小沢裁判は政治的謀略だ! 平野貞夫×山崎行太郎
5月 30th, 2012by月刊日本編集部.
東京地裁は四月二十六日、政治資金規正法違反の疑いで起訴された小沢一郎氏に無罪判決を下した。これを受けて民主党は、五月八日の常任幹事会で小沢氏の党員資格停止処分の解除を決定したが、検察官役の指定弁護士は九日に控訴した。小沢氏の最側近、平野貞夫元参議院議員と小沢裁判についてのマスコミ報道に正面から異論を唱える文藝評論家の山崎行太郎氏に、事件の政治性について対談していただいた。
小沢裁判は政治的謀略だ!
── 平野さんは、小沢裁判の政治性について指摘している。
平野 小沢裁判は、指定弁護士により控訴されたが、これは基本的人権を保障する憲法三十一条違反だ。検察審査会の指定弁護士には、上訴の権限が明文化されていない。こんなことを放置しているようでは、日本は立憲国家ではない。上訴の背景に政治的謀略が見え隠れする。
小沢事件の発端は民主党政権誕生前に遡る。平成二十一年三月三日、小沢一郎氏の秘書の大久保隆規氏が突如逮捕された。実はその二日前の三月一日、千葉知事選挙の吉田平候補者の出陣式の行事の席で、私は森英介法相と会った。そのとき、森氏は「堂本知事さん、この平野という人物は平成になって日本の政治を混乱させた人で、小沢一郎も問題があり悪人だが、この人が小沢さんよりもっと悪人なんですよ」と語ったのだ。
悪い冗談だと思っていたら、二日後に大久保秘書の逮捕だ。しばらくして、知り合いのある財界人が森氏と食事をしたとき、「大久保逮捕は自分が指示した」と語ったという。つまり、一連の事件は本質的に民主党への政権交代阻止を目的とした政治的謀略から始まったと私は考えている。
政権交代後には、小沢氏を政界から排除しようとする企てが、菅直人政権で始まったと推論できる。菅政権は、法曹界の大物・元最高裁判事で、元法務省官房長の香川保一民事法情報センター理事長の「刑事事件」となるべき金銭スキャンダルをモミ消したのではないか。これによって、菅政権下の弁護士閣僚は、法務省や最高裁事務総局に大きな貸しを作ったと考えられる。
山崎 小沢事件、小沢裁判の背後に日米関係というもう一つの問題があると私は思う。小沢氏が日本の司法権力に睨まれ、ついに強制起訴、裁判闘争に至ったことは、アメリカの間接的な謀略が背後にある。小沢氏は、第七艦隊発言や民主党議員の集団中国訪問など、日本の独立自尊を目指す対米自立、つまり脱米的で危険な政治家だとみなされたのだ。
最近ではベネズエラのチャベス、パナマのノリエガ、少し遡ればインドネシアのスカルノ、フィリピンのマルコスなど、国内的には圧倒的な国民的英雄であり民族派政治家でありながら、反米的・脱米的ということで、アメリカの政治的な謀略によって、ことごとく政治的に抹殺されてきた。ただ、小沢事件にはアメリカが直接介入するのではなく、アメリカに洗脳された日本人エリート層が間接的に関与している。官僚やマスコミがアメリカの日本植民地支配の手先となっているのではないか。
植民地主義は終わったが、日本は植民地主義的な支配体制が継続する「ポスト植民地主義的支配」状態にあるということだ。イギリス人はインドを植民地支配する時、イギリス人が直接インドを支配するのではなく、インド人の中のエリート層をイギリス本国に留学させ、洗脳して、その洗脳されたインド人を使ってインド民衆を支配させた。同じやり方が、日本でも続いていると見ていいのではないか。
平野 アメリカが小沢氏を失脚させるべく直接動いたということではなく、アメリカに留学したり、アメリカで生活した日本人の顔をしたアメリカ人、つまり頭の中が悪いアメリカ文化に染まってしまった日本人が小沢氏を追い落としたということではないか。
