オウム死刑執行
上川法相、歴代最多の計16人執行
毎日新聞2018年7月26日 12時31分(最終更新 7月26日 14時28分)
死刑執行を巡っては当時の法相のスタンスなどから1989年11月から一時的に停止状態になった時期がある。後藤田正晴法相時代の1993年に「再開」されて以降の法相でみると、2回法相を務めた上川陽子法相は前回の在任時も含め、最多となる計16人を執行したことになる。
執行について、上川氏は「鏡を磨くという姿勢で臨む」と繰り返してきた。今月10日の閣議後記者会見で改めてその意味を問われると「鏡を磨いて、そこに映し出されるさまざまな事柄について澄み切った心で向かい合いたいという気持ち」と説明した。
歴代法相の死刑への考え方はさまざまだ。93年3月に3人の執行を命じた後藤田氏はその後の国会答弁で「個人的な思想信条や宗教観でやらない、それなら初めから大臣に就任することが間違いだと思う」と述べた。
「私は(執行の決裁文書に)サインしません」。2005年10月、杉浦正健氏は就任会見で明言した。1時間後に文書で「個人の心情を吐露したもの」と発言を撤回したが、06年9月までの在任中に執行はなかった。
鳩山邦夫氏は1年足らずの在任期間で計13人の執行を命じた。就任から約1カ月後の07年9月の会見では「法務大臣が絡まなくても自動的に、客観的に進むような方法を考えたらどうかと思うことがある」と執行手続きにも疑問を投げかけた。
旧民主党政権で最初の法相を務めた千葉景子氏は就任前、死刑廃止を推進する議員連盟のメンバーだったが10年7月に2人の執行を命じ、実際の執行に立ち会った。その後の会見では「きちっと見届けることも私の責任だと考えた。死刑に関する根本からの議論が必要だと改めて強く感じた」と明かした。
93年以降、1カ月で執行が2度行われたことはない。法務省幹部は「(間が空くと)残された死刑囚の心情が不安定になり、自殺を図る可能性も否定できない。また、不測の事態を防ぐために細心の注意を払う拘置所職員の負担も計り知れない」と説明した。 【和田武士】
◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です *強調(=太字)・リンクは来栖
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◇ 「死刑執行、教祖から」と江川紹子氏は云うが・・・/【63年法務省矯正局長通達】に見る行刑の苦難
〈来栖の独白 追記〉
上掲タイトルのように、江川氏は、死刑執行「教祖から」と云われる。
死刑執行の現場から考えてみたい。同一事件でも、死刑確定の時期によって刑執行の期日にズレはある。オウム真理教事件のように死刑囚が多勢になれば、全員同日執行は余程の困難が予想される。
期日をずらせばずらしたことにより、拘置所の管理運営は困難を極める。(たとえば、外部交通を遮断したとしても)自分と同事件の死刑囚が執行されたことを耳に入れずに済ませることは、不可能であろう。耳に入れば、死刑囚は動揺する。心情の安静は保ちにくい。いずれしても、拘置所職員の労苦は、並大抵ではないだろう。
【63年法務省矯正局長通達】
法務省矯正甲第96号
昭和38年3月15日
死刑確定者の接見及び信書の発受について
接見及び信書に関する監獄法第9章の規定は、在監者一般につき接見及び信書の発受の許されることを認めているが、これは在監者の接見及び信書の発受を無制限に許すことを認めた趣旨ではなく、条理上各種の在監者につきそれぞれその拘禁の目的に応じてその制限の行われるべきことを基本的な趣旨としているものと解すべきである。
ところで、死刑確定者には監獄法上被告人に関する特別の規定が存する場合、その準用があるものとされているものの接見又は信書の発受については、同法上被告人に関する特別の規定は存在せず、かつ、この点に関する限り、刑事訴訟法上、当事者たる地位を有する被告人とは全くその性格を異にするものというべきであるから、その制限は専らこれを監獄に拘置する目的に照らして行われるべきものと考えられる。
いうまでもなく、死刑確定者は死刑判決の確定力の効果として、その執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする交通の制約は、その当然に受忍すべき義務であるとしなければならない。更に拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請であるから、その処遇に当たり、心情の安定を害するおそれのある交通も、また、制約されなければならないところである。
よって、死刑確定者の接見及び信書の発受につきその許否を判断するに当たって、左記に該当する場合は、概ね許可を与えないことが相当と思料されるので、右趣旨に則り自今その取扱いに遺憾なきを期せられたい。
記
一、本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合
二、本人の心情の安定を害するおそれのある場合
三、その他施設の管理運営上支障を生ずる場合
〈来栖の独白 追記〉
死刑囚の心情の安寧に苦慮(苦心)するのも刑務官なら、実際に手をかけねばならない(死刑執行する)のも、彼らである。職務とはいえ、人を、白昼、殺さねばならない。
江川氏も含めて、数分でもよい。我々国民一人一人が、現場の人の心情を忖度してみてはどうだろう。
そこのところを、下記論説は言っている。
[神的暴力とは何か] 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い 暴力抑止の原型 大澤真幸(中日新聞2008/2/28)
日本は、「先進国」の中で死刑制度を存置しているごく少数の国家の一つである。井上達夫は、「『死刑』を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』)で、鳩山邦夫法相の昨年の「ベルトコンベヤー」発言へのバッシングを取り上げ、そこで、死刑という過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある、という当然の事実が忘却されている、と批判する。井上は、国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。(大澤真幸 京都大学大学院教授)
◇ 死刑とは何か~刑場の周縁から 新潮社刊『宣告』 中公新書『死刑囚の記録』 角川文庫『死刑執行人の苦悩』
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◇ 「死刑執行、教祖(麻原彰晃死刑囚)から」という声もあるが---【63年法務省矯正局長通達】に見る行刑の苦難
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◇ 法相別の死刑執行命令数 後藤田正晴(92.12~)---上川陽子(~18.7.6)
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