清原和博、タニマチ自殺にショック 2017/4/11 通夜に姿を見せた清原の頬はこけ、目は虚ろだった 

2017-05-07 | 相撲・野球・・・など

清原和博、支援の「付き人」自殺にショック 周囲の懸念は…

   告別式で

 棺に納められた遺体に向かい、清原和博(49)は「なんでや、なんでや……」と、涙をこぼしながら語りかけていた。“付き人”として、これまでのシャブ抜き生活を支えた六本木のサパークラブオーナー(43)が突然、自ら命を絶った。清原のあまりの憔悴ぶりに、周囲は、再び覚醒剤に手を出すのではないかとハラハラしているという。
 ***
 4月11日、愛知・稲沢市の葬儀場で、そのオーナーの通夜は営まれた。
 その場に姿を現した清原はシワだらけの喪服姿で顔色も悪く、かつてのスーパースターの面影はなかった。
「清原さんは5分くらいしか、通夜にはいませんでしたけど、かなり落ち込んだ様子でした。焼香のときは、“なんでや、なんでや……”と目を拭いながら、亡骸に言葉をかけていました」
 と、オーナーと旧知の仲の人物が明かす。
「首吊り自殺したのは、その3日前の早朝でした。交際していた女性と揉め、LINEで“死んでしまえ”“死んでやる!”というやり取りがあったみたい。その後、連絡が取れなくなったため、その女性が自宅マンションを訪ねて発見した。これと言った理由があるわけではなく、酔った勢いで衝動的に死を選んでしまったのです」
 清原は、翌12日の告別式にも参列し、隅っこの席で約1時間半、うつろな表情で座っていたという。
 もともとオーナーは、清原が西武ライオンズ在籍のころからの飲み仲間。昨年3月に警視庁から保釈される際には運転手を務め、入院した千葉・松戸市の病院前に張り込む報道陣に、焼肉弁当を差し入れたりもした。
■2つの精神的支柱
 清原はその死をどう受け止めているのか。
 親しい知人が言う。
「周囲は、“きっとマスコミが待ち構えているから”と、通夜に参列するのを押し止めようとしました。でも、清原は“大切な親友が亡くなったんや。義理を果たしに行かねばならんのや”と、葬儀場に向かった。保釈後、精神的なアップダウンの激しかった清原が頼りにしていたのは、逮捕前から結婚を前提に交際を続けているハーフの元銀座ホステスとそのオーナーだったのは間違いありません」
 オーナーは、気持ちが塞いで自宅に引き籠りがちな清原を励まし続けたという。
「運転手役を買って出て外に連れ出したり、昨夏には、旅費を負担して宮古島への旅行もさせました。現在、清原は週に1回、薬物カウンセリングを受け、一方、糖尿病も治療中で痩せるためのジムにも通っている。自殺直後はかなり落胆し、言葉も出ないような有り様でしたが、徐々に元気を取り戻し、ようやくジムには出かけるようになりました」
 突然、2つの精神的な支柱のうちの1つを失い、そのショックが覚醒剤への呼び水にはならないのか。
 元近畿厚生局麻薬取締部長の西山孟夫氏は、
「これまでの経験から、覚醒剤もタバコと同じで3年経てば、再び手を出す可能性はグッと下がります」
 と解説する。
「逆に言えば、3年は要注意です。清原さんは裁判で、覚醒剤使用は離婚や子どもに会えない寂しさからだったと明かしました。事件から3年経っていないこととも考え合わせると、近しい方が亡くなられたショックが、覚醒剤を再使用するキッカケにならないとも限りません。でも、人生に別れは付きものです。この不幸な出来事を乗り越えられるかどうかが、清原さんの試金石になります」
 人生をやり直せるか、再び転落するのか。再犯率がグッと下がる3年まで、あと1年半残っている。
 ワイド特集「花の命は短くて」より 週刊新潮 2017年4月27日号 掲載 
  ※この記事の内容は掲載当時のものです

