安保改定の真実(8)完 岸信介氏「安保改定が国民にきちんと理解されるには50年はかかるだろう」

2015-05-10 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

 産経ニュース 2015.5.10 07:00更新
【安保改定の真実(8)完】岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは…
 昭和35(1960)年6月に入ると、社会党や全学連に扇動された群衆は連日のように国会と首相官邸を幾重にも囲み、革命前夜の様相を帯びた。安保条約の自然承認は6月19日午前0時。それまでに国会や首相官邸に群衆が雪崩れ込み、赤旗を掲げるのだけは防がねばならない。
 当時の警察官数は警視庁で約2万5千人(現在約4万3千人)、全国で約12万7千人(現在約25万8千人)しかおらず、装備も貧弱だった。警視総監の小倉謙は「国会内への進入を防ぐ『内張り』だけで手いっぱいです」と音を上げた。
 通産相の池田勇人(第58~60代首相)と蔵相の佐藤栄作(第61~63代首相)はしきりに自衛隊出動を唱えた。自民党幹事長の川島正次郎も防衛庁長官の赤城宗徳を訪ね、「何とか自衛隊を使うことはできないか」と直談判した。
 困った赤城は長官室に防衛庁幹部を集め、治安出動の可否を問うと、旧内務省出身の事務次官、今井久が厳しい口調でこう言った。
「将来は立派な日本の軍隊にしようと、やっとここまで自衛隊を育ててきたんです。もしここで出動させれば、すべておしまいですよ。絶対にダメです!」
 赤城は「そうだよな。まあ、おれが断ればいいよ」とうなずいた。それでも自衛隊の最高指揮官である首相が防衛庁長官を罷免して出動を命じたら断れない。防衛庁は万一に備え、第1師団司令部がある東京・練馬駐屯地にひそかに治安出動部隊を集結させた。
 6月15日、恐れていた事態が起きた。全学連主流派が率いる学生デモ隊が国会敷地内に突入して警察部隊と衝突、東大文学部4年の樺(かんば)美智子=当時(22)=が死亡したのだ。
 樺の死を知った岸は悄然とした。反対派は殺気立つに違いない。そんな中、第34代米大統領のドワイト・アイゼンハワー(アイク)訪日を決行すれば、空港で出迎える昭和天皇に危害が及ぶ恐れさえある。
 岸はアイク招聘を断念、退陣の意を固めた。だが、公にはせず、腹心で農相の福田赳夫(第67代首相)をひそかに呼び出した。
 「福田君、すまんが内閣総辞職声明の原案を書いてくれ…」
 「こんなに頑張ってこられたのに総辞職ですか?」
 福田は翻意を促したが、岸の決意は固かった。
 6月16日未明、岸は東京・渋谷の私邸に赤城を呼んだ。
 岸「赤城君、自衛隊を出動させることはできないのかね」
 赤城「出せません。自衛隊を出動させれば、何が起きてもおかしくない。同胞同士で殺し合いになる可能性もあります。それが革命の導火線に利用されかねません」
 岸「武器を持たせず出動させるわけにはいかないのか?」
 赤城「武器なしの自衛隊では治安維持の点で警察より数段劣ります」
 岸は黙ってうなずいた。
 6月16日午後、岸は臨時閣議でアイクの来日延期を決定した。これでデモが収束するかと思いきや、ますます気勢を上げた。
 翌17日、警視総監の小倉が官邸を訪れ、「連日のデモ規制で警察官は疲れ切っており、官邸の安全確保に自信が持てません。他の場所にお移りください」と求めたが、岸はこう答えた。
 「ここが危ないというならどこが安全だというのか。官邸は首相の本丸だ。本丸で討ち死にするなら男子の本懐じゃないか」
 新安保条約自然承認を数時間後に控えた18日夜、岸は首相執務室で実弟の佐藤と向き合っていた。
 「兄さん、一杯やりましょうや」。佐藤は戸棚からブランデーを取り出し、グラスに注いだ。
 「兄さん、ここで2人で死のうじゃありませんか」
 佐藤がうっすらと涙を浮かべると岸はほほ笑んだ。
 「そうなれば2人で死んでもいいよ…」
 深夜になると、福田や官房長官の椎名悦三郎らが続々と官邸に集まってきた。
 ボーン、ボーン…。19日午前0時、官邸の時計が鳴った。福田や秘書官らは安堵の表情で「おめでとうございます」と声をかけたが、岸は硬い面持ちでうなずいただけだった。
 自然承認といってもこれで条約が成立するわけではない。両政府が批准書を交換しなければならない。
 このため、「反対派が批准書強奪を企てている」という情報もあった。自民党副総裁の大野伴睦や総務会長の石井光次郎らは批准書交換を円滑に進めるため、岸に内閣声明で退陣を表明するよう求めた。
