奥村旭翠さんの撥・・・琵琶の音は言霊 荒涼の海と源義経の前に、平知盛の凄惨な姿だけが見えた(2016年夏)

2016-10-13 | 本/演劇…など

 産経WEST 2016.10.12 16:00更新
【亀岡典子の恋する伝芸】人間国宝の琵琶の音は言霊…荒涼の海と源義経の前に、平知盛の凄惨な姿だけが見えた
■ほとんど触れたことのない芸能「邦楽」
 戦後の高度経済成長期の日本に生まれ育った人間にとって、邦楽はほとんど触れたことのない芸能といえる。
 昭和40年代、子供たちの間でピアノを習うことが一大ブームとなった。ご多分にもれず私も小学2年生から習い始めた。当然、触れるのはクラシック。テレビから流れるグループサウンズやアイドルの歌に夢中になり、中学生になると、カーペンターズを聞きまくった。
 恥ずかしながら邦楽に接した覚えはほとんどない。ただ、祖母の家に泊まりに行ったとき、日曜日の早朝、ラジオから流れる能の謡いを、「なんだろう」と聞くとはなしに聞いていたぐらいだ。
 というわけで、四半世紀ほど前、新聞社の文化部で古典芸能の担当になったとき、三味線音楽がなかなか耳になじまず困ったのを覚えている。文楽や歌舞伎で、義太夫節や清元、長唄、常磐津が自然に体に入ってくるまで時間がかかった。しかし、わかり始めると、そこは日本人。自分のなかに流れている血が、三味線や笛、鼓、箏などに感応したのか、その美しさや独特のリズム、節回しが心地よく感じられるようになった。
■“未知の楽器” 幼い頃の「耳なし芳一」の思い出
 そんななか、なかなか出会わない邦楽器もあった。琵琶である。
 今夏、大阪府内に住む筑前琵琶奏者、奥村旭翠(きょくすい)さんが人間国宝に認定されることが発表された。過去何度か、筑前琵琶の公演に足を運んだことはあったが、ほとんど取材をしたことがなく、私のなかでは“未知の楽器”であった。
 ただ、琵琶といえば、子供のころ、小泉八雲の「怪談」で読んだ「耳なし芳一」の話が強く印象に残っている。盲目の琵琶奏者、芳一が、滅ぼされた平家の霊たちの前で、「平家物語」の弾き語りをする-という話で、恐ろしさのなかにも悲しみのようなものを感じたことを覚えている。
 先日、人間国宝に認定された奥村さんの演奏会を、大阪・日本橋の国立文楽劇場小ホールに聞きにいった。場内は、認定後初の演奏会ということで超満員。
 曲は、源平の合戦を原拠とした「一の谷」「舟弁慶」、そして「羅生門」の3曲だった。「耳なし芳一」の思い出が鮮烈だったのか、琵琶といえばやはり、源平の合戦を題材にした曲を聞きたいと思った。「一の谷」も「舟弁慶」も、歌舞伎や文楽、能に同じ題材があるからだ。
■「語り」は最も重要な芸能のジャンル
 幕が上がると同時に、旭翠さんの撥(ばち)がおりる。ジャラン、ジャランと聞こえる琵琶の音色は華やかだが、哀愁に満ちている。奥村さんの語りは「一の谷」では、わが子と同い年の平家の公達を討った源氏の武将、熊谷直実の痛切な思いが胸に染みたし、「舟弁慶」では、義経と別れる静御前の深い悲しみを哀切たっぷりに表現、平知盛の霊が復讐の鬼となって現れる後半は、地の底からわき上がるような声で、恨みや怒りを描き尽くした。
 そのとき、私の周囲からすべてのものは消え去った。ただ、荒涼とした海と義経の前に現れた知盛の凄惨(せいさん)な姿だけが見えたのだ。そして、もうひとつ。まるで旭翠さんが、かつての琵琶法師たちのように、源平をはじめ日本人の歴史を語り継ぐ“語り部”のようにも思えたのだ。
 「語り」は日本の伝統芸能のもっとも重要な芸能のジャンルである。言霊(ことだま)という言葉があるが、文楽の太夫の語りを聞くときも、まるで彼らが紡ぐ言葉に魂がこもって、それ自体が意味を持つように思えてくる。琵琶にも、同じような感覚があった。
 もう少し、琵琶を聞いてみようと思う。もしかしたら、琵琶は私のなかで深くなっていくかもしれない。そんな予感がした。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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【詞章が理解できない、物語に起承転結がない、舞の意味が不明・・・能を難しくする3つの壁こそ、実は・・・】亀岡典子
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