【介護社会】
<俺しかおらんのや>(2) 病床で無言の約束
中日新聞2009年12月10日
病床で妻=死亡時(56)=の秘密を知った。黙って夫(61)の生命保険を解約していたのだ。保険会社からは400万円近くが支払われていた。「使ってしまったんや」。それだけ口にすると、妻はうつむいた。
1993年、奈良県内の建設現場で工事用クレーンを取り付けていたところ、誤って転落事故を起こした。右脚を折る大けがだった。とび職として現場に復帰するまで、病院で半年近くリハビリを強いられていた。
妻が見舞いに来てくれたのは記憶では数回を数えるだけだ。電話口で妻は関西で暮らす姉に向かって、言い放ったという。「私はよう面倒見やんで、姉さんの方で見て」。結ばれて20年、家庭を顧みずに働いてきたつけなのか、妻の心はとうに自分から離れていた。
退院後、妻は以前と変わらず弁当を用意し、仕事に出かける夫を見送った。仕事から戻ると黙って晩酌の用意をし、部屋から出て行った。夫婦に会話は無かった。「子どもが小さかったしさなあ。高校卒業するまではって思ってた」。小学生だった長男の存在だけが家族をつないでいた。
退院から6年後の朝、今度は妻が脳出血で倒れた。数日前から頭痛を訴えていたが、いつものことと聞き流していた。自宅から救急車で運ばれて病院で緊急手術が施されたが、意識を失ったままだった。仕事先から病院に駆けつけた時、妻は体中にチューブを刺されてベッドで横たわっていた。
手術から3日後、妻はようやく意識を取り戻した。右半身にまひが残り、言葉を話すこともできなくなっていた。目と目が合った。
「目が言うとったんや。お父さん、助けてって」
親族は妻の介護に反対だった。「あんたが病気の時、あんなこと言ったんよ」。関西の姉は離婚するよう促した。郷里の宮崎県で独りで暮らす母は「戻ってきてくれんか」と懇願した。若くして夫を亡くし、女手一つで1男3女を育て上げた母。だが、古希を迎え、入退院を繰り返す生活を強いられていた。
「母さん、ごめんして」。母の願いを受け入れられなかったのはあの日、物言えぬ妻と約束したから。
「あいつには、俺しかおらんのやって」