“他人事”と考えてはいけない! 中国の「邦人死刑問題」から日本人が学ぶべき教訓
DIAMOND online News&Analysis 2010年4月23日 友清 哲
今月、中国で麻薬密輸罪に問われた日本人4名の死刑が執行された。邦人による薬物犯罪に極刑が科されたというニュースは、大きなインパクトをもたらした。外交上の駆け引きの末に執行された今回の刑には、多くの識者から遺憾の声が挙がり、海外と日本の司法制度の違いにも、改めて注目が集まっている。我々日本人は、今回の事件から何を学ぶべきだろうか?(取材・文/友清 哲、協力/プレスラボ)
国内で物議を醸した政府の「死刑外交」今後、海外で邦人への極刑が増える?
「果たして、正当な裁きだったのか?」
先日、麻薬密輸罪に問われた邦人4名が中国で処刑されたニュースには、多くの日本人がショックを受けた。
薬物犯罪は、確かに重罪に違いない。しかし、程度にもよるだろうが、日本で麻薬や覚醒剤を売買したり、それを常用していることが発覚しても、極刑を課せられることはまずない。邦人が対象になったという感情論も絡み、「日本とは異なる司法制度と言われても何か解せない」という思いを抱いた関係者は、多かったと言われる。
まず、事件の経緯を振り返ってみよう。
今回の死刑執行に際し、中国当局はあらかじめ日本政府に対して、執行日を通告している。これを受け、社民党党首の福島瑞穂・消費者・少子化担当相をはじめ、様々な立場の識者から「執行に反対すべきでは?」という声が上がった。
4月3日付の読売新聞は、「日中外交筋は、まず3月29日に通告された赤野光信死刑囚(65)への刑の執行に関し、『日本の反応を見るために揚げた観測気球だった』と見ている」と報じた。果たして、顔色を窺われた鳩山政権の対応は適切だったか?
実は、中国側の慎重な動きの“伏線”が、昨年末にあった。やはり中国で麻薬密輸罪に問われていた英国人死刑囚に対する刑の執行が、12月29日に行なわれた一件である。
結果として刑は執行されたが、英国政府は人権問題の観点からこれに強く反発する姿勢を見せ、「両国の関係に支障をきたすのではないか」との懸念も生じていた。
中国当局は、今回「同じ轍を踏まぬよう日本の出方を探った」と言われるが、鳩山首相は「司法制度の違いとはいえ、日本から見れば残念なこと。いかんともしがたい」と述べるに留めている。
平野博文官房長官もまた、「国民感情への影響に懸念がある」と発言はしたが、中国政府に対して表立った批判はしなかった。結果、中国は赤野死刑囚を含む4人に対して、次々に刑を執行するに至った。
こうした一連の流れを受け、日本弁護士連合会は、「日本政府が国民の生命に対する権利を守るための要望を(中国政府に)行なうことなく、4人の尊い人命が失われることになったことは極めて遺憾」と声明している(朝日新聞4月10日付より)。
なまじ強い反発を見せた英国政府のケースが記憶に新しいだけに、「日本政府の弱腰外交が浮き彫りになった」と揶揄する声も少なくない。
そもそも中国は、1972年の日中国交正常化以降、対日関係への影響に配慮して、日本人死刑囚への刑の執行を手控えてきたと言われる。司法判断の是非は別としても、今回のケースは、中国側にある種の「免罪符」を与えてしまったことになりはしまいか――。関係者の懸念は広がるばかりである。
国によって大きく異なる司法制度意外な厳罰が課せられるケースも
今回の事件を機に、改めて各国の司法制度を考察してみよう。
グローバル化が進み、あらゆる国に長期滞在するビジネスマンや旅行者が増え続けるなか、この問題は我々にとっても「対岸の火事」ではない。日本人滞在者が多い中国やシンガポールをはじめ、日本と異なる判例を持ち、外国人の薬物犯罪などに対して厳罰を課す国も少なくないからだ。
もちろん、自ら犯罪に手を染めたなら弁解の余地はない。だが、犯罪に巻き込まれて厳罰を科せられるという「不測の事態」もあり得なくはない。各国の刑罰事情を知っておくことは、常日頃からリスクヘッジを徹底する意味においても重要だろう。
まず、多くの日本人が渡航するEU(欧州連合)の事情はどうか? EUの参加国は、「死刑の廃止」をEUへの加盟条件としている。そのため、EU各国には死刑制度を存続させている国はない。 欧州においては、もともと極刑の廃止を早くから採択している国が多い。これは、カトリック思想の影響で19世紀から廃止を採択していたポルトガルや、ナチス政権の反省によって廃止が決定したドイツなどの事例が、大きく影響している。
このため、世界的に見て極刑が存続しているケースが比較的多いとされるイスラム国家でも、トルコはEU参加を期に廃止している。
21世紀に入り、世界的に見ても死刑は消極的になりつつある。アムネスティ・インターナショナル日本のデータによると、あらゆる犯罪行為に対して死刑を廃止している国が95ヵ国、通常の犯罪のみ廃止している国(戦時中など特異な状況においての犯罪や軍法上の犯罪のみ適用される可能性がある)が9ヵ国ある。
また、事実上の廃止国(明文化されていないが、過去10年間に一度も執行していないか、国際的な公約をしている国)は韓国など35ヵ国。合わせて139ヵ国が死刑を事実上廃止している。
それに対して、死刑が行なわれている国は日本を含む58ヵ国となっている。米国では、州によって存在する州と存在しない州があるが、直近の2009年には52人の刑が執行された。テキサス州は伝統的に執行数が多く、全体的に見て治安の安定している北部が廃止しているケースが多い(参考:Death Penalty Information Center)。
一方で、日本人から見ると「厳し過ぎるのではないか」と思える判例を持つ国家も存在する。中国に次いで極刑の執行数が多いイランでは、「イスラム法」に基づく刑を採用している。他宗教の支持者のほか、同性愛者まで対象になるという。
同じく、イスラム法による裁きが行われるサウジアラビアは、「世界で最も極刑になる確率が高い国」と言われる。その対象は、強姦の被害者である女性、同性愛者、窃盗犯にも及ぶ。裁判では、アラビア語以外での裁判を認めない、イスラム教徒以外の証人を認めないなどの制度もある。
多種多様な民族が暮らす世界において、国家の考え方はそれぞれである。現状では、主に民主主義国家が極刑を廃止し、それ以外の国家が存続させている傾向が強いと言える。
日本で盛り上がる「死刑廃止論」石田衣良氏が懸念する議論不足とは?