日本の検察エリートたちは、アメリカの日本大使館に出向し、FBI、CIAなどと共同で仕事をする中で、「俺達が日米の秩序、世界の法秩序を仕切るんだ」という意識を持つようになる。そして、彼らの考える秩序から外れるものを排除しようとする。在米日本大使館への検事の出向が多すぎる。
山崎 「無罪判決」が出た四月二十六日午後、コロンビア大学教授のジェラルド・カーティスが外国人記者クラブで会見を開いた。その場で、一緒に登壇していた上智大学教授の中野晃一氏がカーティスに、「あなたはCIAだという疑惑がネットでささやかれている」と質問した。カーティスは、質疑応答の際にも、記者から「ウォルフレンが検察による小沢に対する謀略について書いているが」と質問されたという。
外国人記者クラブのような国際的な情報空間で、こうした質問を受けること自体、学者やジャーナリストとしては大きなダメージだ。小沢裁判は、これまでも多くのことを日本国民に暴露してきたわけだが、闇の中にあったCIAとかジャパン・ハンドラーズとかいう存在も暴露した。
平野 ジェラルド・カーティスはコロンビア大学で教鞭をとる前にCIAの要員だったと、公表している。ここで注目したいのは、小沢裁判の二週間ほど前、最高裁の竹崎博允長官とカーティスが食事をしていることだ。竹崎氏は江田五月氏と同郷で、小中高大と同窓だった。彼は、カーティスがコロンビア大学の助教授時代の一九七〇年に同大学のロースクールに留学していた。カーティスは、竹崎氏から小沢判決について何らかのコメントを聞いていたと推測される。それで、外国人記者クラブでの講演をセットしたのではないか。
山崎 小沢事件には、ロッキード事件による田中角栄失脚と共通する部分がある。田中氏も、資源外交に象徴されるように、従来の外交を転換し自主的な路線を模索しようとしていた。アメリカはそれを阻止しようとしたのではないか。
平野 この事件は米上院多国籍企業小委員会で火がついたもので、証拠資料のほとんどはアメリカ側にあった。日本の国会は真相究明のため国会決議までして、米上院に資料の提供を要請した。三木首相は、フォード大統領に親書まで送り資料の提供を要望した。その結果、米国司法省と日本の法務省で「日米司法取決め」が行われ、アメリカの捜査資料が日本の捜査当局に提供された。そして、ロッキード社の前副社長コーチャンの嘱託尋問によって田中氏に対する嫌疑の外掘りが埋められていった。わが国の法律では、コーチャン証言に対して「免責宣明書」を出すことなど到底できるものではなかった。ところが、臨時最高裁裁判官会議を開き、免責の宣明書の発出を決めてしまった。ロッキード事件は、アメリカによる直接的な謀略である疑いがある。
山崎 ロッキード事件の際には、新聞・テレビだけが報道を独占し、それに対する異論の声はかき消された。これに対して、現在の小沢事件では新聞・テレビに対抗してネットによる情報が溢れている。田中角栄裁判の時代と違って、ネットやブログを軸にして、小沢一郎支持者たちのデモや集会が繰り返されている。
アメリカは大衆の意見を尊重する社会でもある。沖縄の米軍基地移設問題にしろ、小沢裁判にしろ、日本国民の意見や動向を十分把握している。アメリカといえども、それに影響を受けざるを得ないだろう。
平野 新聞やテレビがネットで発信されている膨大な国民の意見を無視して、一方的な情報発信を続けている現状は、「情報ファシズム」と言わねばならない。
以下全文は本誌6月号をご覧ください。
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平野貞夫「永田町漂流記」
「日本一新運動」の原点(78)──ロッキード事件の捜査と裁判の不条理
平成21年3月3日、西松事件で大久保秘書が逮捕された一週間後、私は小沢一郎氏に会いにいった。その時、この事件は「ロッキード事件」のように小沢氏が狙われていると確信して、私の著書『ロッキード事件「葬られた真実」』(講談社)を手渡した。小沢氏は「参考にさせてもらう」と受け取り、その後、乗用車の後部座席に同書が置いてあるのが、テレビに撮されていたのを、憶えている方があるかも知れない。
