バビロニアのエルサレム征服、発掘で証拠発見 聖書の記述裏付けか
2019.08.14 Wed posted at 11:45 JST
(CNN) 中東エルサレムにあるシオンの山で発掘作業を行っていた研究チームがこのほど、古代バビロニアによる同市征服の証拠を発見した。エルサレム破壊に関する聖書の記述を裏付ける成果とみられる。
米ノースカロライナ大学の研究チームは今回、灰の堆積(たいせき)物や矢尻、壊れたつぼや照明器具などを発掘。しかし最も重要な発見となったのは、房飾りかイヤリングとみられる宝石類だった。
![金と銀で作られた装飾品/Mt Zion Archaeological Expedition/Rafi Lewis](https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/13d2e5e18997ffb11079381df2cf5dee/mount-zion-earring-1.jpg)
金と銀で作られた装飾品/Mt Zion Archaeological Expedition/Rafi Lewis
宝石は通常、戦士によって略奪され溶かされることから、戦地で見つかるのは珍しい。「包囲時のエルサレム住民の豊かさを明確に示すものだ」とギブソン氏は語る。
バビロニアによる攻撃の決定的な証しとなる単独の出土品はなかったが、遺物の独特な組み合わせを踏まえ、研究チームは征服の直接的な証拠が見つかったと考えるに至った。
![バビロニアによるエルサレム制服を描いた絵画/Culture Club/Getty Images](https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/246d893d9ca6fce47c2376bf6a6804b1/mount-zion-babylonian-attack-illustration-restricted.jpg)
バビロニアによるエルサレム征服を描いた絵画/Culture Club/Getty Images
ギブソン氏は声明で「遺物が詰まった灰の堆積層に矢尻、特別な装飾品という組み合わせから、何らかの破壊行為があったことがうかがえる。金の宝石を捨てたり、矢尻を家庭ごみに出したりする人はいない」としている。
発掘された矢尻は「スキタイの矢尻」と呼ばれる。紀元前7~6世紀の戦跡では「ごくありふれた」遺物で、バビロニア人の戦士が使っていたことで知られるという。
![紀元前587~586年にさかのぼるとみられる「スキタイの矢尻」/Mt Zion Archaeological Expedition/Virginia Withers](https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/bb6c38582cb1f685260f5aa3df3d765d/mount-zion-babylonian-attack-evidence.jpg)
紀元前587~586年にさかのぼるとみられる「スキタイの矢尻」/Mt Zion Archaeological Expedition/Virginia Withers
エルサレム征服は新バビロニアの国王ネブカドネザル2世が主導し、多くの命が失われたと考えられている。旧約聖書「列王記第二」で記述されたソロモンの神殿の破壊にもつながった。
◎上記事は[CNN]からの転載・引用です
列王記 下 第 24 章
8 エホヤキンは王となった時十八歳で、エルサレムで三か月の間、世を治めた。母はエルサレムのエルナタンの娘で、名をネホシタといった。
9 エホヤキンはすべてその父がおこなったように主の目の前に悪を行った。
10 そのころ、バビロンの王ネブカデネザルの家来たちはエルサレムに攻め上って、町を囲んだ。
11 その家来たちが町を囲んでいたとき、バビロンの王ネブカデネザルもまた町に攻めてきた。
12 ユダの王エホヤキンはその母、その家来、そのつかさたち、および侍従たちと共に出て、バビロンの王に降服したので、バビロンの王は彼を捕虜とした。これはネブカデネザルの治世の第八年であった。
13 彼はまた主の宮のもろもろの宝物および王の家の宝物をことごとく持ち出し、イスラエルの王ソロモンが造って主の神殿に置いたもろもろの金の器を切りこわした。主が言われたとおりである。
14 彼はまたエルサレムのすべての市民、およびすべてのつかさとすべての勇士、ならびにすべての木工と鍛冶一万人を捕えて行った。残った者は国の民の貧しい者のみであった。
15 さらに彼はエホヤキンをバビロンに捕えて行き、また王の母、王の妻たち、および侍従と国のうちのおもな人々をも、エルサレムからバビロンへ捕えて行った。
16 またバビロンの王はすべて勇敢な者七千人、木工と鍛冶一千人ならびに強くて良く戦う者をみな捕えてバビロンへ連れて行った。 17 そしてバビロンの王はエホヤキンの父の兄弟マッタニヤを王としてエホヤキンに代え、名をゼデキヤと改めた。
18 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年の間、世を治めた。母はリブナのエレミヤの娘で、名をハムタルといった。
19 ゼデキヤはすべてエホヤキムがおこなったように主の目の前に悪を行った。
20エルサレムとユダにこのような事の起ったのは主の怒りによるので、主はついに彼らをみ前から払いすてられた。さてゼデキヤはバビロンの王にそむいた。
列王記 下 第 25 章
1 そこでゼデキヤの治世の第九年の十月十日に、バビロンの王ネブカデネザルはもろもろの軍勢を率い、エルサレムにきて、これにむかって陣を張り、周囲にとりでを築いてこれを攻めた。
2 こうして町は囲まれて、ゼデキヤ王の第十一年にまで及んだが、
3 その四月九日になって、町のうちにききんが激しくなり、その地の民に食物がなくなった。
4 町の一角がついに破れたので、王はすべての兵士とともに、王の園のかたわらにある二つの城壁のあいだの門の道から夜のうちに逃げ出して、カルデヤびとが町を囲んでいる間に、アラバの方へ落ち延びた。
5 しかしカルデヤびとの軍勢は王を追い、エリコの平地で彼に追いついた。彼の軍勢はみな彼を離れて散り去ったので、
6 カルデヤびとは王を捕え、彼をリブラにいるバビロンの王のもとへ引いていって彼の罪を定め、
7 ゼデキヤの子たちをゼデキヤの目の前で殺し、ゼデキヤの目をえぐり、足かせをかけてバビロンへ連れて行った。
8 バビロンの王ネブカデネザルの第十九年の五月七日に、バビロンの王の臣、侍衛の長ネブザラダンがエルサレムにきて、
9 主の宮と王の家とエルサレムのすべての家を焼いた。すなわち火をもってすべての大きな家を焼いた。 10 また侍衛の長と共にいたカルデヤびとのすべての軍勢はエルサレムの周囲の城壁を破壊した。