姉歯英次さん

2005-12-18 | 日録

 今朝4時40分に外を見たときは雪は降っていなくて、夜半に降ったのか路上が僅かに白くなっていた程度だった。6時30分、愛車で家を出たが、ちらほら降っており、教会への道は、思いのほか白くなっている。

 ミサを終えて8時過ぎ、庭に出ると積雪。「シスター。今日は(修院へ)お送りしませんから、歩いて帰ってください」と言うと、「え~、大丈夫よ。送って~」と。車の雪下ろしをしながら「(スリップしたりして)事故にでも遭うといけませんから、今日はお送りできません」と再度言ったが、「大丈夫よ~。事故なんて無いわよ。乗せて頂戴」。雪を下ろしている間に乗り込んでお仕舞いになり、ためらっているもう一人のシスターに「シスターも、お乗りなさいよ」。「乗らないでください」ともう一度私はお願いをしたが、いつもどおり4人が乗車された。目と鼻の先とはいえ、高台の修院へ何とか無事お送りできたが。

 断っても断っても「大丈夫よ~」とおっしゃるのを拒否できない成り行きに、姉歯英次さんを思い出した。姉歯さんは、昨日のNHKの番組で「(偽造が露見して)ほっとしています。(露見しなければ)まだ、続けていたかもしれない」と言っていた。自己の罪を白日に曝すことは、この上ないカタルシス、心の重荷の一つを下ろすことだ。そういう安堵が、姉歯氏の表情から窺われた。

 証人喚問で彼は、「篠塚さんから、(鉄筋量を減らさないと)事務所を替える、と言われた。仕事がとれないと生活できなくなる」と、姉歯さんは言った。そのため長年に亘り偽造を行った、弱い自分がいた、と。偽造が露見しなければ、続けていただろう、と。

 私の弟、勝田清孝も逮捕されたとき「ホッとした」と言った。これで悪事を働かなくて済む、と。虫のいい言い草と聞こえるだろう、「悪事を働かなくて済む」なんて。人は、弱い。悪事であると百も承知で、泣きながら、悪事を働く。自分の悪事のために苦しむ人がいると分かりつつ、止められない。「弱い自分がい」る。その弱い自分を自分では止められず、だから露見・逮捕されて、ホッとするのだ。人間存在の根源的な悲しみが、いま私を浸しているようだ。  


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