって、同人を18歳を超える者と同等に扱って処罰することは誤りであるということである。
  このことはB鑑定によって明らかとなっている。
エ 被告人の反省・悔悟は、十分でないと指摘され、非難されてきた。
  しかし、これは、被告人が、幼く未成熟の精神状態の下で、未だ自他の分離ができないままであること、すなわち、自分の犯した過ちを現実感をもってとらえることができず、また他人に及ぼした苦しみや悲しみや憤りを客観的にとらえることができないことに由来するものであって、これを被告人の人格の悪性としてとらえることは誤りである。ちなみに、事件直後、家庭裁判所の調査官も、被告人に心理テストを実施し、その罪悪感の発達レベルは、4,5歳の程度であるとまで判定しているのである。
  しかし、事件から、すでに8年が経過し、今や被告人は26歳になった。拘置所という限られた空間の中であっても、教誨師や宗教者や篤志家との面接や文通、施設の職員の指導などを受け、被告人は遅ればせながらも成長をしてきた。そして、現在では、未だ十分とは言えないまでも、反省と贖罪の意を深め、被害者に謝罪の手紙を出すことができるまでになった。これに加えて、その謝罪の気持ちを表すため、1日6時間、時間給5円70銭の袋貼り作業を願い出て、毎日、一心にその作業を続け、そこで得られた作業報奨金を被害者遺族に送付するまでになった。
  被告人は、被告人と同じような過ちを犯し、控訴審で死刑から無期懲役に減刑されて現在××刑務所に服役している先輩と知己を得た。彼は、今から21年前、友人らとともに2件の強盗殺人事件を犯した。無期懲役が確定して××刑務所に服役してすでに9年になる。彼は、毎年欠かさず遺族に謝罪の手紙を書き、作業報奨金を贖罪金として送り続け、反省と贖罪の人生を送っている。もちろん、彼は、未だ、被害者遺族に赦されてはいないが、今では「寒い日が続いていますが、風邪をひかぬように頑張ってください。貴殿からのお金は前回同様仏前に供えさせていただきました。私も女房が他界してから急に弱くなり、色々病気と戦っています。心臓・たんのう・腰痛・今回は膝の手術をやりましたが、それが失敗して4回も同じところを切開した為、歩行が出来なくなり、現在はリハビリに通っています。前回貴殿に返事を書かなければいけないと思いながらも出すことが出来なかったのは、病気で悩み苦しんでいた時で、非常にすまないことをしたと思っています。お許しください。今晩も11時を過ぎましたのでここで筆を置きます。ありがとうございました。おやすみなさい。」「今年も残り少なくなりました。健康の様子何よりです。私も年と共に弱くなり、昨年に続き今年は2回長期入院致しまして、返事も出さず失礼致しました。Aの供養代はありがたく仏前に供えさせていただきます。時々刑務所内の放送を見ることがあります。大変だなと思いますが、罪は罪としてそれに向かって立派に更生してくれることを願っています。寒さに向いますが、くれぐれも身体に気を付けてください。」と被害者遺族に声をかけてもらえるまでになっている。
  被告人は、この先輩のように、生きて反省と贖罪の人生を生きることを切望している。弁護人は、被告人がしっかりと更生することを確信している。そして、××刑務所の先輩もそして被告人も、いずれの日か、被害者遺族に赦される日がくることを確信している。
  このことも、弁護人は、当公判廷で立証しようとしていることである。そして、弁護人は、差戻控訴審の審理を始めるにあたって、裁判所に対し、「今一度、被告人を信じてみようではないか」と、強く、求めるものである。

2 上告審判決批判
(1)被告人の弁護を受ける権利の侵害について
ア 弁護人は、最高裁における本件審理に関して、以下の主張をした。
 ① 検察官の上告を棄却すること
 ② 原判決には著しく正義に反する事実誤認があることを理由として、これを破棄すべきであり、原審に差し戻すこと
 ③ 平成18年4月18日の公判期日をもって弁論を終結することなく、さらに弁論を続行して弁護人に弁護の機会を保障することであった。
  しかし、最高裁は、弁護人の上記主張をいずれも排斥し、職権調査により、差戻し前の控訴審判決を破棄し、当審に差し戻すという誤った判断をした。
  そこで、当審での審理を始めるに際して、最高裁の誤った判断を指摘し、弁護人らが求める当審での充実した審理の指標としたい。
