光市母子殺害事件 差し戻し審 死刑判決 重い課題が残された(中日新聞 2008/4/23)

2008-04-23 | 光市母子殺害事件

中日新聞【社説】母子殺害判決 重い課題が残された
 2008年4月23日
 「死刑か無期懲役か」ばかりに関心が集まり、基本的問題が十分論議されなかったのは残念だ。市民が裁く側になる裁判員裁判の実施を前に、刑事司法について真剣に考え理解を深めたい。
 山口県光市で一九九九年に起きた母子殺害事件の差し戻し審は予想通り死刑判決だった。厳粛に受け止めるべき判決だが、ここに至る経緯は異常だった。
 犯行当時十八歳と一カ月だった被告を一、二審が無期懲役にすると、ネットや週刊誌などで激しい攻撃が始まった。妻を暴行され、愛児とともに惨殺された夫が、極刑を強く要求し、テレビはその顔をアップで画面にとらえ、詳しく報じた。一部メディアは死刑を求める大合唱の場になった。
 無期判決を破棄した最高裁、差し戻し審で死刑にした広島高裁の裁判官が、この影響を多少なりとも受けたことは否定できまい。
 その陰で「被害者感情と刑罰の重さの関係」「死刑存廃」それに「刑事弁護の意義」という三つの重要問題が置き去りにされた。
 愛する家族を理不尽に奪われた遺族の憤りは理解できる。だが、メディアがそれを生の形で報じると社会の報復感情をあおり立てることになりやすい。被害感情を量刑に直接反映させると裁判が復讐(ふくしゅう)の場になりかねない。
 被告は中学時代に母親が自殺、実父が若い外国人女性と再婚するなどして不安定な家庭で育った。そうした成育環境が被告の心に与えた悪影響の論議は、最高裁以降かき消されてしまった。
 国際的には死刑の廃止国数が存置国数を上回り、なお増えつつある。日本では真剣な議論が行われないままこの流れに抗し、死刑判決が近年、増加している。
 裁判員裁判では、被害者感情への対応や死刑を含む量刑の判断を市民が迫られる。一人ひとりが自分の責任で意見を言えるよう、考えを深めておきたい。
 殺意を否認した弁護団に対する攻撃も異常だった。タレント弁護士がテレビで攻撃をあおるかのような発言をし、弁護士会に懲戒を求める請求が殺到した。
 どんな凶悪事件の被告にも適正に裁かれる権利がある。それを守る弁護活動が被害者感情、市民感覚と合致しなくても、封じることは許されない。
 犯罪への対応はその社会の成熟度を反映する。裁判員裁判に臨むにあたり、刑事司法をわがこととしてもっと関心を持ちたい。


2 コメント

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Unknown (rice_shower)
2008-04-24 14:31:43
本村さんのインタビュー映像。(http://jp.youtube.com/watch?v=M1RJCiE-hnU) 
メディアにより、“死刑をめぐる遺族対弁護士の対立”という構図に仕立て上げられたり、また編集などにより本意が歪められて報じられるのを嫌い、公判後の記者会見以外は取材を受けて来なかったそうですが、以前より親しい宮崎、藤井両氏なら、ということで判決前に事件、死刑について語っておられます。 
「(死刑判決となれば)妻、娘だけでなく、被告の死をも背負って生きていく」 あまりに重く、悲痛な言葉です。
今回の判決が妥当か否かの法律論は別として、被告は本村氏をこのような心境に追い詰めた罪だけは心底から悔やんでもらいたいです。
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初めまして。 (F.O)
2008-04-24 20:34:25
 ここは、なかなか良い議論がなされていますね。小生にも、少し書かせてください。

>被告の死をも背負って生きていく
 何、言ってるんです?もう死後の記者会見ですか。気が早いですね。被告は(未決であり)生きているんです(「生かされている」と、言うそうです)。被告も弁護団も公正な判断が下されるよう、疎外と誤解の中、「命」の限り闘うでしょう。
 多分、こういう、人や命をさっさと見限るところが、本村氏の冷徹な人間性なんでしょう。言葉ではそれらしいことを言うが、匂いも体温も感じられません。
 本村氏の言い分には、矛盾が多い。「事件の真相究明を」と言いながら、死刑に繫がらない真実は無視する。
「命の尊厳のために、死刑を」とかも言いましたが、それこそ「荒唐無稽」の論理。死刑を取りたいがための屁理屈です。尊厳のための死刑なんて、噴飯もの以外の何ものでもありません。こんなことを、何の恥ずかしげもなく言う。

>以前より親しい
 ならば何故、両氏は、本村氏に、弁護士への懲戒請求という愚挙をさせたんでしょうか。止めなかったんですか。
 本村氏の不幸は、犯罪被害者ということもあるけれども、裸の王様になっちゃったってことでしょう。
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