オウム「地下鉄サリン事件」死刑囚 再審請求は“生への執着ではない”
社会週刊新潮 2018年4月12日号掲載
「オウム死刑囚」13人の罪と罰(7)
“終結”がいよいよ目前に。東京拘置所からの「移送」で、オウム真理教・死刑囚13名の「Xデー」カウントダウンが始まった。最後に取り上げるのは、地下鉄サリン事件に関わった5名。今回と次回でその「罪と罰」を振り返る。13名を苦悶の中に殺めた彼らの“その後”は――。
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刑が確定して月日が経つに連れ、死刑囚たちは何より「耳」が鋭敏になるという。
死刑が執行されるのは、大抵、午前中のこと。コツコツコツコツ……毎朝、刑務官の足音が廊下に響くと、彼らは、それが自らの房の前で止まるのではないか、と身を固くする。そして、足音が通り過ぎると、今日一日は命を永らえたとの安心感で虚脱するのだそうだ。東京拘置所の関係者が言う。
「実際に執行があると、その日の夜は大変です。夕方のニュースでそれを聞いた死刑囚たちが“バカヤロー!”“どうなってるんだ! ○○!”などと、法務大臣の名前を呼び、ドアを蹴ったり、暴れたりする。それは夜じゅう続きます。翌日も、担当官は死刑囚から次々と不安を打ち明けられて、数日間はてんてこ舞いになるんです」
半世紀ほど前は、死刑囚には、事前に執行の「その日」が告げられていた。親族や友人に「お別れ」をした後、絞首台に向かっていくケースもあったという。しかし、ある時、「事前告知」された死刑囚が自殺してしまう“事故”が発生。そんな事情もあり、次第に、「その朝」、まさに死刑囚を房から出す際に執行が告げられるパターンが定着したのだという。
死刑囚にとっては、まさに毎日が恐怖の連続だ。執行が秒読みと言われるオウム13名の死刑囚も毎朝、靴音に怯える日々であろう。
もっとも、それは彼らが殺めた犠牲者たちが今際の際に感じた苦痛と恐怖の大きさとは、比較にならない。地下鉄サリン事件をとってみても、月曜日の朝、いつもと変わらず家を出て、行く先に向かう中、地下鉄車内でいきなり呼吸障害でのた打ち回る。痙攣、嘔吐し、薄れ行く意識の中、なぜ自分が死ななければならないのか、いや、そもそも何が起こったのかすらわからぬまま、苦悶の中で息絶えていったのであるから――。
■“修行の天才”井上
事件が起きたのは、1995年3月20日のことだった。この前年6月、松本サリン事件が発生。現場は松本市の裁判官官舎周辺で、オウムは支部開設を巡ってここで住民から訴訟を起こされていた。程なく山梨県上九一色村にあったオウムのサティアン付近の土壌からサリンの残留物が検出された。これが95年元日、読売新聞に報じられ、2月には仮谷清志さんの監禁致死事件も発生。いよいよ教団への強制捜査が迫ってきた。それを避けるために麻原彰晃が命じたのが、サリンを都心地下鉄へ散布し、警察を混乱に陥れて捜査を食い止めること。“計画”の総指揮に、後に刺殺された村井秀夫、アジトや車を用意する「総合調整役」には井上嘉浩が選ばれた。彼らの下、実際にサリンを撒く「散布役」に選ばれたのが、林郁夫、林泰男、豊田亨、広瀬健一、横山真人の5名。彼らは3つの路線に分かれ、猛毒の入った袋を傘で突き、13名の命を奪った――これが事件の概要である。
〈牢獄に しみいる寒さ 罪を知る 生きていてこそ ふるえる命。〉(支援団体HPより)
昨年11月、そんな歌を詠んだのがそのうちの1人、井上である。今は大阪拘置所に移送され、執行を待つ。
歌からは悔恨の念が窺われるが、一方で、井上は3月14日の移送当日、再審請求を申し出ている。一般に死刑囚が再審を請求している場合、刑の執行は行われないのが通例だから、これは「執行逃れ」との批判を浴びた。反省か、延命か。どうにも本心を図りかねる男、それが井上である。
1969年、京都府生まれ。家庭は不和で、父は借金苦、母も自殺未遂を起こしていた。高校在学中、わずか16歳で入信。大学に進学したが、半年も経たずに中退して出家した。“修行の天才”と謳われ、水中で無呼吸で冥想する「水中クンバカ」を5分以上も行ったことでも知られる。教団では「諜報省長官」として、数々の非合法活動を担い、地下鉄サリン事件の他にも、VX殺人事件や、仮谷さん事件にも手を染めてきた。教団では、「神通並びなき者」と称された井上だが、一方で“冷めた目”で見られていたのも事実である。
■まるで少年
「努力家として高く評価する声はありましたが――」
と明かすのは、かつてオウムで「自治省次官」を務めた、早坂武禮氏である。
「人を押しのけてでも、という姿勢が見えるので、身近なところでの評判はあまり良くなかった。井上が生み出したものに『黒信徒』があります。自分の獲得した信者数をかさ上げするため、在家信徒に入会金や会費を負担させ、その家族や友人などを同意を得ずに名義だけの会員にさせる。これがあまりに続いたので、教祖も手を焼いていました。目に見える評価を強く求め、ひたすら数字を上げることだけを考えていたという印象が強いです」
オウムの「車両省大臣」だった野田成人氏も言う。