翻って、自らが死刑制度を維持し続ける日本は、今回の事件からどのような教訓を学ぶべきか? 過去には日本でも、外国人に極刑が課せられたことがある。
そのこともあり、ここにきて「死刑廃止論」がさらに盛り上がりつつあるようだ。しかし、作家の石田衣良氏は「そう単純な話ではない」と指摘する。
「そもそも死刑というのは、その国々の刑罰や犯罪の歴史と密接に関わっているもの。だから欧州で言われているように、『理性的な存在であるべき国家が殺人を犯してはいけない』という論調で単純に割り切れるものではないはずです。日本や中国、そして米国などにおいて、いまだに死刑が廃止されていない事実が象徴的ですよね」
もともと死刑には廃止論が付き物だが、それを差し引いても現在の日本はまだまだ「議論不足」と石田氏は指摘する。
「昨年、日本で執行された死刑は7件。それに対して、中国では数千件が執行されていると言われます。こうした数字で単純に比較できるものではありませんが、『今の日本の制度はそれほど悪くないのではないか』と個人的には思っています。欧州からの死刑廃止論を鵜呑みにするのではなく、それによって議論が高まっていくことが大切なのでは? 死刑適用の基準や終身刑の導入に加え、性犯罪や覚醒剤など再犯率の高い罪については、米国の三振法も一考に値します。死刑について皆がもっと知ったうえで、その是非を議論することが重要でしょう」
ちなみに「三振法」とは、米国で1990年代に導入された州法で、罪の種類に関わらず有罪判決を3度受けた時点で終身刑を確定させるというもの。犯罪率の抑制に効果的であると擁護される反面、凶悪犯罪者ではなくても重罪を科せられるケースもあり、著しくバランスを欠くとの意見も根強い。
このように、刑罰のあり方は国によって大きく異なる。石田氏が指摘する通り、海外事例をモデルケースに学ぶことも多いはずだ。
「一番問題なのは、どことなく世間に“お上に任せてあるから大丈夫”という空気が感じられること」という石田氏の言葉が示唆するものは、とても大きい。今回のニュースを耳にして、あなたは何を感じただろうか?
12.死刑とは何か~刑場の周縁から | |||
13.「死刑とは何か~刑場の周縁から」追加ファイル |
あなたがたびたびこの件でメッセージしているので、多分死刑に対しては批判的なのだろうと思い、私の考え方を再度述べさせていただきます。
他の国は、先進の国々はこうだから、日本も先進国として認知してもらいたければ、それらの国の制度に倣うべきではないか、のような風潮は、あまり歓迎できる選択ではありません。
日本でも、放火や誘拐という行為に対しては、必要以上の重罪が待っています。国によってその罪悪性というものには違いが散見されるのです。
世に許し難い罪というものはあるのです。
私は人数で死刑、無期を決定するのは、間違っていると思っています。
たとえひとりであっても、なぶり、いたぶりながらの殺しであったり、快楽殺人などでは、即死刑であっても良かろうに思います。
人を無慈悲に殺せば、そのツケ、トガは無慈悲に受ける事になっても止むを得ません。
誰でも人は言動、行動のツケはやがて払わなければならなくなるのは、必然です。
殺人を為したら死刑が待っている・・・・という制度によって、殺人を躊躇する者たちは確かにいるのです。
だから日本に来る者たちも、それを理解してくるように教育をしなければなりません。
また、中国等へ旅行する者たちに対しても、薬物事犯にも死刑があり得る事情を納得させるのが、旅行時の鉄則です。
前にも言いましたが、死刑の死と殺人の死とは同じではないのです。絶対に同じ「死」としてのスタートラインで物事を語ってはならないのです。
今晩は。
>あなたがたびたびこの件でメッセージしているので
弊ブログは、管理人(来栖)のための備忘録ともいうもので、「http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/のポケット」であり「新聞記事等のファイルブック」の役割を担っています。当エントリも、私自身のメッセージではありません。
コメントですが、他所でお勉強を積まれるか、或いは恐縮ですが拙HPをお読みくださった後になさいますよう。今回までは反映させますが、今後のお約束はできかねます。多分この程度のコメントでは、承認できないと思います。