また会う日まで 2017/2/6 「妻をめとらば曽野綾子」「あとは野となれ山となれ」 / 作家たちが司法解剖を見学する機会があった 

2017-02-06 | Life 死と隣合わせ

2017.2.6 05:03更新
【産経抄】また会う日まで 2月6日
 文芸記者だった小欄の先輩が、新聞連載の仕事で曽野綾子さん宅へ通い始めた頃の話である。用件が終わると、夫の三浦朱門さんが必ず顔を出す。美貌の奥さまに焼きもちをやかれているのではないか、と思ったそうだ。「誤解」はすぐに解けた。
 ▼三浦さんに用事がある時には、曽野さんが現れた。先輩は、三浦さんの論証と曽野さんの感性が奏でる見事な会話のハーモニーを大いに楽しんだ。「妻をめとらば曽野綾子」。三浦さんが色紙にこう記すと、曽野さんが見事な下の句を付け加えた。「あとは野となれ山となれ」。夫妻の共著、対談が多いのも当然である。
 ▼今月3日、91歳の天寿を全うした三浦さんは、阿川弘之さんや遠藤周作さんら作家仲間との交友録でも知られる。文化庁長官への就任も、2人にけしかけられたものだ。もっともあまりの忙しさに音を上げて、2人に相談した。
 ▼「阿川は『お前、まだやっているのか』と無責任なことを言う。遠藤にいたっては、『俺の息子はお前の仲人で結婚したからもういい』ですよ」。つまり、文化庁長官の肩書はもう必要ないというのだ。辞任に際して、ユーモアたっぷりに語っていた。
 ▼もちろん、お互いの文学を理解し、認め合った上での軽妙なやりとりだった。「神という主人もちでは、自由であらねばならぬ作家にとって致命的だという批判がありました」。遠藤さんの葬儀で、三浦さんが読んだ弔辞の一文である。
 ▼カトリック作家ゆえの遠藤さんの若き日の苦しみを伝え、強く記憶に残った。三浦さん夫妻も敬虔(けいけん)なカトリック教徒である。その葬儀では、『また会う日まで』という歌で死者を送るそうだ。三浦さんもこれまで見送ってきた多くの友と、再会を果たしているだろう。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です 
――――――――――――――――――――――――
中日春秋(朝刊コラム)
2017年2月6日
 作家たちが司法解剖を見学する機会があったそうだ。松本清張さんは死体に自分の長い髪がかかるほど熱心にのぞき込む。遠藤周作さんは「おまえら残酷やな。人間性にかけとるぜ」と解剖室を出ていく。吉行淳之介さんは最初から解剖室には行かないで、控室にとどまりウイスキーをずっと飲んでいたという
▼解剖室での反応に作家の特性が出ていると、やはりその場にいた作家が語っている。亡くなった三浦朱門さんである
▼こう続けている。「私は解剖室のすみで、そういうみんなを観察していた」。三浦さんの説でいえば、やや離れた場所で人間たちをそっと見守る態度の中に、自分の作家としての特性を見いだしていたのだろう
▼三浦さんたち「第三の新人」といえば、落第生、劣等生の悲哀やユーモアを思い浮かべるが、落第生を公言していた安岡章太郎さんの本当の成績はかなり良かったと聞く
▼優等生の印象が強い、三浦さんにも似たところがあるようで「自分は学校で三番目の不良だった」とこだわって書いているのがおかしいが、成績だけでは人を測ることはできないという思いは後年のゆとり教育の推進にもつながったか
▼若い時、吉行さんがこう言ったそうだ。「おまえは病気とは無縁な顔だ。おれが死に仲間が死んでいくと、おまえだけが弔辞を読むんだろうな」。そうなった。九十一歳の「新人」が逝く。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
――――――――――――――――――――――――
曽野綾子独占手記 夫・三浦朱門を自宅で介護することになって そのとき、私は覚悟を決めたのです 『週刊現代』2016年9月24日・10月1日合併号
--------------------
『人間の分際』 幻冬舎新書 曽野綾子著
.......


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。