中日春秋 2021年1月3日
<牛はのろのろと歩く/牛は野でも山でも道でも川でも/自分の行きたいところへは/まつすぐに行く>。新年はウシ年。高村光太郎の有名な「牛」を連れてくるとする
▼<牛は急ぐ事をしない><ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はつて行く>。この牛は急がないが、着実に前へと進んでいく。<遅れても、先になつても/自分の道を自分で行く>である。<ひとをうらやましいとも思はない/牛は自分の孤独をちやんと知つている>。力強くまわりにも振り回されず、道を行く牛が生きる上でのお手本のように思えてくる
▼光太郎の詩に子どもの時に教わった牛の話を思い出す。牛が十二支に選ばれたいきさつである。競走で決めるというが、足の遅い牛は間に合わないので前の晩から出発することにした。それを牛小屋で見たネズミ。ちゃっかり牛の背に飛び乗った
▼牛は夜通し歩き続けた。背中ではネズミが眠っている。ゴールの直前にネズミは牛から飛び降りて一着入賞。結果、干支(えと)は子(ね)、丑(うし)の順となった
▼憎らしいネズミだが、光太郎の詩や、牛の優しい顔を思えば、牛は気にせず、ただ自分の歩みに満足したかもしれぬと勝手な想像をしたくなる
▼ウイルスとの闘いは今年も続く。日常を取り戻すための歩みは遅くとも焦らず、牛のがまん強さで一歩ずつ前に進むしかあるまい。<見よ/牛の眼は叡智(えいち)にかがやく>−。
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2021.01.03 Sun〉
先の記事『「猫年」は なぜ ないの? 「干支」は なぜ 現在の12種類の動物になった?』でも、ネズミの賢さが強調されていた。どのようなエピソードも、人間以外の生きもののそれは、罪がなく、ほほえましい。