この著書は平成18年7月、「ロッキード事件」から30年が過ぎて、何故、田中元首相が逮捕されたか。三木首相や中曽根自民党幹事長が、何を企んでいたのか、そして当時の検察や裁判所が、田中元首相逮捕にわが国の憲法以下の法令に違反してまで拘った理由は何か。何故、前尾繁三衆議院議長は衆議院の解散を阻止することに政治生命を懸けたのか、などを執筆したものである。
何でこのような出版をしたのか。私は「ロッキード国会」の頃、衆議院事務局から出向して、前尾議長の秘書を務めていた。前尾議長は議長就任10ヶ月前まで法務大臣であった。衆議院議長になっても、法務・検察の関係者が指導を求めてしばしば来訪していた。三木首相は「椎名・前尾」ラインで政権に就いた関係で、前尾議長に頭が上がらなかった。
「ロッキード事件」が発覚するや、「ロッキード国会」といわれる大混乱となった。法務省や検察関係者は、前尾議長を利用すべく非公式に接触してくる。三木首相は、私恨を「キレイゴト」で糊塗し「田中排除」という権力闘争を仕掛けてきた。野党は事件を政治的に利用して国会審議に応じない。私は、こんなことで国家が維持できるのかと思い立ち、「ロッキード国会覚書」というメモをつけていた。この覚書を中心に、ロッキード事件で田中元首相の鎮魂のため、逮捕されて30年という時が流れた平成18年7月に刊行したわけだ。
この本には、事件当時にはわからなかった重大な新情報を書き込んでおいた。児玉誉士夫証人が何故国会に出頭できなかったのか、という問題である。児玉証人の国会証言が実現していれば、田中元首相への捜査も大きく変わったと思う。児玉証人を廃人同様にして、国会に出頭させないようにした大きな政治権力の動きがあったことを具体的に書いた。
朝日新聞社会部がそれを知り、出版予定日に特ダネで報道するといい、前夜、確認のため私に記事のゲラをファックスで送ってきた。ところが、深夜になって担当記者から「上からの指示で、報道しないことになった」と連絡があった。
この時既に、朝日新聞には問題があったのだ。
著書では、2つの側面から田中元首相は無罪であったと主張している。ひとつは、憲法を始めとして刑事法上の「無罪」であること、もうひとつは政治的・社会的にも「無罪」であること、である。
この本を講談社は廃刊にしているが、「小沢問題」の真相解明にもなることから、文庫本で再刊するよう「メルマガ・日本一新」の読者の皆さんから働きかけていただきたい。(田中元首相を逮捕する証拠はなかった)
「ロッキード事件」とは、全日空ルートで5億円、児玉ルート(対戦哨戒機P3C)で約21億円のワイロが、日本の政界に流れたというものだった。全日空ルートで田中元首相が逮捕されたわけだ。児玉ルートでは当時の中曽根幹事長に疑惑があったが、児玉氏が国会に証人として出頭できない状態となり、このルートでの捜査は脱税で終わった。
この事件は米国上院多国籍企業小委員会で火がついたもので、証拠資料に類するものはほとんど米国側にあった。日本の国会は真相究明のため国会決議までして、米国上院に資料の提供を要請した。三木首相は政敵・田中角栄を倒すべく、フォード大統領に親書まで送り資料の提供を要望した。その結果、米国司法省と日本の法務省で「日米司法取決め」が行われ、米国の捜査資料が日本の捜査当局に提供されることになる。これは田中首相を逮捕するための国家間の条約であったが、三木首相と検察当局は「法執行について相互援助のための手続」と主張した。本来なら国会の承認が必要であり、憲法違反の行為であった。大量の捜査資料が米国側から提供され、必死の捜査を行ったが、田中元首相を逮捕する証拠となる捜査資料は何ひとつなかった。(最高裁のマッチポンプ。刑事免責の嘱託尋問問題)