イ 上告審判決に至る経緯について
(ア) 本件は、平成11年4月14日に発生した事件であり、同年4月18日、被告人が本件の被疑者として逮捕された。
  しかし、4月28日ころ、当番弁護士による接見が一度あっただけで、その後、被告人は捜査検事であるG検察官に、当番弁護士との接見を申し入れたが、これが実現することもなく、同年5月9日に、本件が家庭裁判所に送致され、その後、付添人弁護士が選任され、ようやく弁護人の援助を受けることができたのであった。
  わずか18歳を過ぎたばかりの少年が、逮捕から家裁送致までの21日間もの長い間、何らの援助もない一方で、捜査機関の手中におかれ、法廷に提出された33通(乙1ないし乙33)もの大量の供述調書を作成されたことに照らせば、いともたやすく供述調書を作成できたことが誰の目にも明らかであり、これに現場引き当たりなどに要した時間を併せて考えれば、捜査官の意図するままの、事実をねつ造した供述調書が作成できたことは容易に推認することができるのであり、このような供述調書の内容自体、任意性、信用性が疑わしいものといわなければならない。
  しかるに、その後の1審及び旧控訴審でも犯行行為自体が争点とならず、それゆえ、被告人は、どのような目的で被害者宅を訪れたのか、どうして被害者を死に至らしめたのかなど、その事実が審理の対象とならず、真実が解明されることもなく、真実は被告人が殺意を有しないにもかかわらず、殺意の存否が争点となることもなく、捜査官がねつ造した事実を前提に、量刑だけを焦点とする審理に終始したのであり、その上マスコミの報道による影響もあってか、われわれ刑事裁判に関わる者すべてが冷静さを失い、誤った審理に導いたことを自戒しなければならないのである。
  少年である被告人に真実を語れる場面とその機会を十分に保障し、遺体に残された身体損傷の痕跡と被告人の真実の供述とを照らし合わせれば、検察官が主張する本件犯行態様が如何に客観的事実と乖離し、本件がねつ造された事案であるかが、容易に判明したことなのである。
(イ) しかるに、平成15年3月14日、検察官は、検察官の控訴を棄却した旧控訴審判決を不服として上告し、同年5月9日、最高検までが、適法な上告理由にあたらない量刑不当等の上告趣意書の作成のために、6ヵ月間もの長期の延長期間を要すると上申し、最高裁は、この要請を受けて、その提出期限を平成15年10月30日までとすることを容認し、同年10月30日、検察官は、実質的に量刑不当を上告理由とする上告趣意書を提出し、同年12月26日、弁護人(以下、「旧弁護人」という。)は、これを弾劾する答弁書を提出したのである。 それから2年もの長い期間が経過し、平成17年11月28日に至って、最高裁は旧弁護人に、平成18年2月21日又は3月14日のいずれかに公判期日を開きたい旨通知した。
(ウ) 最高裁が公判期日を開くという法的な意味は、1審判決の無期懲役を維持した旧控訴審判決を破棄する可能性が高いことが当然予想され、旧弁護人は、これまでの検察官の主張を弾劾すれば良いという消極的な弁護ではなく、被告人のために新たな弁護を要すると痛感したのは当然である。
  同年12月1日、旧弁護人は最高裁に、新たな弁護の準備のために、公判期日を翌平成18年5月ころを指定されたい旨要請し、平成17年12月6日に今後の審理のために、最高裁(調査官)との面談を申し入れた。
  しかるに、その申し入れ当日に、最高裁は、旧弁護人の要請に対する回答や協議の調整をすることもなく、一方的に、本件の公判期日を翌平成18年3月14日午後1時30分に指定し、そのうえ、平成17年12月9日、マスコミによってこれが報道されたのである。
  旧弁護人の依頼を受けて、安田好弘及び足立修一弁護士(以下、「新弁護人」という。)が、平成18年2月27日、初めて被告人に接見し、被告人から本件犯行態様を聞き取り、被害者に対する殺意がなかったことなどの真実を打ち明けられ、その供述が遺体に残った身体損傷の痕跡にほぼ整合することを確認し、1審及び旧控訴審を通じて、殺意の有無及び犯行態様などの罪体の重要な部分について、実質的な審理がまったく尽されていないことを確信した。
  翌2月28日と3月3日に、新弁護人は最高裁に、弁護人選任届けを提出し、一方、3月6日、旧弁護人は、原審において、事実誤認の主張及びその弁護活動を行わなかったことから、弁護人を辞任した。