「麻原の評価にとりわけ敏感でした。出家の勧誘やお布施集めに何より熱心で、エネルギーで圧倒するのです。女性人気も高く、井上に魅せられて活動した女性信者もたくさんいた。ただ、井上は目的を達成すると相手をするのが面倒くさくなり、掌を返すことも。女性信者が“信用してお布施をしたのに、どうして構ってくれないんですか”と訴え、トラブルになったことも一度ではないはずです」
高学歴の幹部が並ぶオウムの中で、高卒、しかもまだ若年だった井上がのし上がるためには、“実績”が必要だった。そのために、必要以上に“背伸び”をした――。彼が手を血で染めたウラには、そんな事情があったのかもしれない。
その井上は、逮捕後、態度を一変させた。逃走犯に出頭の呼びかけを行い、公判では誰よりも激しく、麻原を糾弾するようになった。
「井上の裁判は、まるで少年事件の裁判を傍聴しているようでした」
と、ジャーナリストの江川紹子さんが振り返る。
「彼が入信したのは、16歳の頃。心の成長がそこで止まってしまったかのようだった。とにかく“生きたい”という欲求が人一倍強く感じられました。目が印象的で、捨てられた子犬が段ボール箱の中で助けを求めているかのような……。自分を拾ってくれる人がいれば、全力で走り寄ろうとするかのような目でした」
井上は検察に乗っかり、一方の検察も井上の取り調べの内容を立証の中核に据え、裁判に臨んだ。
「助かるためには、自分の責任を小さくしつつ、真相解明に協力したという印象を残すしかない、と考えたのだと思います。彼は麻原に全面的に帰依していましたが、逮捕後、それが間違っていたことに気が付いた。井上の中で麻原の存在が小さくなっていき、そこに検察が入り込んだ。そんな印象を受けました」(同)
■井上の弁護人は…
そんな“成果”もあって、井上は一審で「無期懲役」の判決を勝ち取った。地下鉄サリン事件での役割は「後方支援・連絡役」と認定され、法廷で泣きじゃくった。
しかし、そうした態度が反感を買ったのか、二審では他の幹部たちから次々と井上証言を否定する発言が出た。高裁も役割を「総合調整役」に格上げ。今度は逆転で死刑判決が下された。
2009年、死刑確定。
これを不服とする井上が最近も再審請求をしたことは先に述べた通りだ。
「巷間言われているように、井上君は生に執着しているワケではありません」
と、説明するのは、井上の弁護人である。
「再審請求も、執行が近くなったからではない。5年程前から意向はあり、今年1月、オウム裁判が全て終わったので、本格的に準備を始めた。移送前日の3月13日にも接見し、200ページになる書類のチェックをしてもらった。そうしたら翌日には東京拘置所からいなくなっていたんです」
再審では、地下鉄サリン事件での役割は「使い走り」に過ぎなかった点、また、仮谷さんの「死」に自身は関与していない点などを訴えるという。
「もちろん井上君もハードルが高いことはわかっています。死を恐れ、再審請求にすがりたいという感じは見受けられません」(同)
〈息白く 差し込む朝日 映し出す 冬のあぜ道 探した未来。〉
昨年12月、井上の最新の歌である。彼は、次の冬を迎えることが出来るのだろうか。
(8)へつづく
短期集中連載「13階段に足をかけた『オウム死刑囚』13人の罪と罰」より
◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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◇ 13名の命を奪った「地下鉄サリン事件」実行犯たちの今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(8)最終回
◇ “修行の天才”井上嘉浩 再審請求は“生への執着ではない” 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(7)
◇ 麻原に“オシメを外せ”と言ってやる 遠藤誠一・土谷正実 2人の科学者 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(6)
◇ 早川紀代秀死刑囚「量刑判断には不満です」 端本悟死刑囚--母の後悔 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(5)
◇ 教団脱走、麻原彰晃を恐喝 「異質のオウム死刑囚」岡崎一明の欲得と打算 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(4)
◇ 23年を経て「尊師」から「麻原」へ “側近”中川智正と新実智光 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(3)
◇ 麻原彰晃、暴走の原点は幼少期 権力維持で求めた“仮想敵” 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(2)「週刊新潮」2018年3月29日号
◇ 拘置所衛生夫が見た「オウム麻原彰晃」の今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(1) 「週刊新潮」2018年3月29日号
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