旧優生保護法(1948~96年)下で障害者に強制不妊手術が繰り返された問題 … 〈来栖の独白〉

2018-11-02 | Life 死と隣合わせ

<旧優生保護法>与党法案骨子 強制不妊救済に一律一時金 記録の有無問わず
  旧優生保護法(1948~96年)下で障害者に強制不妊手術が繰り返された問題で、自民、公明両党の合同ワーキングチームは31日、被害救済に向けた議員立法の骨子を策定した。「身体的・精神的苦痛に対し、深く反省しおわびする」と明記し、手術記録が残っていない人も対象に一律の一時金を支給する。野党も参加する超党派議員連盟と協議し、来年の通常国会への法案提出を目指す。

   

 骨子は、国家賠償請求訴訟の全国被害弁護団が求めた旧法の違憲性に言及しなかった。被害者への個別通知もしない方針。
 骨子によると、一時金支給は手術を受けた本人の申請に基づき、厚生労働省内に設けた第三者の専門家による審査会が認定する。手術に「同意」した人や公的な手術記録がなくても除外せず、幅広く認定する仕組みにする。
 一時金の金額は、同様の手術が過去に繰り返されたスウェーデンやドイツでの補償例を参考に検討する。
 座長で自民党の田村憲久政調会長代理は、違憲性に触れない理由を「政府が裁判中なので難しい」と説明。おわびの主体については「旧法は議員立法。政府だけではない書き方になる」と述べた。弁護団は審査会を厚労省以外に設置するよう求めたが「行政手続き上、難しい」と語った。
 厚労省は同日、福祉施設や医療機関、市町村への調査結果を報告。手術に関する個人記録は計1603件あり、そのうち東北では813件が保管されていた。旧法下で手術を施されたのは約2万5000人とされ、これまでに約3000人分の記録を確認。今回で一連の調査結果が出そろった。
2018年11月01日木曜日

 ◎上記事は[河北新報]からの転載・引用です
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旧優生保護法の不妊手術 約1600人分の記録を発見 厚労省
NHK NEWS WEB 2018年11月1日 7時18分
 旧優生保護法のもとで、障害などを理由に不妊手術が行われていた問題で、全国の病院などから個人を特定できる記録が、新たに約1600人分見つかったことが厚生労働省の調査でわかりました。
 平成8年まで施行された旧優生保護法のもとでは、障害などを理由に全国の約1万6500人に本人の同意無しに不妊手術が行われたとされ、救済に向けた議論が進められています。
 31日に開かれた与党の作業チームの会合で、厚生労働省は、病院や障害者施設、それに市町村などを調べた結果、新たに1603人分の記録が見つかったことを明らかにしました。
 これ以外に、27都道府県が保管していた資料の中から、合わせて3033人分の記録がすでに見つかっています。
 また、与党の作業チームは31日、手術を受けた人におわびするとともに一時金を支給するなどとした救済の基本方針を打ち出しました。
 さらに、記録が見つかった人について、周りの人に手術の事実を伝えていない人もいるとみられることなどから、記録が見つかったことを本人に直接通知せず、救済制度を広く周知していく方針を示しています。
 一方で、弁護団などからは「どんな手術を施されたのか教えられていない人もいるため積極的に本人に知らせるべきだ」とする意見もあがっていて、見つかった記録をどう活用していくかが課題となります。

 ◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です
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“わが子を産めない” 法律が奪った
NHK  News Up 2018年3月16日 18時44分
 最近、「優生保護法」という、やや難しい名前の法律をニュースで耳にすることが多くなったと思いませんか?「優生保護法」は、知的障害などを理由に本人の同意がないまま、強制的に不妊手術を行うことを認めていた法律です。不妊手術を受けた女性がことし1月に初めて、国を相手取って裁判を起こしたのをきっかけに、いま、救済に向けた動きが急速に始まっています。子どもを産む権利はなぜ奪われてしまったのか、当事者たちの訴えから救済に向けた課題を探っていきたいと思います。(社会部記者 斉藤隆行・福田和郎)
*1万6000人が合法的に不妊手術を

  