  そして、新弁護人は、同年3月7日、指定された公判期日の3月14日には、翌15日に実施される日弁連と区別研修である「裁判員制度下における死刑刑事弁護」のために、全国各単位会の約20名の弁護士によるリハーサルが行われ、その中で解説者役及び裁判官役という不可欠な役割を担わなければならなかったために、指定された公判期日に出頭できないことと、前記の新たな事実誤認の主張に関する弁論を行う準備が間に合わないことを理由に、同年6月13日まで公判期日の延期を求める申立書を提出した。
  ところが、翌8日、最高裁は、新弁護人の公判期日延期の要請に対して、「審理を不当に遅延させる行為と認めたもの」(弁護人不出頭に関する第三小法廷の見解.判例時報1941号42頁)とのとの判断のもとに、弁護人の請求を却下した。
  そこで、同月13日、新弁護人は最高裁に、被告人のために充実した弁護活動が不可能であり、リハーサルを欠席できないために、苦渋の選択として、公判期日を欠席することとし、欠席届を提出した。
  3月15日、日弁連特別研修が実施され、衛星中継を通じて、全国各地の弁護士会に配信され、全国の弁護士は、裁判員制度下における死刑刑事弁護の在り様が実演され、これに対してテーマごとに順次解説が行われる中で、刑事弁護のあり方を研修することができたのである。
  同月14日、最高裁は、弁護人の欠席することを認識した上で、公判期日を開き、公判期日を延期するとともに、次回期日を4月18日と指定し、翌3月15日、新弁護人に出頭命令等を発した。
  4月18日、最高裁は、第2回公判を開き、新弁護人が、上記①の検察官の主張する量刑不当を棄却すべきであること、原判決には上記②の事実誤認があり、原判決を破棄して原審に差し戻すべきであること、さらに、事実誤認の主張を補充するために、上記③の審理の続行が必要であることの意見を陳述したが、同日の公判期日をもって本件の審理を終結し、同年6月20日を判決期日と指定した。もっとも、最高裁は、「審理を不当に延期させる」との従来の見解を改め、新弁護人に補充書の提出を認め、5月31日までなら、弁論期日で陳述されたのと同等の取り扱いをするとの弁護人の主張を一部認めた異例の措置をとったのである。
  そして、6月20日、最高裁は、検察官の主張が上告理由に該当しないと判断したうえで、職権調査により、量刑不当を理由に原判決を破棄し、当審に本件の審理を差し戻した。
ウ 最高裁での審理は、従来の訴訟慣行を無視し、刑訴法の規定にも反し、国際的規範に明らかに反する異常な審理であったといわざるを得ないこと。
(ア) 公判期日の指定(刑訴法273条1項)は裁判長の権限でなされる命令であり、訴訟関係人の意見を聞く必要はないが、実務上は、充実した審理を行うために、訴訟関係人と協議のうえ指定されるのがこれまでの慣行である。
  そして、裁判所が一旦公判期日を指定しても、訴訟関係人の訴訟手続における権利行使が適法であり、その権利行使が一見して不当な目的でない限りは、訴訟関係人の申出により、変更されるのである。
  最高検察庁が、本来上告理由に該当しない量刑不当の主張のために、本件の上告趣意書の提出期限に6ヵ月を要すると上申したことも、一見してそれが不適法なものでない以上、最高裁がこれを容認し、特別に長期の提出期限を指定したのも、それがこれまでの慣行であったことの証左なのである。
  それゆえ、最高裁は、弁護人に、これまでの検察主張に対する弾劾だけでなく、新たな弁護活動や弁論を準備するための十分な期間を保障することが適正であったのであり、これこそが「死刑は究極のしゅん厳な刑罰であり、慎重に適用すべきものであることは疑いがない」との上告審判決の姿勢にも沿うことであったのである。(イ) 1989年国連総会において、死刑を存置する各国に対し「死刑相当でない事件に与えられる保護に加えて、手続のあらゆる段階において弁護士の適切な援助を受けることを含む弁護を準備する時間と便益を与えることによって特別な保護を与えること」を内容とする決議が全会一致で採択されたのも、まさにこの当然な趣旨なのであり、「手続のあらゆる段階において弁護士の適切な援助」と「弁護を準備する時間と便益を与えることによって特別な保護を与える」ことは、最低限度の国際的規範といえるのである。
