〈来栖の独白 2015.6.6 〉
「麻原の死刑は安保法案審議中におこなわれるという情報がある。世間の関心をそちらに向けるためだ」との記事だが、共犯全ての確定をみていない現時点での松本智津夫死刑囚の刑執行はあり得ない。昨年8月29日(谷垣法相の命令)を最後に死刑執行はないが、何も問題多い麻原彰晃死刑囚の執行企案書を上げねばならないほど法務省は困っていないだろう。別様に、娘の手記出版程度で回避できるほど「死刑執行(阻止)」は甘くもない。
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◇ 「死刑執行、教祖から」と江川紹子氏は云うが・・・/【63年法務省矯正局長通達】に見る行刑の苦難 2011-12-04
(抜粋)
〈来栖の独白 続き〉
上掲タイトルのように、江川氏は、死刑執行「教祖から」と云われる。
死刑執行の現場から考えてみたい。同一事件でも、死刑確定の時期によって刑執行の期日にズレはある。オウム真理教事件のように死刑囚が多勢になれば、全員同日執行は余程の困難が予想される。
期日をずらせばずらしたことにより、拘置所の管理運営は困難を極める。(たとえば、外部交通を遮断したとしても)自分と同事件の死刑囚が執行されたことを耳に入れずに済ませることは、苦肉の策に違いない。耳に入れば、死刑囚は動揺する。心情の安静は保ちにくい。いずれしても、拘置所職員の労苦は、並大抵ではないだろう。
【63年法務省矯正局長通達】
法務省矯正甲第96号
昭和38年3月15日
死刑確定者の接見及び信書の発受について
接見及び信書に関する監獄法第9章の規定は、在監者一般につき接見及び信書の発受の許されることを認めているが、これは在監者の接見及び信書の発受を無制限に許すことを認めた趣旨ではなく、条理上各種の在監者につきそれぞれその拘禁の目的に応じてその制限の行われるべきことを基本的な趣旨としているものと解すべきである。
ところで、死刑確定者には監獄法上被告人に関する特別の規定が存する場合、その準用があるものとされているものの接見又は信書の発受については、同法上被告人に関する特別の規定は存在せず、かつ、この点に関する限り、刑事訴訟法上、当事者たる地位を有する被告人とは全くその性格を異にするものというべきであるから、その制限は専らこれを監獄に拘置する目的に照らして行われるべきものと考えられる。
いうまでもなく、死刑確定者は死刑判決の確定力の効果として、その執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする交通の制約は、その当然に受忍すべき義務であるとしなければならない。更に拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請であるから、その処遇に当たり、心情の安定を害するおそれのある交通も、また、制約されなければならないところである。
よって、死刑確定者の接見及び信書の発受につきその許否を判断するに当たって、左記に該当する場合は、概ね許可を与えないことが相当と思料されるので、右趣旨に則り自今その取扱いに遺憾なきを期せられたい。
記
一、本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合
二、本人の心情の安定を害するおそれのある場合
三、その他施設の管理運営上支障を生ずる場合
〈来栖の独白 続き〉
死刑囚の心情の安静に苦渋するのも刑務官なら、実際に手をかけねばならない(死刑執行する)のも、彼らである。職務とはいえ、人を、白昼、殺さねばならない。
江川氏も含めて、数分でもよい。我々国民一人一人が、現場の人の心情を忖度してみてはどうだろう。
そこのところを、下記論説は言っている。
論壇時評【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】
日本は、「先進国」の中で死刑制度を存置しているごく少数の国家の一つである。井上達夫は、「『死刑』を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』)で、鳩山邦夫法相の昨年の「ベルトコンベヤー」発言へのバッシングを取り上げ、そこで、死刑という過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある、という当然の事実が忘却されている、と批判する。井上は、国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。(大澤真幸 京都大学大学院教授)
「三女の本は嘘ばかり」麻原彰晃四女が語る“一家”のいま
livedoor・NEWS 2015年6月6日 6時0分 『女性自身』
「麻原の死刑は安保法案審議中におこなわれるという情報がある。世間の関心をそちらに向けるためだ。しかも今年に入って死刑執行はまだない。安倍内閣ならやりかねない」(社会部記者)
こんな話が流れるなか、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)の四女・聡香さん(仮名、26)が、本誌インタビューに答えてくれた。聡香さんは5年前に著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)を出版、家族のなかで唯一被害者に謝罪すべきとの立場を鮮明にしてきた。
だが、今年3月、アーチャリーこと三女の松本麗華さんが『止まった時計』(講談社)という手記を出した。また、ブログでも情報を発信している。
「3月20日の地下鉄サリン事件20年の日で、取材は一段落すると思っていました。でも、三女が本を出したことで変わった。本はまったくフィクションと言っていい。なかには尊師は凄いと書いてある。オウムを否定する言葉もない。彼女はオウム的な価値観の中で今も生きていると思います。父については精神疾患を患っていると強調している。つまりこの本は、父の死刑執行を回避することを狙って出したのでしょう。これを元信者さんたちが読んで信仰を取り戻すきっかけになりそうで怖いです」
麻原の家族は現在、みなバラバラで生活しているという。妻の知子さんは次男とともに埼玉県内にあるアレフ本部の近くで暮らし、次女と三女と長男も近所の別宅に住んでいる。長女と四女の聡香さんは一人住まいだ。
公安調査庁は三女のアーチャリーがアレフの幹部になっていると認定、また、麻原が亡くなった場合は、長男と次男が新たな教祖として、教団を継承するとみられている。長女は別として、聡香さん以外はいまだどっぷりオウムに浸かったままと見ていい。
「母親と三女は絶縁状態になっています。母親たちは今でも教団のお金で暮らしています。三女にも取り巻きの元信者がいて、彼らの援助で生活している。父の攻撃的な性格をもっとも継承したのは三女でしたね。だから5歳で後継者に指名された。でも、のちに後継者は弟たちに移りました。教団は長男と次男が継承するというけど、彼らが宗教家になりたいなら、別の宗教をやるべきです。オウムという土台の上に何を積み上げても、私は間違うと思っています」
かつての教団内部については?
「教団を支配していたのは性と暴力でした。父は女性の幹部信者にはほとんど手を出していました。父の子供は全部で15人いるはずです。父だけでなく幹部の人たちにも、みな愛人がいた。性のイニシエーションだと言って、結局父も幹部もやりたい放題だったんです。暴力については、脱会した信者が連れ戻されたとき、逆さ吊りの罰を与えられたのを見ました。私が見たときにはすでに遺体です。これは事件化していないはず。幼いころでしたが、強く印象が残っています」
ここまで語ってくれた聡香さん。きっぱりと教団との距離を置いているのは聡香さんだけだった。
(週刊FLASH6月16日号)
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◇ 「父の死刑は執行すべき」苦悩する松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の四女
◇ 【消えない戦慄 地下鉄サリン事件20年(1)】麻原彰晃死刑囚の四女、明かす「父、獄中から教団に指示」
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