
「訴訟大国アメリカ」の次なるターゲットに? 世界一の自動車メーカー・トヨタを待ち受ける更なる壁 NHK「追跡!AtoZ」取材班
DIAMOND online 2010年02月26日
――トヨタはなぜここまで追い詰められてしまったのか?
アクセルペダルの不具合などで、全世界でのべ1000万台にのぼるリコールを行なったトヨタ自動車。日本でもプリウスのブレーキをめぐるリコールの対応に追われている。
品質の高さを誇っていたトヨタへの信頼を揺るがす一連のリコール問題をめぐっては、消費者の声に対する反応が鈍かったことも問題を大きくしている。トヨタはなぜここまで追い詰められてしまったのか。今回の問題で、日本企業は何を教訓として学ぶべきなのだろうか。
世界最大の自動車メーカー トヨタの盲点
2年前、GM・ゼネラルモーターズを抜き、世界最大の自動車メーカーとなったトヨタ。生産台数は2000年代に急増。毎年60万台のペースで増えていった。その急拡大を支えていたのがリコールの震源地アメリカでの生産だった。トヨタは現地化を進める中で、地元の部品メーカーとの取引を増やしてきた。
今回リコールの対象の1つとなったアクセルペダルの部品。トヨタはこの部品について、日本の部品メーカーとアメリカの部品メーカーCTSの2社から調達。このうち、CTS社製の部品に不具合が見つかった。
アクセルペダルは本来、踏みこんだ後にバネの力で戻るようにできている。しかし、この部品の先端の接合部は、長期間使うと磨り減ってゆく。さらに冬季などに冷えた車内を暖房で一気に暖めた際、そこに結露が生じて水滴がつく。すると部品の先端が貼りついて離れにくくなり、最悪の場合、アクセルを踏み込んだ状態のまま戻らなくなるおそれがあるというのだ。
2社の部品は、形も構造も大きく違う。摩擦に対する強さも違う。日本製は摩擦に強く、今回のような不具合が起こりにくい構造となっている。同じ部品をなぜ、設計の違うアメリカのメーカーから調達したのか。豊田章男社長は、
「部品も現地調達を増やしてゆくことが、現地の雇用を拡大することにつながる。車作りを通じて地域社会に貢献することがベースにある」
と説明した。
ではなぜ不具合が生じたのか。トヨタは車が使われる様々な条件を想定して、部品の品質テストを繰り返してきた。しかし、今回のような普段水気のないところに水滴が生じるケースまでは想定しきれなかったと認める。トヨタのようにグローバルに展開する企業となると、運転がどのような条件で行なわれるかも千差万別。何をテストするかは技術者の洞察力に基づくが、そうした洞察力をもつ技術者を世界に何人も派遣するのは難しい、と解説する。
初期対応の遅れが さらに傷口を広げる結果に
さらに今回のリコール問題をめぐっては、トヨタの初期対応に疑問を投げかける声も大きい。例えば、「アクセルペダルがフロアマットにひっかかり戻りにくくなる」という苦情が消費者の間に広がった際、トヨタは当初「車の構造には問題が無く、あくまでフロアマットの使い方の問題だ」という姿勢をとり続けた。
NHKが入手したアメリカ運輸省の内部文書によると、リコール対応を求めたアメリカの監督当局との間では、再三にわたって食い違いが生じていたことがわかる。アメリカ側は去年12月15日に日本を訪れてトヨタの幹部5人と直接面談し、対応の改善を求めた。このときの模様についてトヨタの佐々木副社長は、
「フロアマットを正しく敷いていただくことが望ましいと言ったときに、トヨタはまだそんなことを考えているのか、と厳しい言葉を頂いた」
と回想している。
トヨタはなぜアメリカ当局の真意を読みきれなかったのか。日本の企業の専門家は、
「危機管理の権限が本社に集中し、アメリカ人社員から良いアドバイスを得られる問題についても、そのチャンスを活かせなかったからだ」
と指摘している。トヨタが長年にわたって築き上げた顧客や政府当局の信頼を取り戻すのは容易ではない。
こうした中アメリカ議会は2月23日から、トヨタのリコール問題をめぐって2日続けて公聴会を開く。そこでトヨタ批判の急先鋒に立つと見られるのがカリフォルニア州選出のアイサ下院議員。自らもトヨタ・レクサス車のハンドルを握るアイサ下院議員は、公聴会を前にトヨタのディーラーを訪れ、トヨタがリコール問題にどう対応しようとしているのか視察した。公聴会では、
「安全に関わる問題が起きたとき、トヨタがどのように対処し、素早く解決してゆこうとしたのか具体的に聞きたい」
