土浦8人殺傷事件「減刑すべき事情も矯正の可能性も全くない」と死刑求刑
産経ニュース2009.11.1
茨城県土浦市のJR荒川沖駅周辺で昨年3月、通行人ら8人が殺傷された事件などで、殺人罪などに問われた金川(かながわ)真大(まさひろ)被告(26)の論告求刑公判が13日、水戸地裁(鈴嶋晋一裁判長)で開かれた。検察側は「身勝手極まりない動機に基づく計画的な無差別通り魔殺人で、反省もなく、減刑すべき事情も矯正の可能性も全くない」として死刑を求刑。金川被告は「何も言うことはありません」として最終弁論を行わず、結審した。判決は12月18日。
検察側は論告で、犯行動機を「誰でもいいから多くの人を殺害して死刑になるため」と指摘。「犯行は計画的で執拗(しつよう)かつ卑劣、残忍極まりない。遺族や被害者の処罰感情は峻烈」と断じ、「反省の態度はなく、更生の可能性は皆無と言わざるを得ない」とした。
弁護側は弁論で責任能力は認めつつも「心神耗弱については合理的疑いが残る」と主張。また、量刑については「死刑を望む被告に死刑を処することは、強盗殺人犯にお金を渡すようなものだ」として、死刑は不当と訴えた。
論告によると、金川被告は平成20年3月19日午前、同市中村南の無職、三浦芳一さん=当時(72)=を文化包丁で刺殺。同23日午前に、同市荒川沖のJR荒川沖駅構内などで、文化包丁とサバイバルナイフを振り回し、阿見町うずら野、会社員、山上高広さん=当時(27)=ら8人を殺傷したとしている。
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土浦8人殺傷事件(金川真大被告) 弁護側最終弁論
産経ニュース2009.11.13
弁護人「これまでの鑑定結果から、被告の心神喪失の疑いは払拭(ふっしょく)できました。だが、心神耗弱については合理的な疑いが残ることをこれから説明します。また、純粋に量刑論としても死刑は適当でないことを述べます。これから具体的な内容を説明します。(捜査段階の検察側の)鑑定人は『完全責任能力がある』としましたが、先ほどの心神耗弱の合理的な疑いは拭い去ることはできないことを説明します。検察官の意向で鑑定書に変更を加えた疑いが残ります。当初の鑑定書では精神医療上の治療が必要などとされていました。その鑑定書には作成年月日や鑑定人の署名押印まであり、正式な鑑定書として作成されていました。だが、(法廷に)証拠として提出されたものは簡易版でした。これは検察官が鑑定人と協議して作成したものであることは明らかです。鑑定人は、(被告が)統合失調症の初期症状を疑う『犯罪者ロマン』などの特徴には当てはまらないと言っています。ですが、ここでは統合失調症の特徴である妄想・幻覚・幻聴が挙げられていません。被告が統合失調症に罹患(りかん)していたか、何らかの精神疾患に罹患していた疑いは捨てきれません。鑑定書では能面検査の結果についても記載されています。25点以上が統合失調症の罹患の疑いがあるとされますが、被告は18点、30点、22点、22点、20点、20点と、比較的高い数値を示しています。また、グラフ化したものでは、星形に近い形か、半分が星型になっています。これは星形に近いと統合失調症の急性期を示唆するものです。実際には健常者と、精神障害者の境界的事例と推認されます。
強固な信念や、強い確信が妄想と同じ働きをしました。死刑になりたいという強い信念、人を殺しても悪くないという確信。それらのことが、被告の『殺人は悪』という認識に狂いを生じさせ、『(殺人は)たいしたことでない』として犯行に及んだのではないでしょうか。この鑑定人の鑑定書をもって、(統合失調症の罹患などによる心神耗弱の)合理的な疑いを否定できません。(2度目の鑑定を行った)鑑定人は是非弁識能力などに影響はなかったと鑑定書に書いており、(捜査段階の鑑定と)合致していません。強い確信と信念と共感性の欠如で、社会常識や法律が間違っていると考えました。その共感性の欠如から殺人行為に至りました。人を殺してはいけないという法が間違っているという被告。殺人は許されないという判断はできませんでした。是非弁識能力を自分の意志で発揮できなかったのでは。金川被告は『この世の信念を悟った』と言っています。この信念に反する事実を列挙しても、聞く耳をもちません。これは妄想・幻覚・幻聴とほとんど変わらないのではないですか。責任能力に影響する妄想と、(金川被告の)強い信念はあまり変わらないのではないですか。少なくとも鑑定人2人は自己愛性パーソナリティー障害から、『人を殺してもいい』という強い信念があったといいます。これらのことから本件犯行当時に、著しい障害があった合理的な疑いが残ります。
