麻原彰晃死刑執行後、残された6人にその事実が告げられ、24時間常時監視、独房内から自殺に使われそうなもの、筆記具も取り上げられ

2018-07-28 | オウム真理教事件

元死刑囚 極限状況の3週間
オウム豊田亨死刑囚 執行までの3週間に親友が見た苦悩 麻原執行後に筆記具を取り上げられた〈AERA〉
伊東乾 2018/7/28(土) 13:39配信 AERA#オウム真理教

  
 豊田亨元死刑囚は東大物理学科で究極の素粒子理論を研究する優秀な学生だった (c)朝日新聞社
 極限状況の3週間を、拘置所でどう過ごしたか。麻原執行後、豊田亨死刑囚と面会を重ねた伊東乾氏が寄稿した。
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  7月26日、先週の約束通り小菅の東京拘置所に向かった。特別交通許可者として日常的に接見するオウム事件の死刑確定者、豊田亨君と面会するためだ。書類を窓口に提出すると程なく年配の刑務官から「面会は出来ません」と告げられた。私が待合室にいる間に、彼を含む6人のオウム事犯の死刑が執行された。
  大学1年で知り合い東京大学理学部物理学科、同大学院で共に学んだ親友が突然行方知れずになったのは1992年3月。次に彼が私達の前に現れたときは地下鉄サリン事件の実行犯となっていた。
■筆記具を取り上げられ
 だが、弁護士から連絡があり私が接見するようになった99年時点では、自らの罪を認識し、完全に正気に戻っていた。教祖の過ちを認め、公判では「今なお自分が生きていること自体申し訳なく、浅ましい」と語り、深く悔いていたのだ。最高裁で死刑が確定した2009年以降は特別交通許可者として月に1度程度、時には学生も連れて接見して様々な問題を共に考え、責任の所在や予防教育の必要を議論してきた。
  この夏もAIや機械学習の人道利用、あるいはロボット事故の責任所在など数理と倫理の境界、さらには古代バビロニアやエジプトの数学、ハンムラビ法典「復讐法」とそれを超える修復的正義などを話し合った。
  先週は時間がないとこぼしていた。手紙を書ききれないかもしれないと。夜間に筆記用具が使えなくなった。7月6日に麻原彰晃こと松本智津夫以下7人の死刑が執行された後、残された6人にその事実が告げられ、今の心境、特に自殺したいか問われるという信じがたいアンケートがあったらしい。以後は24時間常時監視、独房内から自殺に使われそうなもの、缶詰なども所持できなくなり、タオルは使用の度ごとに申請、夜間就寝後は筆記用具も取り上げられたと聞く(接見した弁護士による)。
■「命の限り贖罪を」
  そんな事情も知らず、分厚い本など差し入れても、豊田君は丹念に目を通し、正確な議論が記された端正な手紙を送り返してくれた。
 6日の金曜朝の「麻原執行」後、ご家族等と予定がぶつからないよう確認の上、週明けの9日月曜朝に小菅を訪ねた。さすがにやつれきっていた。彼も彼を囲む人々も、私自身も大変に焦燥して厳しい一週間になった。覚悟して迎えた13日金曜、生存を確認して訪れた時の彼の表情を私は生涯忘れない。この金曜を乗り越えて明らかに彼は強くなった。こんな拷問に人は適応してよいのか?という疑問。そしてこんな状況にすら気丈に立ち向かう豊田君の姿。
 「残された時間を精一杯生きる」と、落ち着いた表情で語る豊田君と、私はブロックチェーンや暗号の数理を考え、エジプト式分数を一緒に計算し、古代ハンムラビ法典の野蛮と中世イスラム法の寛容の差を議論した。
  今だから記すが、兵庫出身の豊田君は手元にあった現金にいくばくか足し、匿名で西日本水害被害者救済の義援金に全額寄付して身辺を整理した。
  3月にオウムの死刑確定者が各地の拘置所に移された際、豊田君も東京拘置所内で収監される階が変わり、昔長らく在房した階に戻った。彼は明らかに看守諸氏から一目以上置かれ、大切に遇されていた。9日に面会したときは、被害者への贖罪の言葉とともに「命の限り贖罪し、社会に役立ちたい」と語っていた。こんな人を亡きものにしてはいけない、今後も再発防止などもっともっと働いてもらわなければならなかった。最後の2回の接見で彼はこう繰り返した。
 「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから断たなければ」
  大切な人を今日失ったはずだが未だ全く実感ない。(作曲家・指揮者 伊東乾)
 ※AERA 2018年8月10日号