と話している。
訴訟大国アメリカという更なる壁も
トヨタには、訴訟社会というアメリカ特有の壁も待ち受けている。アメリカ国内ではいまトヨタ車に欠陥があるとして訴訟を起こす人が増えている。
訴訟を手がける弁護士の1人ティム・ハワードさんは、これまでにもたばこ会社などを相手に巨額の賠償金を勝ち取ってきた。今回はリコール問題をきっかっけにトヨタ車の下取り価格が下がり始めたことをとりあげ、トヨタにその差額を償うべきだという訴訟を起こしている。
ハワードさんは、
「トヨタには資産があるからなんなく勝ち取れると思う。もっと問題が大きくなればさらに請求できると思っている」
と話す。
このようにトヨタが訴訟のターゲットとなっているのは、世界一の自動車メーカーになったことで、これまで以上に訴訟の対象として狙われやすくなったからだという見方がある。自動車研究センターのショーン・マカリンデン副所長は、
「一番売り上げを誇る企業が一番注目されるのは当然。それ相応の代償を払わなければならない」
と話している。
その一方でトヨタを信頼し続ける人もいる。トヨタが24年前から進出しているケッタッキー州では、工場でおよそ7000人を雇用し、地域経済に貢献している。さらに障害者のための乗馬クラブの建設費として日本円で2300万円あまりを寄付するなど、地域への貢献もはかってきた。地元の人々からは、
「この町に大きな産業が無い中で、トヨタは何千人もの生計を支えてくれた」
などと評価する声が多く聞かれる。ケッタッキー州のランプシェード知事も、トヨタの工場を抱えるほかの3つの州の知事と共同で、議会に対しトヨタを擁護する書簡を送った。ランプシェード知事は、
「今回のリコール問題は必要以上に騒がれすぎている。公聴会では、トヨタのこれまでのアメリカ社会への貢献がきちんと評価され、公平な扱いを受けることを望んでいる」
と話している。それでもリコール問題をめぐるトヨタへの風あたりは、強まるばかりでいっこうに収まる兆しを見せない。トヨタはアメリカ社会の信頼を取り戻すことが出来るのか。公聴会はその行方を占う大きな鍵となる。(文・番組取材班 子田章博)
取材を振り返って
【鎌田靖のキャスター日記】
今週のテーマはトヨタのリコール問題。日本では想像できないくらい、アメリカでは大きなニュースになっています。なぜか? 経営トップがすぐに記者会見をしなかったことなど、対応の遅れが原因のひとつだったと言わざるを得ません。
先日の記者会見で豊田章男社長は、私の質問に対し、
「私の登場が遅れてしまったことは、もうやってしまったことで大変申し訳ないと思っています」
と率直に述べています。
今回の問題、では専門家はどう見るのか? 番組のゲストの1人ノンフィクション作家の佐藤正明さんの説明はこうです。
「リコールは決して悪くはないことなのです。それで不具合は直せるわけですから。メーカーにとっても財産になっていくのです。ところが今回、トヨタはリコールに対して敏感になりすぎて、対応が後手後手になってしまった。だから問題が実態以上に大きくなってしまったのです」
もう1人のゲスト、危機管理会社を経営する田中慎一さんは、
「危機管理で最も重要なことは、それによって影響を受けた人への十分なコミュニケーションです。今回の場合は消費者ということになりますが、コミュニケーション不足は否めません。日本の企業はいつもここで失敗している。今回もこの弱さが露呈したといわざるを得ない」
と分析してくれました。
それにしてもアメリカのメディアの扱いを見ていると「ジャパンバッシングに近いんじゃないか」と感じてしまうこともままあります。この点についてアメリカの自動車ジャーナリスト、ミシェリン・メイナードさんは番組でこう否定しました。
「80年代とは違って、トヨタはアメリカ社会に歓迎されています。またゼネラルモータースとクライスラーを守るために政府はトヨタ批判をしているのだという意見もあります。私は、今回の問題は純粋に安全の問題だと考えています」
ヒステリックにならず私たちも冷静に見ていく必要があるのでしょう。
さてこの問題、最大の山場が今週開かれるアメリカ議会の公聴会です。豊田社長が議会を納得させられるのか、対応を誤ればこの問題さらに長引く恐れがあります。トヨタの、これまでの、そしてこれからの対応は、日本の製造業が真にグローバル企業として生き残るにはどうすればよいのかを図らずも示すことになるのです。