米国側から提供された捜査資料には、田中元首相を逮捕する証拠がなく、捜査は壁に突き当たる。そこで検察がしぼった謀略は、ロッキード社のコーチャン副社長らに刑事免責(起訴しない)を与えて、米国連邦地裁に尋問を嘱託して、その調書を証拠に田中元首相を逮捕することであった。これは日本の憲法と刑事法規で容認されていないやり方だ。
これが実行されるまでの動きを時系列でみると問題の所在がわかる。
(1)昭和51年6月3日 ワシントンで三木・フォード日米首脳会談。(堀田検事らのシナリオで嘱託尋問実現に利用したもの)
(2)同年7月2日 米国連邦高裁が、嘱託尋問は非公開で行うが、証言調書は日本の最高裁がルールなどによって「刑事免責」を保証するまで引き渡さないことを決める。
(3)同年7月6日 ロサンゼルスの連邦地裁で、コーチャンの嘱託尋問が始まる。翌七日の尋問で、初めて田中角栄との関係を証言。
(4)同年7月24日 日本の最高裁裁判官会議で、コーチャンらに対して、「不起訴の宣明書」を発出することを決める。直ちにロサンゼルスの連邦地裁に提出され、同日、コーチャンらの証言調書が日本の捜査などで使用できることになる。
(5)同年7月27日 東京地検は田中角栄前首相を外為法違反で逮捕。
(6)同年8月16日 田中前首相、外為法違反と受託収賄の容疑で起訴。
かくして、「ロッキード事件」は企てられて「ロッキード裁判」となった。逮捕から7年と3ヶ月過ぎた昭和58年10月12日、東京地裁は「懲役4年、追徴金5億円」の実刑判決を下す。直ちに控訴するも、昭和62年7月、東京高裁は一審判決を支持。この間、田中元首相は昭和60年2月27日脳梗塞で倒れ、長い闘病生活に入り、平成5年12月16日死去。
田中元首相の死から1年2ヶ月過ぎた平成7年2月22日、最高裁はロッキード裁判「丸紅ルート」で、元丸紅役員の桧山・榎本両被告の上告を棄却した。がしかし、最高裁はここで重大な決定をした。それはコーチャンおよびクラッターへの刑事免責した嘱託尋問調書には「証拠能力がない」と判決したのだ。
この時期、私は参議院議員になり法務委員会の理事であった。最高裁の判決に「法の支配の崩壊」と「司法権の不条理」を感じ、参議院法務委員会で法務省当局を追及した。質問の趣旨は、最高裁の裁判官会議が「刑事免責で証拠として使うこと」を容認しておいて、最高裁の最終判決で、その証拠とされた調書を「証拠能力を否定」するという矛盾をどう考えるか、というものであった。
法務省当局は、「相当な智恵を出した捜査手法で得た調書の証拠能力が否定されたことに、いささか戸惑いを覚えている」との答弁だった。私は「嘱託尋問調書に証拠能力を与えたり、その一方では否定するという最高裁の異なった判断は、日本の司法制度そのものの信頼性、根本問題に関わるものだ」と糾弾しておいた。
小沢氏の陸山会事件と問題の内容は違うが、検察や裁判所の発想や、手法は当時と同根・同質である。自由主義世界では、司法の基本である「推定無罪」が、ロッキード事件において冒涜されていたのだ。
投稿者: 平野貞夫 日時: 2011年10月31日 09:04
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◆「救急で小沢一郎氏が病院へ搬送」のニュースと田中角栄氏/ 小沢一郎氏vs記者クラブメディアの戦い2011-10-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
〈来栖の独白 2011/10/07Fri.〉
田原総一朗氏と田中森一氏の対談(検察を支配する「悪魔」)を想起する。以下。
p37~ 角栄をやり、中曾根をやらなかった理由---田原
でも、ロッキード事件はできたじゃないですか。田中角栄は逮捕した。角栄は時の権力者ですよ。