 福田は6月18日夜、東京・紀尾井町の赤坂プリンスホテルに出向き、大野らに「実は10日前にハワイで批准書交換を済ませている」と説明して納得させた。
 これは岸が思いついたうそだった。日本政府の批准書は、外相の藤山愛一郎が18日に東京・青山の親族宅で署名し、菓子折りに入れて運び出していた。
 批准書交換は23日に東京・芝白金の外相公邸で行われることになった。ここもデモ隊に包囲されるかもしれない。
 「外相公邸の裏に接するお宅二軒にお願いして、いざという場合には公邸の塀を乗り越えて、その家を通り抜け、向こう側へ抜け出せるようにした」
 藤山は、回顧録で批准書交換の「極秘作戦」を明かし、「幸い正門から出ることができた」と記した。
 真実はどうだったのか。
 産経新聞政治部記者の岩瀬繁(86)は外相公邸敷地内で批准書交換が終わるのを正門で待っていた。
 だが、待てど暮らせど藤山は出てこない。暇つぶしに敷地内をぶらぶらしていると、藤山が外相公邸の裏の垣根を乗り越えようとして警護官に持ち上げられているのが見えた。藤山の回顧録はうそだった。「絹のハンカチ」と呼ばれた財閥の御曹司にとって、泥棒のように塀を乗り越えたことは誰にも知られたくない恥辱だったのだろう。
 岸はこの日、臨時閣議を開き、こう表明した。
 「人心一新、政局転換のため、首相を辞める決意をしました…」
 辞任表明したとはいえ、岸は後継問題で頭を抱えた。ソ連の「日本中立化」工作はなお続いており、自民党が政局でぐらつけば、苦労して築いた日米同盟まで危ぶまれる。この難局を乗り切れるのは誰か-。
 福田は、社会党と決別した民主社会党(後の民社党)と連立を組み、初代委員長の西尾末広を後継指名する奇策を編み出した。これならば自民党の内紛を押さえ込むだけでなく社会党も追い込める。岸も乗り気となったが、肝心の西尾が煮え切らず水泡に帰した。
 では自民党で誰を後継指名するのか。岸は神奈川・箱根温泉の「湯の花ホテル」を訪ねた。ホテルを所有するのは、西武グループ創業者で元衆院議長の堤康次郎。岸に遅れて到着したのは、第45、48~51代首相を務めた吉田茂だった。
 岸は首相在任中、堤の仲介で月に1度の割合で吉田との密会を続けてきた。通算2616日もの長期政権を敷いた吉田は、有能な官僚を次々に政界に入れ「吉田学校」と呼ばれる一大勢力を築いていたからだ。
 岸と吉田が後継候補で一致すれば、自民党内の帰趨は決する。堤は、吉田学校のエースである佐藤を推したが、吉田は渋い表情を崩さなかった。
 「姓は違っていても岸さんと佐藤君が兄弟であることは、国民もよく知っているよ…」
 岸は、吉田が誰を推しているのかピンときたが、あえて「それではどなたがよいでしょうか」と問うた。
 「まあ、ここは池田君にした方がよいだろ」
 岸もうなずいた。第58代首相に池田勇人が決まった瞬間だった。
 昭和30(1955)年の保守合同後、自民党には「8個師団」といわれる派閥が存在したが、それよりも深刻なのは「官僚派」と「党人派」の対立だった。
 岸や吉田は官僚派であり、党人派の代表格が副総裁の大野や、農相などを歴任した河野一郎だった。
 岸が政権運営でもっとも苦労したのが党人派との駆け引きだった。昭和34年1月には、党人派の協力を得るため大野と政権禅譲の密約を交わした。岸は、その後の河野の入閣拒否などにより「政権運営に協力する」という前提条件が崩れたので密約は無効だと考えていたが、後継に官僚派の池田を選んだことへの党人派の恨みは深かった。
 昭和35年7月14日、自民党は日比谷公会堂で党大会を開き、池田を新総裁に選出した。午後には官邸中庭で祝賀レセプションが催された。
 岸が笑顔で来客をもてなしていたところ、初老の男がやにわに登山ナイフで岸の左太ももを突き刺した。岸は白目をむいて病院に運ばれたが、幸い全治2週間で済んだ。
 逮捕されたのは、東京・池袋で薬店を営む65歳の男だった。警視庁の調べに「岸に反省をうながす意味でやった」と供述し、背後関係を否定したが、永田町では「大野の意をくんだ意趣返しだ」とまことしやかにささやかれた。
 岸の退陣後、安保闘争はすっかり下火となり、ソ連や中国が狙った民主統一戦線による政権奪取は果たせなかった。
 とはいえ、自民党にも後遺症が続いた。安全保障は議論さえもタブー視されるようになり、結党時に「党の使命」とした憲法改正はたなざらしにされた。
 「安保改定が国民にきちんと理解されるには50年はかかるだろう…」