 ◎上記事は[dot. ]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2018.7.28Sat〉
 オウム13名の死刑囚については、「精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう」ではなく、もはや「自裁させぬよう」との処遇に追い詰められたということか。
 死刑囚は無論哀れだが、行刑当局も監視等、神経の極限の勤務を強いられた。死刑については、拘置所職員の、現場(死刑執行)のみならず、勤務全体が苦悩に満ちている。
 7月27日に開かれた死刑廃止フォーラム90の大会では「13人もの執行はひどい」といった発言が飛び交ったそうだが、死刑の全体を見ようとしない。
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上川陽子法相、歴代最多の計16人死刑執行 2018/7/26 【63年法務省矯正局長通達】に見る行刑の苦難 
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「100年以上前に逆戻り」オウム死刑執行で抗議集会
山田暢史、岡本玄 2018年7月27日23時59分
  オウム真理教の元教団幹部13人の死刑執行に抗議する集会が27日、東京都内であった。元幹部の弁護人らが、再審請求などの手続き中に死刑が執行されたことを強く批判し、参加者たちは「内閣や法相はこれを機に、死刑廃止に向けて方針を転換すべきだ」とする声明を採択した。
 集会は、死刑囚らを支援する市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」や人権擁護団体「アムネスティインターナショナル日本」などが主催した。
 松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚の一審で主任弁護人を務めた安田好弘弁護士は集会で、12人の死刑が執行された1910年の「大逆事件」を挙げ、「死刑をめぐる状況が、100年以上前に逆戻りした」と批判。今回の執行について「再審請求や人身保護請求などの手続き中に行われ、裁判を受ける権利が侵害された」と訴えた。
 遠藤誠一元死刑囚の再審請求で弁護人だった堀井準弁護士は「恩赦の出願もしようと言っていた。非常に残念だ」と語った。堀井氏は、地下鉄サリン事件の散布役で唯一、担当した車両で死者が出なかった横山真人元死刑囚との面会も振り返り「人を殺していない人間を死刑にするのは正義に反する」と声を震わせた。
 端本悟元死刑囚の弁護人だった河井匡秀弁護士は大学1年の時、オウム真理教に勧誘された経験があると明かした。「端本さんはもともと弁護士志望だった。私は勧誘を断ったが、ついて行っていたら逆の立場になっていた。残念で無力感を感じている」と話した。   *  *  *
 豊田亨元死刑囚の弁護人も27日、コメントを発表した。「教団の教義の問題性に気づき、脱会した以上、再犯のおそれもなかった。執行は暴挙ではないでしょうか。死刑にする必要が本当にあったのでしょうか」と執行に疑問を投げかけた。(山田暢史、岡本玄)

 ◎上記事は[朝日新聞DIGITAL]からの転載・引用です
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全13死刑囚執行 再審請求中の執行「暴挙」 豊田元死刑囚弁護団が批判
毎日新聞2018年7月28日 東京朝刊
 オウム真理教の教団元幹部ら13人の死刑執行について、元死刑囚の支援者や市民団体などが27日、コメントや執行前の言葉を明らかにした。地下鉄サリン事件の実行役の一人だった豊田亨元死刑囚(執行時50歳)の弁護団は再審請求中の執行について「暴挙と言えるもの。彼を死刑にする必要が本当にあったのか」と疑問を呈した。
 弁護団は、本人の「自分が生きているだけでご遺族に苦痛を与える」との考えを踏まえ、取材には応じていなかった。「豊田さんは教義の問題性に気付き、再犯のおそれもなかった」と執行を批判した。
 市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」などは27日夜、東京都内で抗議集会を開催。河井匡秀弁護士は、坂本堤弁護士一家殺害事件の実行役だった端本悟元死刑囚(同51歳)との面会状況を明かした。
 早稲田大法学部に在学していた端本元死刑囚は、河井弁護士が再審請求弁護団に加わっている「名張毒ぶどう酒事件」を挙げて「実は僕も名張事件の弁護がしたかった」と漏らしたという。学生時代に教団に勧誘された経験があるという河井弁護士は「彼は私とは逆の立場だったかもしれない。なぜ正義感あふれる青年が引き返せなかったのか。執行せず、今後の教訓に役立ててほしかった」と述べた。【伊藤直孝】

 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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