深い目覚めから生き方の模索へ
今、愚と悲の回復を(上)中日新聞2009/11/21Sat.
全く行き先がみえない。、不透明な、そして殺伐とした時代を私たちは今生きています。しかしどうでしょうか。人間が生きていくということは、いつの時代であってもたいした変わりはないように思われます。いつの時代も、誰にでも「苦」はつきまといます。
「昔はよかった」という人がいます。しかし私は過去をただ美化したりすることに賛成できません。過去の学ぶべきものを学び、今の一念を生ききることが、未来を切り拓くものだと私は考えます。
私はながいあいだ、人間の「愚」ということについて考えてきました。およそ千四百年前の聖徳太子に「我かならずしも聖(ひじり)にあらず。彼れかならずしも愚(おろか)に非ず、ともに凡夫(ただびと)のみ」という語があります。
言葉を変えて言えば「どのような人間も、人間以上でも、以下でもない」ということです。
聖徳太子に対する議論はここではおくとしても、これらの語の世界は「人間に共通する愚かさ」についての凝視です。洋の東西を問わず賢人と呼ばれる人間には「愚」への深い目覚めがありました。日本天台宗の祖、最澄は自己を「愚中の極愚」(極めつきの愚か者)といいました。
これらの徹底した自己へのまなざしは、いうまでもなく真理を体得した「仏」の教えの前に立たされた自己のいつわらないすがたでした。そのことへの深いめざめから生き方への模索が始まりました。
また、鎌倉時代、法然は「愚痴十悪の法然房」(愚かきわまりなく、無数の悪に染まった私)ということを、口癖のようにいっていたと伝えられています。
その法然を「よきひと」と私淑し「法然聖人の行かれるところなら、誰がなんといおうとも、たとえ地獄であったとしても私は参ります」(親鸞の妻、恵信尼の手紙)とまで言い切ったのが親鸞でした。
その親鸞は自己を「愚禿親鸞」(愚かでさとりの智慧をもたない私)と名のりました。その名のりは念仏弾圧事件(承元の法難、1207年)によって、越後に流罪されたのちのものです。
私は念仏弾圧事件により配流の身となった。したがって私は僧ではない。しかし、単なる俗に埋没して生きる者ではない。(しかればすでに僧に非ず俗に非ず)。このような理由から私はこれ以後、禿(智慧のひとかけらもない)という字をもって私の姓とする(拙訳)
と主著『教行信證』に示されています。「愚禿親鸞」が、流罪後の新しい名前でした。
親鸞のこの新たなる名のりは、「悪性さらにやめがたし」「無慚無愧のこの身」(人に恥じることも、天に恥じるこころもない私)「虚仮不実のわがみ」(嘘でぬりかためたような私)という親鸞のきびしい自己認識の上に成り立つものであることは、いうまでもありません。
これらの親鸞の人間認識に対して、あまりにも悲観的、虚無的であるといわれることがあります。そうでしょうか。私はむしろ、今日のように、見せかけの明るさ、おもしろさだけが歓迎されるような世相は、むしろ、それこそが虚無そのものであるような気がしてなりません。
今、私たちのどこに真の悲しみがあるでしょうか。自己が悲しいという人はいても、自己を悲しむという人はいない時代になりました。
今、回復すべきは人間「愚」への目覚めと「悲のこころ」にあると考えるのです。
私たちの日常にあっても、世界の状況を見ても今や「愚」はおろか、みせかけの賢さとおごり(慢)が氾濫しています。そこから主張される「正義」というものが、いかに悲惨な世界をうみだすか、という事実にこころを配りたいと思います。最近『愚の力』(文春新書、大谷光真著)という本を読みました。人間中心の考え方がいかに、社会をゆがめてしまったかという視点を機軸とした好著です。ここにも「愚」へのめざめの大切さが示されています。
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山崎龍明(やまざき りゅうみょう)1943年、東京都生まれ。浄土真宗法善寺住職。著書に『歎異抄を生きる』『ポケット 親鸞の教え』など。
今、愚と悲の回復を(上)中日新聞2009/11/21Sat.