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
――――――――――――――――――――――――
タニマチ急死で引きこもる清原、元妻からは「支援できません」と通告
週に4度は食事をする仲だったが
 「あの日以来、目の下はクマで真っ黒。重度の糖尿病で酒も飲めず『オレのせいや……』と夜な夜な泣きじゃくっているそうです」
 清原和博(49歳)の近況を知人男性はこう語る。
 清原に唯一残った「タニマチ」だった飲食店オーナー・I氏が自殺したのは4月8日のこと。
 数日後にI氏の出身地である愛知県内で営まれた通夜に参列するため、久々に公の場に姿を見せた清原の頬はこけ、目は虚ろだった。
 「式場に入ってきた清原さんは、最初こそぼーっと立ち尽くしていましたが、遺影の前に立った瞬間から肩を震わせてむせび泣いていました。焼香の列に一緒に並んだ人が立ち去ってもなお、Iさんの下の名前を呼びながらじっと手を合わせ続けていたのが印象的でした」(式に参列した女性)
 それもそのはず、逮捕以降、周囲のあらゆる人に見放された清原をひとり支え続けていたのがこのI氏だった。
 「現役時代から清原の大ファンだったIは、保釈後に清原が住むマンションの手配はもちろん、週に4度は清原と食事を共にして話し相手となり、外出の際は車の送り迎えもすべて自分でやっていた。週に一度のジム通いの時も常に付き添っていました」(前出・知人男性)
 保釈後は「一心同体」と言えるほど親密だったI氏が逝去したいま、氏が経営していた店の部下が食事を持ってマンションを訪れるか、時おり大阪の知人が差し入れを持って訪れる以外は訪ねる人もなく、家の中でひとりジッと息をひそめているという。
 「Iは清原と離婚した亜希夫人とも面識があって連絡をとっていましたが、逮捕後のある時、電話で『悪いけど、今後こちらでは面倒は見られませんので』と告げられたそうです。
 自業自得なので当然ですが、清原が溺愛していた2人の息子にも会わせてもらえない。逮捕前に清原と懇意にしていた野球選手や経営者たちからも軒並み支援を断られたそうで、『キヨさんにはもう誰もいない、俺が支えるしかないんや』と繰り返し言っていました」(前出・知人男性)
 大阪在住の清原の両親はいずれも存命だが、母親は長らく入院し、父親も足腰が弱っていて、とても清原の面倒を見られる状況ではない。
 「逮捕前まで清原の後見人だった大手芸能事務所の幹部が『俺の目の黒いうちは清原を表舞台には立たせない』と激怒しており、タレントとして芸能界に戻ることもできない。
 これから清原が生計を立てる道を探すべく、I氏が出資して大阪で飲食店をやらせるという話もありましたが、I氏の死で白紙に戻ってしまった」(スポーツ紙記者)
 黒い関係を断つため、周囲の勧めで携帯電話の番号を変えた清原だが、最近になって新たな番号を聞きつけた怪しい人物たちから電話がかかってくることが増え、動揺した様子だったという。
 「Iは『キヨさんのところにヤクの売人から電話がかかってくるから、弱ってる時につけこまれないよう俺が見守ってないと』と心配していました」(前出・知人男性)
 唯一無二の友人を失った清原に訪れる「本当の孤独」。再び道を踏み外さぬよう、祈るばかりだ。
  「週刊現代」2017年5月6日・13日合併号より
――――――――――――――――――――――――
清原和博氏「薬物は本当に恐ろしい化け物で怪物で悪魔 子供たちに自分の父親が逮捕された姿を二度と見せたくない」 スポニチアネックス 2016/12/24

  

---------------------------------
清原和博氏、来年から入れ墨「消す」…恩人・佐々木主浩氏との約束、病院も手配 スポニチアネックス 2016/12/24 

  
-------------------
清原和博被告の裁判 懲役2年6か月を求刑 2016/5/17 「執行猶予つけず、実刑を科すべし」(来栖の独白)
----------
「番長」清原和博の「さみしすぎる」ボッチ正月 2016 離れて暮らす息子、認知症の母親への思いと涙
...........


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。