※この記事は、NHKで放送中のドキュメンタリー番組『追跡!AtoZ』第34回(2月20日放送)の内容を、ウェブ向けに再構成したものです。
事実かも知れません。 でも、それはバンクーバーをホーム化出来なかった、JOC and/or 世界の人々を受け手と捉え得ていなかった日本メディアの力不足の証左でしょう。
細部には、時に神が、時に悪魔がやどる、と言われますね。
悪魔を機能美で排する、知性と汗と尖鋭なる繊細の昇華。 折れない心。
これが日本の文化だと思うのです。
専門的なことは何も分からない私ですが、採点傾向に変化があったようですね。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/a2248b39230c78191300c975b1a3e4f0
3回転半を3回も成功させた浅田選手。キムヨナ選手はプロに転向するとかも言われていますね。「金」を取ってしまえば、五輪に残っている意味はありません・・・ね。
>時に神が、時に悪魔がやどる
凡愚のたった一度の経験ですが、まだ手掛けた(稽古を始めた)ばかりのピアノ曲でしたが、何かに導かれるように間違えることなくうまく弾き遂せたことがありました。後にも先にもあの時限りの事で、柳の下の泥鰌には会えていません。電子系統に乗っかったと申しますか、不思議でした。
『あのときだれかぼくの魂を訪れたような気がする』というのは、『カラマーゾフの兄弟』の中のアリョーシャの呟きです。私も、『だれかが魂を訪れたような』そんな感覚に包まれたことがあるのです(ピアノに関しては、上の一回きりですが)。その「だれか」が、私を支えてくれました、今も。五木寛之氏の言葉によれば、「他力」ということかも、と思います。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/hon-dosto1.htm
彼はなんのために大地を抱擁したか、自分でも知らない。またどういうわけで、大地を残るくまなく接吻したいという、おさえがたい欲望を感じたか、自分でもその理由を説明することができなかった。しかし、彼はなきながら接吻した、大地を涙でうるおした。そして、自分は大地を愛する、永久に愛すると、夢中になって誓うのであった。『おのが喜悦の涙をもってうるおし、かつその涙を愛すべし・・・』という声が彼の魂の中で響き渡った。いったい彼は何を泣いているのだろう? おお、彼は無限の中より輝くこれらの星を見てさえ、感激のあまりに泣きたくなった。そうして『自分の興奮を恥ようともしなかった』ちょうどこれら無数の神の世界から投げられた糸が、いっせいに彼の魂へ集まった思いであり、その魂は『他界との接触に』ふるえているのであった。彼はいっさいにたいしてすべての人をゆるし、それと同時に、自分のほうからもゆるしをこいたくなった。おお!それは決して自分のためでなく、いっさいにたいし、すべての人のためにゆるしをこうのである。『自分の代わりには、またほかの人がゆるしをこうてくれるであろう』という声が、ふたたび彼の心に響いた。しかし、ちょうどあの蒼穹のように毅然としてゆるぎのないあるものが、彼の魂の中に忍び入るのが、一刻一刻と明らかにまざまざと感じられるようになった。何かある観念が、彼の知性を領せんとしているような心持ちがする、----しかしそれは一生涯、いな、永久に失われることのないものであった。彼が大地に身を投げたときは、かよわい青年にすぎなかったが、立ちあがったときは生涯ゆらぐことのない、堅固な力を持った一個の戦士であった。彼は忽然としてこれを自覚した。自分の歓喜の瞬間にこれを直感した。アリョーシャはその後一生の間この瞬間を、どうしても忘れることができなかった。『あのときだれかぼくの魂を訪れたような気がする』と彼は後になって言った。自分の言葉にたいして固い信念をいだきながら・・・
三日の後、彼は僧院を出た。それは『世の中に出よ』と命じた、故長老の言葉にかなわしめんがためであった。
描かれている世界の重さ、深さと、その、ある種、軽快とも感じられる物語性の間の“齟齬感”にとらわれ(読解力不足ゆえでしょう)、それっきりになってしまいました。
三島に耽溺していた時期だったからでしょうか.....。(ドストエフスキー好きの友人は「三島は小説ではない!」と言っていましたっけ)
読み直したい、と思って何十年(?)、脳の体力が減退する一方で.....。(あるボリュームは何とかならんかい!)