死刑適用をめぐる量刑論では、最高裁昭和58年7月8日のいわゆる永山事件判決があります。この判決以降の死刑判決事案では、ほぼ例外なく、この判例が示した適用基準に沿って量刑事情が検討されていると言ってもいいでしょう。
以下では、過去の似たような事件と比較しながら検討していきます。
《弁護人は「少なくとも外形的に似ている」として、池袋無差別殺傷事件、下関無差別殺傷事件、池田小学校無差別殺傷事件-の3事件を例にあげた》
本件の動機はきわめて特殊で、過去の同種事案とは決定的に異なっています。過去の事例が、おおむねすべて、社会への復讐(ふくしゅう)心や鬱憤(うっぷん)、不満を爆発させるという動機であったにもかかわらず、本件の被告人の場合、純粋に死刑になることそのものを目的として犯行を敢行されている。この点がきわめて大きな特殊事情です。いずれにせよ、死刑になりたいという動機は、人を複数殺害したら死刑にするという法規範に合致した動機であり、少なくとも何らかの自分勝手な欲望を満たす、という通常の動機とは、異なっております。
『金のために人を殺す』という強盗殺人と、本質的には変わらない、という見方もできます。被告人を死刑にすることは、金のためなら人を殺すという人に金を与えるのと、全く同じことをすることになります。
どんな殺害手段をとろうとも、『人の生命を奪っているから残虐だ』と認定することは可能です。およそすべての殺人は、死刑適用基準の『残虐性』を満たすことになってしまいます。本件の場合、ことさら、その目的以上の肉体的、精神的苦痛を与えるような方法で、殺害行為に及んでいるとはいえません。
客観的には、過去の3例には見られない、きわめて特殊な例です。第三者に取り押さえられたのでもなく、自らの意志で一連の犯行を終わらせて自首しています。
一見すると、被告の行動は固い決意に基づくと見てとれますが、よく考えると不思議なことに気づきます。1月当時、アルバイトをやめてからは、丸一日が自由時間でした。(時間が十分あったのに)事件に着手するまでに、あまりに時間がたちすぎていないでしょうか。意識的ではなかったにせよ、被告人は、少なくとも無意識的に犯行を躊躇(ちゅうちょ)していたとも考えられます
被告人は荒川沖事件に関して、制服警官がいたらやらなかった旨供述しております。荒川沖事件の当日、警察は私服姿で配置についていました。制服姿であれば、少なくとも荒川沖事件は防止できた可能性は大であります。一般人ですら(金川被告の様子に)異常を感じていました。警戒に当たっていた警察官が異常に気づくことは、十分に可能であったといえます。
2名の方の命が奪われ、7名の方が負傷されました。結果が重大であることは間違いありません。処罰感情が厳しいことは当然と思います。しかし、同種事件と比較すると、ことさら突出はしておりません。被害者や遺族の方の被害感情については、ご本人以外には知り得ないので軽々しくはいえないが、ここでは特殊性があることをいくつか指摘します。
被害感情の点から、安易に死刑に処するのではなく、罪の重さや遺族の苦しみを理解して、一生かけて償わせる、という選択肢もありうるのではないでしょうか。
被告人にとって、死刑は苦痛ではなく、むしろ『生きる価値のない人生を終えられる唯一の救い』であるともいえます。死刑になりたいという理由で無差別殺人を行ったら死刑に処せられる、というメッセージを(社会に)送ったら、模倣するものが現れるおそれがある。これは絶対に防がなければいけません。一般予防の見地から、被告人を死刑にするのは、むしろ逆効果です。(必要なのは)『死刑になりたいからと無差別殺傷をしても、簡単に死刑にはなれない』というメッセージではないでしょうか。『複数を殺せば死刑になる』という死刑適用基準が、荒川沖事件を促したともいえるわけです。
被告が犯行に至った背景には、自己愛性パーソナリティー障害性に基づく特殊な信念があります。そのような人格形成の大きな原因の一つは、被告が家族や他人とのコミュニケーションを学習できていなかったことです。