僕はかつて雑誌『諸君!』に「田中角栄 ロッキード事件無罪論」を連載した。ロッキード事件に関しては『日本の政治 田中角栄・角栄以後』で振り返りましたが、今でも、ロッキード事件の裁判での田中角栄の無罪を信じている。
そもそもロッキード事件はアメリカから降って湧いたもので、今でもアメリカ謀略説が根強く囁かれている。僕は当時、“資源派財界人”と呼ばれていた中山素平(そへい)日本興業銀行相談役、松原宗一大同特殊鋼相談役、今里広記日本精工会長などから、「角栄はアメリカにやられた」という言葉を何度も聞かされた。中曾根康弘元総理や、亡くなった渡辺美智雄、後藤田正晴といった政治家からも、同様の見方を聞いた。
角栄は1974年の石油危機を見て、資源自立の政策を進めようとする。これが、世界のエネルギーを牛耳っていたアメリカ政府とオイルメジャーの逆鱗に触れた。
このアメリカ謀略説の真偽は別にしても、検察は当時の日米関係を考慮に入れて筋書きを立てている。結果、角栄は前総理であり、自民党の最大派閥を率いる権力者だったにもかかわらず検察に捕まった。
かたや対照的なのは中曾根康弘元総理。三菱重工CB事件でも最も高額の割り当てがあったと噂されているし、リクルート事件でも多額の未公開株を譲り受けたとされた。
彼は殖産住宅事件のときからずっと疑惑を取りざたされてきた。政界がらみの汚職事件の大半に名が挙がった、いわば疑獄事件の常連だ。しかし、中曽根元総理には結局、検察の手が及ばなかった。
角栄は逮捕されて、中曽根は逮捕されない。角栄と中曾根のどこが違うのですか。冤罪の角栄をやれたのだから、中曾根だってやれるはずだ。
それから亀井静香。許永中との黒い噂があれほど囁かれたのに無傷に終わった。なぜ、亀井には検察の手が伸びない?
p39~ ロッキードほど簡単な事件はなかった---田中
ロッキード事件に関わったわけではないので、詳しいことはわかりませんが、検察内部で先輩たちから聞くところによると、時の権力が全面的にバックアップしてくれたので、非常にやりやすかったそうです。
主任検事だった吉永祐介あたりに言わせると、「あんな簡単でやりやすい事件はなかった」---。
普通、大物政治家に絡む事件では、邪魔が入るものですが、それがないどころか、予算はふんだんにくれるわ、いろいろと便宜を図ってくれるわけです。三木武夫総理を筆頭に、政府が全面的に協力して、お膳立てしてくれた。
ロッキード事件では超法規的な措置がいくつもある。
アメリカに行って、贈賄側とされるロッキード社のコーチャン、クラッターから調書を取れた。相手はアメリカ人だから、法的な障害がたくさんある。裁判所だけでなく、外務省をはじめとする霞が関の官庁の協力が不可欠です。とりわけ、裁判所の助力がなくてはならない。
政府が裁判所や霞ヶ関を動かし、最高裁が向うの調書を証拠価値、証拠能力があるとする主張を法律的に認めてくれたばかりが、コーチャン、クラッターが何を喋っても、日本としては罪に問わないという超法規的な措置まで講じてくれた。贈賄側はすべてカット。こんな例外措置は現在の法体制では考えられません。弁護人の立場から言えば、非常に疑問の多い裁判でもあった。
「贈」が言っていることを検証しないで、前提とするわけだから。贈賄側が死んでいれば反対尋問はできないけれど、本来は、原則として仮に時効にかかろうが、贈賄側を一度、法廷に呼び出して供述が本当なのか検証するチャンスがある。
ところが、ロッキードではなし。それで真実が出るのかどうか、疑わしい限りです。しかも、贈賄側は一切処罰されないと保証されて、喋っている。その証言が果たして正しいか。大いに疑問がある。
それぐらい問題のある特別措置を当時の三木政権がやってくれるわけです。つまり、逮捕されたときの田中角栄は、既に権力の中枢にいなかったということなのでしょう。」
