いつもリュクザックひとつで歩いてきた人生なんだから……

2008-08-05 | 死刑/重刑/生命犯
中日春秋 2008年8月5日
 約一カ月間に及ぶ隠密来日だった。日光を皮切りに鬼怒川や箱根、伊勢、鳥羽、奈良、京都、倉敷、広島、山口など、全国を回った▼土産物屋の店頭を眺めることはあっても、一度も買おうとしなかった。こんな弁明をしたという。<物を買って身辺に置いておく欲望はひとかけらもない。(中略)いつもリュクザックひとつで歩いてきた人生なんだから……>と▼誰かというと、旧ソ連の反体制作家で、ノーベル文学賞を受賞したアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏のこと。案内役だったロシア文学者の故木村浩さんが、自著で明かしている四半世紀ほど前の逸話である▼スターリンを批判した容疑での突然の逮捕、強制収容所での流刑生活、国家反逆罪での逮捕、国外追放、米国での亡命生活、市民権回復、そして帰国。<リュクザックひとつ>に、おそらく万感の思いが込められている▼『収容所群島』の中でイデオロギーを<邪悪な所業に必要な正当化と悪党に必要な長期にわたる頑強さを与えるものである>と断じる一方で、欧米における物質主義や、新生ロシアにはびこる拝金主義の風潮を批判したのも納得できる▼死への恐怖を尋ねられ、「恐れていない。ただ、自分に与えられた使命を遂行せずに死ぬことが恐ろしい」と答えたことがある。八十九歳での死去。使命は十分に遂行されたのだろう。
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〈来栖のつぶやき〉
 カトリックのシスターたちも、そのようである。従順・貞徳・清貧のなかに生きる。上長からの辞令1通で、何処へでも派遣されてゆく。鞄一つ持って。いつでも応じられるよう、私物は持たない。清清しい生き方である。
 「派遣」という言葉は、シスターたちの場合、「ミッション」を意味しするが、昨今の日本社会のそれは、ちょっと違うようだ。「派遣」という言葉を耳にするたびに、私などは、意味するところの違いに吃驚し、躊躇ってしまう。慣れることが出来ないでいる。
 「リュクザックひとつで」というフレーズに接し、もう一つ思い出すことがある。藤原清孝のことだ。生前も拘置所の居室内に持てる(置ける)ものは数少なかったが(大方は官が領置)、受刑後遺品として宅下げされたものも、段ボール箱に4つ分であった。箱の中には受信した書簡の類や辞書、書籍、点字用具、ノート、衣類等があった。生前から、人はこんなに少しの物で生きていけることを痛感させられていた私だったが、死刑囚とは、命すら領置されている、ということだろう。
 先日来、私は妙に「モノを持ちたくなくて」整理に余念がない。書籍は自分でいくらでも処分することが出来る。しかし、処分したくてもできないものがある。キモノである。箪笥に、母の作ってくれた着物がいっぱいある。一枚一枚注文し、縫ってくれた。長襦袢の一枚に至るまで、母の愛が縫いこまれている。千代田の襟のコートなどは、いま、多分日本にたった一枚しか存在しないのではないか。いとおしくてならない。

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