全く行き先がみえない。、不透明な、そして殺伐とした時代を私たちは今生きています。しかしどうでしょうか。人間が生きていくということは、いつの時代であってもたいした変わりはないように思われます。いつの時代も、誰にでも「苦」はつきまといます。
「昔はよかった」という人がいます。しかし私は過去をただ美化したりすることに賛成できません。過去の学ぶべきものを学び、今の一念を生ききることが、未来を切り拓くものだと私は考えます。
私はながいあいだ、人間の「愚」ということについて考えてきました。およそ千四百年前の聖徳太子に「我かならずしも聖(ひじり)にあらず。彼れかならずしも愚(おろか)に非ず、ともに凡夫(ただびと)のみ」という語があります。
言葉を変えて言えば「どのような人間も、人間以上でも、以下でもない」ということです。
聖徳太子に対する議論はここではおくとしても、これらの語の世界は「人間に共通する愚かさ」についての凝視です。洋の東西を問わず賢人と呼ばれる人間には「愚」への深い目覚めがありました。日本天台宗の祖、最澄は自己を「愚中の極愚」(極めつきの愚か者)といいました。
これらの徹底した自己へのまなざしは、いうまでもなく真理を体得した「仏」の教えの前に立たされた自己のいつわらないすがたでした。そのことへの深いめざめから生き方への模索が始まりました。
また、鎌倉時代、法然は「愚痴十悪の法然房」(愚かきわまりなく、無数の悪に染まった私)ということを、口癖のようにいっていたと伝えられています。
その法然を「よきひと」と私淑し「法然聖人の行かれるところなら、誰がなんといおうとも、たとえ地獄であったとしても私は参ります」(親鸞の妻、恵信尼の手紙)とまで言い切ったのが親鸞でした。
その親鸞は自己を「愚禿親鸞」(愚かでさとりの智慧をもたない私)と名のりました。その名のりは念仏弾圧事件(承元の法難、1207年)によって、越後に流罪されたのちのものです。
私は念仏弾圧事件により配流の身となった。したがって私は僧ではない。しかし、単なる俗に埋没して生きる者ではない。(しかればすでに僧に非ず俗に非ず)。このような理由から私はこれ以後、禿(智慧のひとかけらもない)という字をもって私の姓とする(拙訳)
と主著『教行信證』に示されています。「愚禿親鸞」が、流罪後の新しい名前でした。
親鸞のこの新たなる名のりは、「悪性さらにやめがたし」「無慚無愧のこの身」(人に恥じることも、天に恥じるこころもない私)「虚仮不実のわがみ」(嘘でぬりかためたような私)という親鸞のきびしい自己認識の上に成り立つものであることは、いうまでもありません。
これらの親鸞の人間認識に対して、あまりにも悲観的、虚無的であるといわれることがあります。そうでしょうか。私はむしろ、今日のように、見せかけの明るさ、おもしろさだけが歓迎されるような世相は、むしろ、それこそが虚無そのものであるような気がしてなりません。
今、私たちのどこに真の悲しみがあるでしょうか。自己が悲しいという人はいても、自己を悲しむという人はいない時代になりました。
今、回復すべきは人間「愚」への目覚めと「悲のこころ」にあると考えるのです。
私たちの日常にあっても、世界の状況を見ても今や「愚」はおろか、みせかけの賢さとおごり(慢)が氾濫しています。そこから主張される「正義」というものが、いかに悲惨な世界をうみだすか、という事実にこころを配りたいと思います。最近『愚の力』(文春新書、大谷光真著)という本を読みました。人間中心の考え方がいかに、社会をゆがめてしまったかという視点を機軸とした好著です。ここにも「愚」へのめざめの大切さが示されています。
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山崎龍明(やまざき りゅうみょう)1943年、東京都生まれ。浄土真宗法善寺住職。著書に『歎異抄を生きる』『ポケット 親鸞の教え』など。