  また、刑訴規則277条も、少年事件の審理にあたって、「懇切を旨とし、且つ事案の真相を明らかにするため」の特別の配慮を要すると規定しているのも、その趣旨からである。
  これらの慣行や国際規範並びに刑訴規約の規定からすれば、最高裁における審理は、これらの規定に真っ向から反し、被告人の弁護を受ける権利を侵害する、異常にして異様な審理であったと弾劾せざるを得ない。
(2) 永山判決の死刑選択基準の適用の逸脱と法令解釈の誤り
ア 本件上告審判決は永山事件にいう死刑選択基準の適用を逸脱するものであること
 本件上告審判決は、検察官の上告趣意が実質的には量刑不当を主張するものであり、刑訴法405条の適法な上告理由にあたらないとするものの、職権で調査をし、刑訴法411条2項により、原判決を破棄し、当審に差戻すというものである。
  そして、本判決は、永山判決の死刑選択基準を明示的に引用していることから、その基準に依拠して個別の量刑事実を判断し、旧控訴審判決が1審判決の無期懲役を是認した判断が「著しく正義に反する」という判断をしたことになる。
  ところで、後記のとおり、本件は、被告人にはそもそも殺意が存在しないのであるから、1審判決及び旧控訴審判決による殺人を是認した判断は、事実誤認の違法があるといわなければならず、ここでは、この点を措くとしても、以下のとおり、上告審判決は、永山事件の死刑選択基準の適用について、明らかに逸脱があるといわなければならない。
(ア) すなわち、上告審判決は、「被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない」とのもとに、
 ①「殺害についての計画性がないことは、死刑回避を相当とするような特に有利に酌むべき事情と評価するには足りない」
 ②「少年審判段階を含む原判決までの言動、態度等を見る限り、本件の罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていると認めることは困難であり」
 ③「被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは、死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが、死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず」
 と判示する。
(イ) しかし、永山判決以後これまでの検察官の死刑求刑と裁判所の判断とを総合的に検討すると、検察官の死刑求刑は、故意の殺害を大前提に、先ず、被害者数で死刑求刑の適否をふり分け、次いで、犯行の罪責・目的、故意の殺害を伴う前科の有無、共犯事件においてはその主導性、殺害の計画性、性被害及び行為者の年齢などの因子を影響度の重大な要素とし、死刑選択基準の適否を判断していると説かれ、これに対し、裁判所は、概ね被害者数と罪体に関係する犯行の計画性などの事情を中心に死刑選択基準の要素としたうえで、これに被告人の情状を中心とする主観的事情を考慮していると説かれている。そして、主観的事情をどの程度考慮するかは、
 裁判所によってかなりの幅があると説かれている(永田憲史「犯行当時少年であった被告人に対する死刑選択基準」関西大学法学論集第55巻第4、5合併号)。
  すなわち、検察官の死刑求刑又は裁判所の死刑判決の選択基準としては、客観的事実とされる殺害の計画性の存否は、死刑求刑又は判決の適否を決定する重大な選択基準であるといわなければならない。
  そして、本件は、被害者が2名で、性被害を随伴しているものの、これまでの判例が最も重要な要素として定律した死刑選択基準の殺害の計画性が存在しないのであるから、従来の判例の死刑選択基準によれば、本件は無期懲役が選択される事案であり、しかるに、検察官が本件において死刑求刑したこと自体、不適正といわなければならず、本件上告審判決が、「殺害についての計画性がないことは、死刑回避を相当とするような特に有利に酌むべき事情と評価するには足りない」と判断したことは、永山判決の死刑選択基準の適用を逸脱するものといわなければならない。
  この点で、上告審判決は、「強姦という凶悪事犯を計画し、その実行に際し、反抗抑圧の手段ないし犯行発覚防止のために被害者らの殺害を決意して次々と実行し、それぞれ所期の目的も達しているのであり、各殺害が偶発的なものといえない」と判示し、「殺害が偶発的なものといえない」との判断が、強姦の目的又は計画性が殺害の計画性を具有すると解釈しているとも考えられる。
