『九十歳。何がめでたい』佐藤愛子著 グチャグチャ飯

2018-05-21 | 本/演劇…など

〈来栖の独白 2018.5.21 Mon〉
 ここ1週間ほど、以前読んだ『九十歳。何がめでたい』を、また引っ張り出して読んでいる。著者の温かさ、はっきりした物言いに元気を与えられる。私も、昨年10月17日、可愛い「くろのすけ」(猫)を亡くしている。亡くなる半年前くらいからは、医者通いを繰り返した。「腎不全」と言われた。思い出さない日は、ない。私はくろのすけにご飯の手作りをしたことはないが。

『九十歳。何がめでたい』佐藤愛子著 2016年8月6日 初版第1刷発行 2017年12月2日 第23刷発行 小学館発行

p110~
 グチャグチャ飯
 今年の6月、ハナが死んだ。
 ハナは14年前、北海道の私の別荘の玄関の前に捨てられていたメス犬だ。生まれて2,3ヵ月というところか、両の手のひらに乗っかるくらいの大きさだった。夜が白々と明ける頃、クークーキャンキャンと啼く声に家中が目を覚ましたのだった。(略)
p111~
 (前段略)
 私は犬を飼いたいと思っていない。前にいたタローという犬が死んだ後、暫くは犬を飼うのをやめようと思っていたのだ。飼いたくないのに(どこの何者ともわからぬ勝手者のために)飼わなければならなくなっていることへの理不尽な事態に、ハラワタが煮えくり返る思いだった。
 しかし人恋しさに足もとにすり寄っているこの小さき者を、北狐の出没する荒野に放棄することは出来ない。チクショウ!と私は憤怒しつつ、「飼うしかない」と決心したのだった。
p112~
 東京の家へ連れて来られた犬コロは、孫によってハナという名がつけられた。(略)
 ハナはタローが使っていた小屋を当てがわれ、家の中には気の向いた時しか入れてもらえず、いつもテラスからガラス越しに私を見ていた。私が居間にいる時は居間のガラス戸の向こう、応接間で来客と向き合っている時は応接間のガラス戸の向こうからこっちを見ている。
「このワンちゃんはいつも佐藤さんを見つめているんですねえ。よっぽど可愛がられているんですね」
 と何人ものお客からいわれた。私は特別にハナを可愛がってはいない。(p113~)日々の暮しのついでに飼っている、という気分だった。何しろ私は忙しいのだ。ハナに心を寄せる暇などなかった。(略)
p114~
 そんなある日、思い出したことがある。北海道の別荘でハナを飼うことに決めた翌日のことだ。朝の5時半、けたたましい啼き声に窓を開けると1匹の北狐がハナをくわえている。思わずコラーッと怒鳴って窓から飛び降りると、狐はハナを放して一目散に逃げて行き、ハナは手鞠が転がるように私に向かって走って来たのを受け止めて抱き上げると、額に狐の牙の痕が血を滲ませていた。
 その時のことをハナは忘れないのだろう。ハナは私を「命の恩人」だと思っているのだ。その恩人が東京の家では少しもかまってくれないが、ハナは失望もせず、黙って遠くから「恩人」を見守っているのか。見守る癖がついてしまったのかもしれない。そのうち気がついた。ハナは自分の小屋では寝ずに、私の寝室の外のテラスで毎晩寝ている。春や夏はともかく厳寒の頃も替わらない。ハナは私を守っているつもりなのだろうか。
p115
(略)
p116~
 だが、「それでいいのです。ドッグフードなら栄養も考えられているし、第一、糞が臭わないのがいい」と皆がいう。そうかもしれない。そうかもしれないが、そうでなければいけない、ということもないだろう。そう考えて私はハナのご飯は昔ながらの残飯主体の汁飯にしていた。昆布だしを取った後の昆布を細かく刻んで必ず入れた。この昆布飯でタローは20歳まで生きた。タローの前のチビは19年生きた。ハナもそれくらいは生きると私は固く思い込み、昆布入りの残飯を食べさせているから、うちの犬は長命なのですと自慢げにいったりしていたのだ。
 しかし15年目の春が過ぎた頃から、ハナは昆布飯ばかりか何を与えても食べなくなり、お医者さんから「腎不全」だといわれた。腎不全用のドッグフードを勧められたが、何も食べず飲まず、昼は居間、夜は私のベッドの下で2ヵ月ばかり寝起きして、ある夜、死んだ。あの昆布入りの汁飯がいけなかったのか? 思うまいとしても思ってしまう。
p117~
 私の胸には呵責と後悔の暗い穴が開いたままである。自分の独断と冷たさへの呵責だ。冷たい飼い主なのにハナの方は失望せずに慕ってくれた。そのことへの自責である。
 ある日、娘が親しくしている霊能のある女性からこんなことを聞いて来た。
「ハナちゃんは佐藤さんに命を助けてもらったっていって、本当に感謝していますよ。そしてね、あのご飯をもう一度食べたいっていってます」
 そのご飯がその人の目に見えてきたらしい。
「これは何ですか? なんだかグチャグチャしたご飯ですね?」
 不思議そうにその人はいったとか。途端に私の目からどっと涙が溢れたのであった。 


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