《金川真大被告(26)は小学校入学前、父の仕事の都合で上海や米ニューオーリンズで暮らした》
母親は、被告をニューオーリンズの幼稚園に通わせたが、現地の友達とほとんど会話ができなかったと供述しています。また、両親とも無口で、兄弟姉妹もすぐ口をきかなくなる家族関係であったことから、家庭という場が、コミュニケーションを学ぶ場にはなり得なかったように思えます。
冬の修学旅行の感想文を書いたころから、全く異質の人物に変容しています。
《沖縄への旅行で、金川被告は「ひめゆり部隊」の犠牲者を冒涜(ぼうとく)するような感想文を書いていた》
同時期に、すぐ下の妹は不登校になり、母親との関係もきわめて険悪化しています。妹はその後、長期間にわたって母親と口を利かず筆談していたというから、異常というほかありません。両親とも、家庭内の異常状態を放置したまま過ごしてしまった感があります。手に負えない問題には、気づかずにフタをしてしまうような対応だったと言わざるを得ません。
被告は、犯罪傾向や反社会的傾向を示す行動は、本件犯行以外にほとんど見受けられません。人を殴ったこともありません。唯一、犯罪に追いやる誘因があるとすれば、死刑だけです。死刑願望を消滅させることができれば、被告の再犯はあり得ないといって過言ではありません。社会に対して攻撃したいわけではなく、社会から退場したいというのが被告の本音です。
被告の死刑願望は、自己愛性パーソナリティー障害や何らかの精神障害から発生している疑いが濃厚で、今後の長期的な治療によって消滅することは十分考えられます。(金川被告が唯一の目的とする)死刑になる道が完全に絶たれたとき、初めて被告はこれから先の人生と向き合うことになります。
被告は、圧倒的に現実社会の経験が不足している状態で、現実社会はつまらないと思いこんでいるに過ぎません。思想、信念は決して根深いものだとはいえません。長期的な治療や矯正教育で十分改善の余地があります。
以上、諸般の事情からすれば、被告は、本件各犯行時に心神耗弱状態であったという合理的な疑いが残り、仮に完全責任能力を有すると認定できるとしても、量刑論として、死刑判決が相当とは思えません。
《続いて、もう一人の弁護人が立ち、これまでの立論を要約するように、死刑を回避すべき理由の説明に入った》
死刑を望む者にとって死刑を与えるのは無意味です。むしろ、被告にご褒美を与えるようなものです。被告は自己愛性人格障害の治療を受けさせたうえで、更生し、被害者への供養を続けさせることこそ、本件事件の量刑にふさわしいものと弁護人らは思量します。つまり、無期懲役であります」
《最終弁論が終わり、金川被告の最終陳述が行われる。鈴嶋晋一裁判長が金川被告に声をかけた》
裁判長「被告人は証言台の前へ」
《金川被告は立ち上がろうともしない。視線を動かすこともなく、長くのびたあごひげをしきりになでている。何か、もごもごと話したようだが、そのまま、黙り込んだ。そして一瞬、ちらりと鈴嶋裁判長に視線を向け、また戻した。刑務官は金川被告の周囲を固め、不測の事態に備えている。金川被告は相変わらず沈黙したまま。視線も動かさない。報道陣や傍聴人もかたずをのんで見守る。沈黙のまま1分ほど経過した》
裁判長「…最終陳述の手続きを行うので、被告人は証言台の前へ」
《金川被告は動かない。両手の親指をもぞもぞとこすり合わせ、しきりに瞬きをする。落ち着かないしぐさだ。数分間、その状態がしばらく続いた後、キッと鈴嶋裁判長に目を向けて叫んだ》
金川被告「何も言うことはありません!」
《再び黙り込んだ金川被告。異様な緊張感が法廷を包む。しばらくして、裁判長が落ち着いた声で話し始めた》
裁判長「被告人が最終陳述を放棄したものとして、手続きを進めることにします。次回の期日は…」
《判決言い渡しは12月18日午前10時からと指定された。金川被告はメガネをむしるように外し、ポケットに収めた。そして、おとなしく腰縄をつけられた。鈴嶋裁判長が閉廷を宣言、今度は傍聴席に視線を動かすこともなく、前を見据えたまま、法廷を退出していった》
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関連;土浦8人殺傷事件 被告人質問1 (第3回公判)2009/06/05