立ち並ぶ 仏の姿 今見れば 皆苦しみに 耐えしみすがた ~ 『最後の「般若心経」講義』松原泰道著

2005-08-07 | 日録

 遅々として進まず、まだ『甘粕大尉』を読んでいる。私の癖で、ある箇所が気に入ると、そこや周辺を記憶するほど繰り返し読み、あれこれ考え、思いをめぐらすのだが、『甘粕大尉』には、そういった箇所が随所にある。

 著者の角田房子さんは、大正12年の関東大震災から終戦直後の甘粕自決までを、手堅い文体で書き進めている。先に読んだ吉良上野介との類似点も幾つかある。吉良も甘粕も誠実な義に厚い人物である点、松の廊下刃傷事件が柳沢に仕組まれたように、大杉栄殺害事件も軍部によって仕組まれた点など。

 前半、覚えるほどに何度も読んだ箇所; (大杉殺害の一切の泥を被ろうとの覚悟の甘粕に、弁護人が「真実を明らかにしないでは、陛下の法廷を汚すことになる」と詰めよったところ、この「陛下」の一言に甘粕の心は崩れ涙の中から)「実際は私は子供(橘宗一)を殺さんのであります。菰包みになったのを見て、初めてそれを知ったのであります・・・」。 甘粕は、唯一天皇の名のもとに生き、それゆえ日本降伏の5日後自決した。

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 2003年から本年2005年春にかけて、折にふれ引っ張り出しては読んだ『最後の「般若心経」講義』 松原泰道著)。心に残った多くの箇所のうち、以下を転写しておきたい。

“ 三十三間堂をお参りした女流歌人の今井邦子さんが、

 立ち並ぶ 仏の姿 今見れば 皆苦しみに 耐えしみすがた

 と詠んでいます。今井さんは三十三間堂の観音様に、以前にお参りしたときは、観音像という仏像を拝んだのでしょう。その後、今井さん自身がさまざまな苦労を経て、改めて三十三間堂の観音様を拝んだとき、観音様が持つ苦しみに耐えるすがたが自分のこととして実感されたのでしょう。お像は変わらないけれども、今井さん自身が変ったから、観音様の観察の仕方が違ってくるのです。上の句の「すがた」は「姿」となっていますが、下の句の「苦しみに耐えしみすがた」の「すがた」は、仮名で書かれています。もしここに漢字を当てはめるならば、私は人相の「相」という字になると思います。「相」は人相というように、目に見えない内部のものが外ににじみ出た姿です。高村光太郎が「まなこひらきてけふみれば」という「まなこひらく」のように、今井さんの本当の眼が開いたということなのです。”

 小説でも音楽でも、真に優れた作品というのは、読み手、聴き手のその時々(年齢や経験)に対応して響いてくるものなのだろう。私自身全編を読みつくしたわけではいないけれど、例えば源氏物語は、その時々の私に応えてくれた。どこまで底が深いのだろう、と紫式部という著者に驚嘆せざるを得ない。バッハも然り。人間業とは思えないが、正真正銘人間の作ったものだから、こんなにも人を酔わせる。

 信じられないけれど、私ももうこんな歳になった。しかし、落胆ばかりしないでいられるのは、こういった優れた作品を味わうときである。今日の私に、そして明日の私にして初めて理解できる世界がある。山のようにあるはずだ。だいじな人との身を切られるほどに辛い永訣もあったし、いま認知症の老いた母や心を病む子に心砕かれることもある。障碍を背負いながらも明るく生きる友人の姿も・・・。それらを経て、それらの中で、私は「人というものの何であるか」を解りかけたように思っている。鈍い私にも悲しみとかやさしさといった、人のこころの幾許かが理解できるようになり、音楽や書物に表わされた「すがた」の何であるかがわかりかけたのでは、と認識している。「まなこひらきてけふみれば」「皆苦しみに耐えしみすがた」と映るのである。


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