  しかし、判例、通説ともに、殺意をもって女子を強姦し、死亡させた場合には、刑法181条後段の強姦致死罪と殺人罪との観念的競合であると説き、強姦には、殺人が随伴するという経験則もなく、また、立法上又は法解釈上も、そのように解していないのであるから、強姦の目的を殺人の計画性と同一視し、あるいは評価することは許されず、死刑選択基準の殺害の計画性の存否を強姦の目的の有無に求めることは適用を逸脱するものといわなければならない。
  とすれば、「殺害が偶発的なものといえない」との事実が、殺害の計画性が存在すると評価することはできず、永山判決にいう死刑選択基準となりえないのである。
(ウ) 第2に、上告審判決は「少年審判段階を含む原判決までの言動、態度等を見る限り、本件の罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていると認めることは困難であり、被告人の反省の程度は、原判決も不十分であると評しているところである。」と判示する。
  しかし、被告人には不十分ながらも反省の情が芽生えていることは明らかであり、殊に前科・前歴の点からも、犯罪的傾向が顕著であるとはいえず、実母が自殺するなどその生育環境において同情すべきものがあり、被告人の性格、行動傾向を形成するについて影響した面が否定できず、少年審判手続きにおける社会的調査の結果においても、矯正教育による可塑性を期待することができるところ、被告人には、何よりも矯正教育による改善更生の可能性を認めることができるのであり、これらの情状事実は死刑を回避する事情であるといわざるを得ず、上告審判決の判断は、永山判決の死刑選択基準の適用を逸脱するものといわなければならない。
(エ) 第3に、「少年法51条(平成12年法律第142号による改正前のもの)は、犯行時18歳未満の少年の行為については死刑を科さないものとしており、その趣旨に徹すれば、被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは、死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが、死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず、本件犯行の罪責、動機、態様、結果の重大性及び遺族の被害感情と対比・総合して判断する上で考慮すべき1事情にとどまるというべきである」と判示する点である。
  少年法51条が死刑の年齢制限規定を「18歳未満のもの」と規定し、被告人は、本件犯行時18歳と30日の少年であり、同法の対象となる少年でなかったことは判示のとおりである。
  しかし、被告人に成人と同じ死刑選択基準が適用されるとしても、少年法50条及び同法9条は、少年の刑事事件の審理においては少年の行状、経歴、素質、環境等についての専門的知識特に少年鑑別所の鑑別結果を活用すべきことを規定し、刑訴規則277条も、少年事件の審理に特別の配慮を求めている。
  また、平成6年5月に発効した「児童の権利に関する条約」37条に規定に反しないとしても、その前文に引用される「少年司法運営に関する国連最低基準規則」(北京ルール、1985年(昭和60年)9月国連犯罪防止会議採択、同年11月国連総会承認)7-1によれば、少年の年齢を区別することなく、「死刑は、少年がいかなる犯罪を犯した場合にも科してはならない」との国際規約も定律されていることを併せて考えれば、少年であることは死刑選択を回避する極めて重要な要素と考えるのが相当であり、上告審判決の上記判断は、永山判決の死刑選択基準の適用を逸脱し、少年法その他の法令及び国際規範のもとで、永山判決にいう死刑選択基準の適用を逸脱するものと いわなければならない。
(オ) 第4に、旧控訴審判決の無期懲役刑の量定は、「著しく正義に反する」と判示するが、これまた永山判決にいう死刑選択基準の適用を逸脱するものである。
