『百年の手紙--20世紀の日本を生きた人々』-1- 田中正造/石川啄木/幸徳秋水

2011-07-27 | 本/演劇…など

〈来栖の独白〉
 素晴らしい連載が始まった。2011年7月25日(Mon.)から、中日新聞夕刊で。『百年の手紙--20世紀の日本を生きた人々』という。著者は梯久美子さん。
 第1回は、足尾銅山による鉱毒被害の救済運動に尽くした元代議士田中正造氏の書状。銅山の操業停止を求めるもの。〈毒流四方ニ氾濫シ・・・〉死刑覚悟で明治天皇に直訴状を渡そうとした。天皇の馬車に駆け寄ったが、警備の警官に後ろ首をつかんで引き倒された。銅山の操業停止を求めるもの。
 先月12日、総理と有識者の懇談会に寄せた坂本龍一氏のメッセージにも、私は激しく心をゆすぶられた。次のように言っている。〈真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし〉。
 「足尾」も「福島」も、同様ではないか。山川草木、地域、生きとし生けるもの・・・、それらすべてを荒らしてはならぬ。殺してはならぬ。
 第2回は、石川啄木。田中正造の直訴状に感激し、〈夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや〉という歌を詠んだ。
 第3回は、幸徳秋水である。母親の死に際し、〈最後の別れの折に、モウお目にかからぬかも知れませんと僕が言うと、私もそう思って来たのだよと答えた。ドウかおからだを大切にというと、お前もシッカリしてお出で、言い捨てて立ち去られた音容が、今アリアリと目に浮かんで来る。考えていると涙が止らぬ〉と書いている。
 「1月18日に判決、そのわずか6日後の24日後に死刑が執行された。控訴も上告も許されず、暗殺計画など知るよしもない人々までが殺されたのである。〈病死と横死と刑死とを問わず、死すべきときのひとたび来たらば、充分の安心と満足とをもってこれに就きたいと思う。今やすなわちその時である。これ私の運命である〉幸徳の処刑に臨む態度は、落ち着いて静かなものだったという。心が乱れ感情をあらわにしたのは、母の訃報に接したときだけであった。」と梯氏は書く。

 

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