 岸は長男の岸信和にこう漏らした。安保改定から今年で55年。確かに安保反対派はごく少数となったが、岸の孫である第90、96、97代首相の安倍晋三が進める集団的自衛権の解釈変更などへの野党や一部メディアの対応を見るとあまり進歩は見られない。日本は「不思議の国のアリスの夢の世界」をいつまで彷徨い続けるのか-。(敬称略)
 =おわり
 この連載は、石橋文登、加納宏幸、峯匡孝、杉本康士、花房壮が担当しました。

 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖  

「安保改定の真実」(1)~(8 完)産経ニュース 2015/5/4~2015/5/10 連載 
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〈来栖の独白〉
 団塊世代の私は、朝日新聞を読んで育った。つい数年前まで、大雑把に分別するなら「左巻き」の部類に属する人間だった。そんな私は、上記事に接し胸が熱くなった。私の目に、「安保反対」を叫ぶ人たちの姿が子供じみて映り、岸元首相の国を思い条理をわきまえた姿が大人として映った。
 左巻きで総理にまで上り詰めた菅直人氏は、総理在任中、以下のような非常識を言っている。
>「私が陸海空自衛隊の最高指揮官だそうですね。初めて知りました」
 岸氏と比較して、これほどの違いがあるのだ。とどのつまり、岸氏に確固とした国家観があり、左巻きには国家観など存在しないということだろう。
>「安保改定が国民にきちんと理解されるには50年はかかるだろう…」
 集団的自衛権等をめぐる現在の様相を見れば、岸氏の嘆きが今も止んでいないと痛感する。なんという国であることだろう。
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『防衛省と外務省 歪んだ二つのインテリジェンス組織』 福山隆著 幻冬舎新書 2013年5月30日第1刷発行 
 (抜粋)
p185~
 国家的なクライシスを迎えた場合、まず第1にやるべきことは情報の収集です。質・量ともに十分な情報がなければ、「次の一手」について正しい判断や決定はできません。尖閣諸島漁船衝突事件のような事態が起きた場合、国のトップは、外務省、防衛省、警察庁、内閣官房内閣情報調査室といった部署に「収集すべき情報は何か」を伝え、そこから上がってきた情報を総合的に分析した上で、意思決定を行うべきです。
 しかしあのとき、そういったことが迅速に行われた形跡は、少なくとも私の知る範囲ではありません。おそらく、日頃からそういった危機に備えた訓練もなされていないのでしょう。対外情報機関(日本版CIA)も、情報を一元的に集め処理する機関も存在しないので、いざというときに総合的なインテリジェンスをどのように機能させるかという準備ができていないのです。
 菅政権時代には、戦争にも匹敵する事態が起こりました。いうまでもなく、2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに続く福島原発の事故です。
 あのときに菅直人という政治家が首相の座に就いていたのは、国民にとって実に不幸なことだったといわざるを得ません。というのも、彼が総理大臣になってから初めて自衛隊幹部と面会した時の第1声は、こんなものでした。
p186~
 「私が陸海空自衛隊の最高指揮官だそうですね。初めて知りました」
 国家を預かる最高責任者の言葉とは到底思えません。国家の安全や国民の生命、財産を守るリーダーとしての自覚を全く持っていなかったのです。
 私は防衛駐在官としてソウルに赴任中、朝鮮戦争時の英雄として知られる白善(ペクソニヨプ)氏に親しくしていただき、いろいろなことを教わりました。韓国陸軍の創設に参加し、最初の陸軍大将に任じられた人物です。その白氏に、私はあるとき、「大軍の将はいかにあるべきでしょうか」と問いました。
 「大軍の将は、いま起きているありとあらゆることをすべてしらなければいけない」
 白氏は、そう答えました。つまり「インテリジェンスが大事」だということでしょう。
 戦場には、リーダーが知るべき情報が山のようにあります。例えば、現場の地形や気象、海軍なら、海の潮流や温度分布もそうです。潮流の具合によって音波の屈折も変わりますから、それがわからなければ敵を探知することもできません。
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