  平成16年10月7日、第47回日本弁護士連合会人権擁護大会において、「21世紀日本に死刑は必要か---死刑執行停止法の制定と死刑制度の未来をめぐって」と題するシンポジウムを開催し、同第3分科会実行委員会は、主に永山判決後の事件について、裁判所が無期懲役を宣告した事案等を調査、検討し、検察官及び裁判所の死刑と無期懲役との量刑事情等を分析した(「死刑執行停止を求める」98頁以下・日本弁護士連合会編)。
  同委員会が調査、検討し、量刑事情を分析した資料は、検察官が死刑求刑の際に添付した一覧表(同報告では「一覧表A」をいう。なおその後、「本件と同種性を有する類似事件に関する判例一覧」を添付している)と、同委員会が永山事件判決から平成15年までの約20年間の共同通信記事データベースをもとに、検察官が死刑求刑した事案で裁判所が無期懲役を宣告した73事件を集めた一覧表(同報告では「一覧表B」をいう。)と殺人等の死亡被害者のある事件で、検察官が無期懲役を求刑した590事件を集めた一覧表(「同報告では「一覧表C」をいう。)を作成し、死刑と無期懲役とに分かれた、検察官の求刑及び裁判所の判決による量刑事情を調査、分析、報告した。
  それによると、検察官の「一覧表A」によれば、死亡被害者2名の事案で、死刑を求刑し、死刑判決が宣告された事案は29件であるが、同委員会の「一覧表B」によれば、本件と同様に死亡被害者の事案において、検察官が死刑求刑した事案が73件あり、そのうち37件の事案で無期懲役が宣告されていること、うち強盗殺人罪を認定した事案が21件もあり、その死刑回避の理由は、一度の機会に2人を殺害した事案、殺害に凶器が使用されても計画性がない事案、計画性、前科もない事案などであることが分析できるうえ、死亡被害者2名の事案でも、検察官が死刑求刑ではなく、無期懲役を求刑した事案が83件もあることも分析できた。
  また、検察官の「一覧表A」によれば、死亡被害者3名の事案で、死刑を求刑し、死刑判決が宣告された事案は15件であるが、同委員会の「一覧表B」によれば、死亡被害者3名の事案でも、5件の事案で無期懲役が宣告されていること、その死刑回避の理由は、一度の機会に3名を殺害したが前科のない事案、その他主観的情状によって死刑を回避していることが分析できるうえ、死亡被害者3名の事案でも、検察官が死刑求刑ではなく、無期懲役を求刑した事案が7件もあることも分析できた。
  そのうえ、同委員会が共同通信のデータベースをもとに調査したところ、検察官が死刑を求刑した事案は270件(但し、同一事件での1審、2審、上告審での求刑を各1件として計測した件数)にも及び、うち死刑が163件、無期懲役が110件であり、死刑回避の理由は、計画性がない又は綿密な計画でないとされたものが25件、矯正可能性があるとされたものが20件、反省が認められるものが30件、死刑の謙抑性によるものが10件、生育環境及び生来的性格異常のものが2件あることが分析でき、1審は死刑でも2審で無期懲役を宣告した事案も5件あり、その減刑理由は、被告人の不幸な生育歴や被害者への謝罪、事件後の行動など被告人の人間性や情状が理由とされていることも分析できる。
  さらに、死亡被害者2名の事案で、検察官が無期懲役を求刑した事案には、強盗殺人を除き殺人罪が含まれるものは66件あり、その事案を分析すると、別の機会に2人を殺害した事案が21件、殺害時に凶器を使用している事案が37件、計画性があると明言された事案が11件、被告人に不利に働く情状(反省なしなど)が明示されている事案が5件もあり、また、強盗殺人罪で死亡被害者2名の事案でも、検察官が無期懲役を求刑した事案が16件もあり、殺人罪に加えて強姦罪が認定された事案も3件ある。
  さらにまた、死亡被害者3名の事案で、検察官が無期懲役を求刑した事案は7件あり、殺人若しくは殺人死体遺棄の事案が3件、保険金目的の殺人で放火が加わる事案が1件、他に殺人でなく、放火により3名を殺害した事案が2件、昏睡強盗致死の事案が1件あり、死亡被害者が4名の事案でも、無期懲役を求刑した事案が10件もあるが、その大半は地下鉄サリン事件である。
  また、本件と同様に、犯行時の年齢が少年であり、死刑を求刑され死刑が宣告された事案は、「一覧表A」では、2件あるが、「一覧表B」によれば、無期懲役が宣告された事案が3件あり、「一覧表C」によれば、そもそも検察官が無期懲役を求刑した事案が19件もあり、死亡被害者1名の事案では、死刑求刑をした事案は1件もないことが分析できる。