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◆ロッキード事件に酷似 陸山会事件公判 (川村尚)証人が具体的に述べれば述べるほど低下するリアリティ2011-04-28 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
〈来栖の独白2011/04/28〉
陸山会事件の公判。水谷建設前社長・川村尚氏の供述に耳を傾けるほどに、ロッキード事件が重なってしまう。
現金受け渡しの場面などは、まったく酷似している。陸山会事件のそれは全日空ホテル(現ANAインターコンチネンタルホテル)であり、ロッキード事件はホテルオークラであった。「陸山会」は水谷建設前社長川村氏が渡し、「ロッキード」は丸紅の伊藤宏専務が渡した(という)。陸山会は「5000万円を宅急便の袋に入れて折りたたみ、それをひと回り大きい紙袋」に入れ「床をスライドさせるような形で渡し」、ロッキードは「1億2500万円入りの段ボール箱」。場所といい、モノの大きさといい、いやでも人目に付く。証人がことさら具体的に述べれば述べるほど、意図に反してリアリティは低下し、胡散臭さが漂ってしまう。以下。
『検察を支配する「悪魔」』田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)
第三章 絶対有罪が作られる場所
p80~ ロッキード事件の金銭授受は不自然---田原
ここからは、ロッキード事件の話をしたい。
ロッキード事件で田中角栄は、トライスター機を日本が購入するにあたって、ロッキード社から4回にわたって、丸紅を通じて計5億円の賄賂を受けと取ったとして、1983年10月に受託収賄罪で懲役四年、追徴金5億円の判決を受けましたね。
この4回あったとされる現金の受け渡し場所からしても、常識から考えておかしい。1回目は1973年8月10日午後2時20分頃で、丸紅の伊藤宏専務が松岡克浩の運転する車に乗り、英国大使館裏の道路で、田中の秘書、榎本敏夫に1億円入りの段ボール箱を渡した。2回目は同年10月12日午後2時30分頃、自宅に近い公衆電話ボックス前で、榎本に1億5000万円入りの段ボール箱を。3回目は翌年の1月21日午後4時30分頃、1億2500万円入りの段ボール箱がホテルオークラの駐車場で、伊藤から榎本に渡された。そして、同年3月1日午前8時頃、伊藤の自宅を訪れた榎本が、1億2500万円が入った段ボール箱を受け取ったとされている。
最後の伊藤の自宅での受け渡しはともかく、他の3回は、誰が見ても大金の受け渡し場所としては不自然です。とくに3回目のホテルオークラは、検察のでっちあげ虚構としか思えない。
伊藤の運転手だった松岡にインタビューしたところ、検察によって3回も受け渡し場所を変更させられたと言う。もともと松岡は、受け渡しに対して記憶はまったくなかったのですが、検事から伊藤の調書を見せられ、そんなこともあったかもしれないと、曖昧なまま検察の指示に従った。
検事が、最初、3回目の授受の場所として指定してきたのは、ホテルオークラの正面玄関です。松岡は検事の命令に添って、正面玄関前に止まっている2台の車の図を描いた。
でも考えてみれば、こんなところで1億2500万円入りの段ボール箱の積み下ろしなどするわけがない。正面玄関には、制服を着たボーイもいれば、客の出入りも激しい。おまけに、車寄せに2台車を止めて段ボール箱を運び込んだら、嫌でも人の目につく。
検察も実際にホテルオークラに行ってみて、それに気が付いたんでしょう。体調を崩して大蔵病院に入院していた松岡の元に検察事務官が訪ねてきて、「ホテルオークラの玄関前には、右側と左側に駐車場がある。あなたが言っていた場所は左側だ」と訂正を求めた。
それでも、まだ不自然だと考えたのでしょう。しばらくしたら、また検察事務官がやってきて、今度は5階の正面玄関ではなく、1階の入り口の駐車場に変えさせられたと言います。