良い短編は無いですか。 トーマス・マンの『ベニスに死す』みたいな。
細部に宿る悪魔(であったか、神であったかは主観の領域かも知れませんが)を見極められなかったのか。
トヨタのリコールを見てそう感じて、先のコメントをした次第です。
>三島に
三島由紀夫は、皆目と言っていいほど読んでいません。ちょっとだけ思い出話を。まだ少女の頃、『鹿鳴館』を新派の舞台で見ました。水谷八重子。これによって、私は舞台といいますか、劇といいますか、そういったものの愉しさ、面白さ、力に開眼(!)、とりつかれたのでした。
三島由紀夫といいますと、必ず並んで想起しますのは、水上勉さんです。『金閣寺』と『金閣炎上』http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/hon14-kinkakuenjou.htmです。この2作品に、私は、二人の作家の出自・養育環境を観ないわけにいきません。単に二人の作家というのみならず、人間等しく「逆らいがたい運命(生まれ)」を、みます。人ひとりの「感性」も、出自・養育環境という畑に種蒔かれ育つもので、それ相応の花を咲かせる。三島の咲かせた花(『金閣寺』)と水上さんの咲かせた花(『金閣炎上』)とは、そのことを如実に語って余りあるものです。私は、ドストにも大きく影響を与えられましたが、日本の作家では水上さんに心酔してきました。水上さんの数多くの作品の中、『古河力作の生涯』というのがあります。『金閣炎上』に似て、哀切な作品です。『金閣炎上』の養賢は吃音で、力作は極端な小躯でした。ただ、養賢も力作も、故郷に眠った(墓がある)。「落葉帰根」。しかし、勝田清孝は、遂に故郷に帰ることはできなかった。そのことを思ってしまいます。以下、『古河力作の生涯』から。http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/hon20-kogarikisaku.htm
(あとがき)私は天下国家について大きく発言するのは嫌いである。しかし、天下国家の片隅にあって、天下国家の運命に踏みたたかれてゆく小さな人生についての関心はふかくある。今日もその関心はつよい方だ。力作の人生を掘りおこすことで、この国のありようというものに、自然とつきあたり、ひとことでいうなら、明治も今もかわっていない国柄というものについて、ずいぶん考えさせられていった。このことも、「古河力作」から与えられたものというしかないだろう。
p308~
力作研究のバイブルは、この獄中遺品「新約聖書」であった。私の心に残る一章節がある。路加伝第十九章、「ザアカイの章」だ。
p309~
しかし私がザアカイの章に、力作が眼をとられている事実をみて、ある感動をかくし得ない。ザアカイがたとえ、みつぎとりの頭という地位にあったにせよ、その躯が人より小さくて、道ゆくイエスの姿がみえないほどだった。人からあなどられる短躯の人だったことにひかれるからである。ザアカイは大ぜいの人が、われもわれもと、イエスの宿に供させてほしい所望しているのに、背が低いので、人の通らない道へ廻りこんで、多分そこをイエスが通りかかるであろう地点と信じて、桑の樹にのぼった。すると、イエスはみえた。ザアカイは生まれてはじめて救世主をみた。----
イエスは、桑の樹上のザアカイに呼びかけるのだ。
ザアカイよ降りて来い、私はこよい、お前の家を宿に選ぼう・・・と。(略)
力作が、この章に眼をとめた心奥に、おのれをザアカイに重ねてみた一瞬がなかったであろうか。私の卑見ならば致し方あるまい。しかし、思うのだ。力作がのぼった桑の樹は、ひよっとしたら、川田倉吉の愛人社であり、千駄ヶ谷の平民社ではなかったかと。力作はこの世に貧しい者が泣き、弱い者がいためつけられることを憎んだ。人間に差別のない万人平等の平和国家が来ることを願って桑の樹へよじのぼった。ザアカイはイエスに祝福されたが、力作は「逆徒」として絞殺された。どうして、力作のような、平和を求めて、桑の樹にのぼった男が殺されねばならなかったか。そこのところを、私はながながと書いてきたのである。読者はどう思われるだろう。
青井山は文殊峯ともよばれているが、前記したように、若狭の海を一望にみわたせる風光明媚の中腹台地で、力作が眠る場所としては、最適の地といえる。なぜならば、力作が少年時に大切に所持していた豆手帖のスケッチの場所だ。骨は東京の地に失われたとしても、力作の霊魂は還って眠った。「還源院」。人は在所へ帰って眠るのである。