  以上の調査、分析によれば、検察官は、本件と同様に死亡被害者2名の事案でも、また、それ以上の死亡被害者がいる事案でも、同一の機会の殺害や計画性がない事案では、死刑を求刑していないし、殊に犯行時少年であった事案では、死刑でななく、無期懲役を求刑していることが分析され、裁判所も、検察官の死刑求刑に対して、多くの事案で、無期懲役を宣告していることが分析できるのである。
  以上を総合すると、本件と同様の死亡被害者が2名以上の事案で、検察官の死刑と無期懲役の求刑のあり方、また、死刑求刑の場合に裁判所が無期懲役を宣告した事案を分析すると、検察官は、本件より遙かに悪情状の事案でも無期懲役を求刑していることが認められ、殊に3件の殺人罪に加えて強姦罪が認定された事案について、検察官が無期懲役を求刑している事実に照らせば、上告審判決が、本件について、死刑を宣告しなければ「著しく正義に反する」などと到底いえないことは明らかであり、永山判決にいう死刑選択基準の適用を逸脱するものといわなければならない。
  そして、本件は、被害者が2名で、性被害を随伴しているものの、これまでの判例が最も重要な要素として定律した死刑選択基準の殺害の計画性や少年であることなどの情状事由によれば、本件は優に無期懲役が選択される事案であり、しかるに、検察官が本件において死刑求刑したこと自体、不適正といわなければならず、上告審判決が、「殺害についての計画性がないことは、死刑回避を相当とするような特に有利に酌むべき事情と評価するには足りない」と判断したことは、永山判決の死刑選択基準の適用を逸脱するものといわなければならない。
イ 上告審判決の判断形式は法令の解釈を誤るものであること
 上告審判決の死刑選択基準の判断形式は、永山判決の死刑選択基準の判断形式と明らかに異質であり、実質的に、これまで死刑選択の基準として定律してきた永山判決の判例変更を行うものであり、これを大法廷ではなく小法廷で審理、判断したことは、法令の解釈を誤るものといわざるを得ない。
  すなわち、H教授によれば、「本件最高裁判決の判断のプロセスは、①先ず、犯行の罪質、結果の重大性、犯行の動機及び経緯、犯行の残虐性、犯行後の情状、被害感情、社会的影響等の事情を検討して『X(被告人)の罪責は誠に重大であって、特に斟酌すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない。』との中間的な結論を導き出し、②次に、殺害の非計画性、反省の程度、生育歴、前科・前歴、犯罪的傾向と改善更生の可能性、少年であったこと等の事情を検討して『〔これらは〕X(被告人)につき死刑を選択しない事由として十分な理由に当たると認めることはできない』として、③『量刑不当』の結論に至るのである。」と説き、「本判決の判断方法・枠組みは、死刑を例外的な罰則とはせず、犯罪の客観的側面が悪質な場合は原則として死刑であり、特に酌量すべき事情がある場合に限って死刑を回避するとの考え方を反映したものと解される。とすれば、本判決は、永山事件判決の原則と例外を逆転させ、成人のみならず年長少年についても『犯罪の客観的事情が悪い場合は原則として死刑』としたものということになる」と説かれている(ジュリスト№1332号.161頁)。
  とすれば、上告審判決の判断形式は、本件犯行の客観的側面としての罪責から死刑の適否を判断し、そのうえで、被告人の主観的側面を例外的事情として考慮するという判断方法であり、永山判決の死刑選択基準及び具体的な判断方法とは明らかに異なる判断形式を採用しているのであり、永山判決の死刑選択基準の判断形式を変更するものであるから、判例変更に該当するところ、これを大法廷ではなく、小法廷で審理、判断したことは、法令の解釈を誤った違法な判決といわなければならない。
(3) 小括
  以上述べたとおり、本件において、最高裁の審理は、これまでの訴訟慣行や法令の規定、国際規範の趣旨に反し、被告人の弁護を受ける権利を侵害する、異常にして異様な審理であったといわざるを得ないし、原判決には、事実誤認の違法があることを措くとしても、永山判決にいう死刑選択基準の適用を逸脱し、その判断形式は、実質的な判例変更に該当するところ、これを小法廷において審理、判断したことは法令の解釈を誤る違法があるといわなければならない。
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