大石亜矢子さんと(盲導犬)アンさん

2005-08-09 | 社会

 昭和区役所での大石亜矢子さんとアン(盲導犬)のコンサートに行った。オープニング曲はカッチーニの『アヴェマリア』。ピアノの音と大石さんのソプラノが流れ始めると、私は途端に涙が溢れた。世に数あるアヴェマリアと題されている曲の中、大石さんご自身、最も好きというカッチーニのこの曲は、彼女の透明な声と力量を十二分に発揮させて、聴く者の心を打つ。
 明るく楽しいトークを交えて、『夏の思い出』『少年時代』・・・と、プログラムは進んだ。トークも歌も、いつも聴く者の心を癒してくれるものだ。ただ気になったのは、亜矢子ちゃんもアンちゃんも、この暑さで疲労しているように見受けられたことである。アイメイトとして、どこの公演にも同伴し、傍らでじっと待機するアンちゃんは、8歳である。人間なら、56歳くらいに相当する。真夏の日差しの照り返しは、アンちゃんに苛酷だ。
 どうして、亜矢子ちゃんたちは、こんなにも人を浄化するのだろう。
 彼女にとって音楽は不可欠のものである。見えない世界を、彼女は音を頼りに、音楽を楽しむことで生きてきた。人に清らな感動を与えながら、生きてきた。「目が見えないことは少し不便だけど、ハンディだと思ったことはありません」と、彼女は言う。
 「今日は長崎に原爆が投下された日ですね。今年春、私は広島へ(仕事で)行きました。原爆資料館を訪ねました。6月に沖縄へ行きました。ひめゆりの塔を訪ねました。(戦後生まれで)戦争を知らない私ですが、平和を守ってゆきたいと思います。いま日本の中では戦争は行われていませんが、世界のいたるところで戦争の無かった時代はありませんでした。一分でも一秒でも早く平和が実現しますように、と祈りながら『さとうきび畑』を歌います」「日本に戦争は無いけれど、多くの命が簡単に喪われています。『苦しむ顔が見たかった』と云って、人を殺害したという事件がありました。哀しいことだと思います」。
 大石さんの曲に、『グラーツェ』(ありがとう)という曲がある。周囲の人々への感謝を綴った曲である。その歌詞の終わりに、彼女は歌う。 
 ♪この世に生まれてよかった 心から そう思う 涙に負けそうだけど 今日は言わせて 「ありがとう」
 最近流行の現代短歌に、彼女は詠んでいる。「ときに 大泣きしたくなることあり ほんとの自分 あらわる」。
 天性類い稀な清らな魂が、盲目という不便さの中で、この上ない高みに到達しているのではないか、と私は思う。盲目のゆえに、タクシーの運転手に釣り銭を誤魔化されたこともあった。ホームがわからず、なかなか辿り着けずに、電車に乗り遅れそうになったこともあった・・・。
 大石さんとアンちゃんの幸いを祈らないではいられない。天の国は、このような者たちのものである。
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