 優生保護法ができたのは昭和23年、戦地からの大量の引き揚げ者や戦後の出産ブームによる人口増加を抑制することなどを目的に議員立法で作られました。
 法律の条文には「不良な子孫の出生を防止する」と明記され、精神障害や知的障害、遺伝性の疾患などを理由に不妊手術や中絶を認めていました。当時は親の障害や疾患がそのまま子どもに遺伝すると考えられていたことがその背景にありました。
 優生保護法のもとでは、本人の同意がなくても医師が不妊手術の必要性を診察し、各自治体に設けられた審査会が「適当」と判断すれば手術が行われました。さらに障害者の体の拘束や麻酔の使用、別の手術だとだまして手術を行うことまで認められていました。
 厚生労働省によりますと昭和23年から平成8年までの半世紀余りの間に本人の同意なく強制的に不妊手術を受けさせられた人は全国でおよそ1万6000人にのぼるとされています。
*声をあげ始めた当事者たち
 これだけ多くの人が手術を受けたのにもかかわらず、この事実は広くは語られてきませんでした。しかし、ことしに入って事態は大きく動き始めます。
 ことし1月に宮城県に住む知的障害のある60代の女性が不妊手術を強制され、基本的人権を踏みにじられたとして、国に損害賠償を求める裁判を起こしたのです。
*声をあげ始めた当事者たち
 優生保護法の元での強制不妊手術をめぐる裁判は全国で初めてでした。実はこの女性が裁判を起こすことができたのは、宮城県に女性が昭和47年に手術を受けたという記録が残っていたからでした。
*残存資料はわずか2割…
 手術を裏付ける記録は、どこまで残されているのか?
 私たちは2月中旬から3月にかけて全国47の都道府県と公文書館に優生保護法の不妊手術に関する資料が残っているかアンケート調査を行いました。
 そこで浮かび上がってきたのが手術の実態把握が極めて難しい現実でした。
 手術を受けたり手術の必要性が認められたりした人の名前など、個人が特定できる資料が残っていたのは、26の道府県で合わせて3300人分と全体のおよそ2割にとどまっていたのです。
 最も多くの資料が残っていたのが、北海道で1129人、宮城県が859人、埼玉県が330人、千葉県が220人▽福島県が120人、大分県が101人などでした。
*残存資料はわずか2割…
 また、手術を受けた際の年齢が最も低かったのは、宮城県の9歳の女の子で、さらに未成年が926人にのぼっていることもわかってきました。
 一方で、資料は残っていないと回答した自治体は東京都や大阪府など21の都府県にのぼります。強制不妊手術が最も多く実施されたのは、昭和30年代の始めごろ、今から60年以上前です。多くの資料が役所が定めた保管期間をすぎ、廃棄されたと見られています。
*記録がない…女性の悲痛な訴え
 「本当に死ぬような思いで苦しい思いでここまできました」
 16歳の時に優生保護法のもとで不妊手術を受けさせられたという宮城県の70代の1人の女性が私たちの取材に応じました。
 女性は手術の後、20代で結婚しましたが、子どもができないこともあって、引け目を感じて離婚。「優生保護法によって人生を台なしにされた」と悲痛な思いを私たちに吐露しました。この女性は、これまで手術記録の開示を宮城県に求めていましたが、「資料が存在していない」と繰り返し回答されてきました。女性は手術の記録がないため、裁判を起こせずにいたのです。
*“記録がなくても認める”宮城県の英断
 しかし、いま、止まったままになっていた女性の時間が動き始めています。
 宮城県の村井知事が、ことし2月、「公式の記録がなくても論拠があれば手術を受けたことを認める。裁判を起こしたならば手術を受けたか受けていないか争うことはない」と発言したのです。
 宮城県は、この女性に手術を受けた痕があることや手術の必要性について判定した文書があること、それに一連の証言に矛盾がないことなどから、女性が不妊手術を受けたことを認定するとしました。
 つまり、記録が残されていなくても手術を受けたことをうかがわせる客観的な証拠があれば、手術を受けたと認定すると判断したのです。
 女性はいま、みずからの止まった針を動かすべく、提訴に向けて準備を進めています。これ以外に今、裁判を起こす動きは北海道や東京など各地で始まっています。
*救済へ動き出した政治
 当事者たちのこうした動きが広がる中、政治の場でも救済に向けて大きく動き始めています。
 3月6日には、超党派の国会議員が議員連盟を発足させ、会長に自民党の尾辻・元厚生労働大臣が就任しました。
 さらに、3月13日、自民党と公明党の与党両党が作業チームを設けて、具体的な立法措置の検討を始めることを決めました。
 記者会見で公明党の石田政務調査会長は、「記録が残っている人と残っていない人がいるので、現時点ではいつまでにということは申し上げられないが、いつまでもやっていいという問題ではない」と述べ、検討を急ぐ考えを示しました。
 優生保護法がもともと超党派の議員立法で作られたことを考えれば、政権与党がこの問題に本腰を入れ始めたことは救済に向けて大きな意味を持つと言えます。
*“1人も漏れない救済の仕組みを”
 今後、望まれることは、国による謝罪と補償の仕組みを早急に作ることです。
 海外では同じように強制的な不妊手術が行われていたドイツやスウェーデンでもすでに当事者に謝罪と補償を行っています。
 今回、私たちの調査で手術記録などが残っていることがわかったのは、およそ1万6000人のうち、わずか2割にすぎません。
 しかし、行政が記録を廃棄したのに手術を受けたことを直接証明できる記録がないことを理由に救済の網から漏れるようなことは絶対にあってはならないと専門家は指摘します。
 優生保護法の歴史に詳しい東京大学大学院の市野川容孝教授は「裁判は時間もコストもかかるので、国会の判断で救済のための法律を作り、被害者の名誉回復と補償をすべきで、国は責任を持って記録の保全と集約、整理をして国会に提供すべきだと思う。手術を受けた人たちはかつて社会から“不良な子孫”というレッテルを貼られたわけなのでもう一度、法によって尊厳を回復することが大事だ」と述べ、幅広い救済の必要性を強調しています。
 今回、宮城県が示したように例え記録がなくても客観的な証拠によって手術を受けたと認める考えは大きな前例になると思います。
 いま私たちに何より求められているのは、国家が合法的に不妊手術を強いていた負の歴史に真摯(しんし)に向き合い、目を背けないことです。そして、1人も漏れることのない救済の仕組みを国の責任で早急に作ることを、多くの人たちが待ち望んでいることを忘れてはならないと思います。

 ◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2018.11.2 Fri〉
 他人の痛みに対して鈍感なのが、人間の性だろうか。優生保護法との名称は古くから知っていたが、考えてみようともしなかった私。「優性」「保護」との美名に惑わされてもいたか。

<旧優生保護法> 「不良な子孫の出生を防止する」との優生思想に基づき1948年に施行された。ナチス・ドイツの「断種法」の考えを取り入れた国民優生法が前身。知的障害や精神疾患、遺伝性とされた疾患などを理由に不妊手術や人工妊娠中絶を認めた。医師が必要と判断すれば、本人の同意がなくても都道府県の「優生保護審査会」の決定で不妊手術を行うことが可能で、53年の国の通知は身体拘束や麻酔使用、だました上での手術も容認していた。96年、障害者差別や強制不妊手術に関する条文を削除し、母体保護法に改定された。

 それにしても、この法律の存在(有効)が何十年も前までではなく、つい先頃(96年)までだったことに愕然とする。
 このような鈍感は、決して言い訳ではないが、私ばかりではないだろう。弊ブログでは、カテゴリー「相模原障碍者施設 津久井やまゆり園 殺傷事件」を設けているが、この問題は実に難しく、一向に考えが進まない。それは、この問題が正に人間の「原罪」に所以するからではないだろうか。
 聖書(イエス)は言う、「人がその命を与えるほど大きな愛はない」と。

ヨハネ福音書15章12節〜
 わたしがあながたを愛したように、互いに愛しあいなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

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相模原障害者殺傷事件・植松聖被告と面会室で話した強制不妊問題 篠田博之 2018/5/30 
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<旧優生保護法>強制不妊手術で国を提訴「尊厳侵害、違憲」2018/1/30 仙台地裁

  

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<優生手術>元勤務医、強制不妊の実態証言 結婚理由に(2018/1/27 毎日新聞)

  

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不妊手術2700人分資料現存 旧優生保護法、強制被害裏付け (2018/1/26 中日新聞)
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2 コメント

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怒りと、悲しみ (あやか)
2018-11-03 10:01:03
この問題は、宥子さまもおっしゃるように、人間の原罪を強く感じます。
((優性保護法))は、第二次大戦後の日本における、最悪の悪法だと言えましょう。
この悪法によって、強制不妊手術を受けさせられた人の悲しみと怒りは、言い尽くせないと思います。

もちろん、現在の価値観によって過去の事を裁いてはならないことは、わかります。
しかし、それにしても、あまりにも理不尽だというしかありません。
 「優性保護法」については、1960年代のころから、カトリック教会のかたから問題視され、改正もしくは廃止を勧告されていた、と伺っています。
 それでも、国会で平成時代まで改正されなかったのは、おそらく、何かの政治的な干渉があったかも知れませんね。

私には、その点はわかりません。

しかし、今は、被害者のかたの、お心の平安と余生のお幸せを祈るばかりです。
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あやか様 コメントありがとうございます。 (ゆうこ)
2018-11-03 11:08:38
 過去に、教会の集会でハンセン病についてお話を聞いたことが何度かあります。その時も、遠くに感じました。そんな人間です、私は。
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