それだけならまだしも、おかしなことに、伊藤が描いた受け渡し場所も変更されていた。最初の検事調書では、伊藤も松岡とほぼ同じ絵を描いている。松岡の調書が5階の正面玄関から1階の宴会場前の駐車場に変更後、伊藤の検事調書も同様に変わっていた。
打ち合わせもまったくなく、両者が授受の場所を間違え、後で揃って同じ場所に訂正するなんてことが、あり得るわけがない。検事が強引に変えさせたと判断するしかありません。百歩譲って、そのような偶然が起りえたとしても、この日の受け渡し場所の状況を考えると、検事のでっち上げとしか考えられない。
この日、ホテルオークラの宴会場では、法務大臣や衆議院議長などを歴任した前尾繁三郎を激励する会が開かれていて、調書の授受の時刻には、数多くの政財界人、マスコミの人間がいたと思われる。顔見知りに会いかねない場所に、伊藤や田中の秘書、榎本が出かけていってカネをやり取りするのは、あまりにも不自然です。
しかも、この日の東京は記録的な大雪。調書が事実だとすれば、伊藤と田中の秘書が雪の降りしきる屋外駐車場で、30分以上立ち話をしていたことになる。しかし、誰の口からも、雪という言葉が一切出ていません。
万事がこんな調子で、榎本にインタビューしても、4回目の授受は検察がつくりあげたストーリーだと明言していました。
もっとも、丸紅から5億円受け取ったことに関して彼は否定しなかった。伊藤の自宅で、5億円を受け取ったと。それは、あくまでも丸紅からの政治献金、田中角栄が総理に就任した祝い金だと。だから、伊藤は、せいぜい罪に問われても、政治資金規正法だと踏んだ。そして、検察から責め立てられ、受けとったのは事実だから、場所はどこでも五十歩百歩と考えるようになり、検察のでたらめにも応じたのだと答えた。
つまり、検察は政治資金規正法ではなく、何があっても罪の重い受託収賄罪で田中角栄を起訴したかった。そのためにも、無理やりにでも授受の場所を仕立てる必要があったというわけでしょう。
p83~ 法務省に事前に送られる筋書き---田中
ロッキード事件のカネの受け渡し場所は、普通に考えておかしい。またそれを認めた裁判所も裁判所ですよ。ロッキード事件以来、ある意味、検察の正義はいびつになってしまった。
政界をバックにした大きな事件に発展しそうな場合、最初に、検察によってストーリーがつくられる。被疑者を調べずに周りだけ調べて、後は推測で筋を立てる。この時点では、ほとんど真実は把握できていないので、単なる推測に過ぎない。
でも、初めに組み立てた推測による筋書きが、検察の正義になってしまうのです。なぜ、そんなおかしなことになるかと言えば、政界や官界に波及する可能性がある事件の捜査については、法務省の刑事課長から刑事局長に、場合によっては、内閣の法務大臣にまであげて了解をもらわなければ着手できない決まりになっているからです。とくに特捜で扱う事件は、そのほとんどが国会の質問事項になるため、事前に法務省にその筋書きを送る。
いったん上にあげて、了承してもらったストーリー展開が狂ったら、どうなりますか?検察の組織自体が否定されますよ。事件を内偵していた特捜の検事がクビになるだけでなく、検察に対する国民の信頼もなくなる。
本当は長い目で見たら、途中で間違っていましたと認めるほうが国民の信頼につながる。それは理屈として特捜もわかっているけれど、検察という組織の保身のためには、ごり押しせざるを得ないのが現実です。
特捜の部長や上層部がなんぼ偉いといっても、一番事件の真相を知っているのは被疑者ですよ。その言い分をぜんぜん聞かず、ストーリーをどんどん組み立てる。確かに外部に秘密がまれたり、いろいろあるから、その方法が一番いいのかもしれないが、だったら途中で修正しなければいけない。
ところが、大きい事件はまず軌道修正しない。いや大きい事件になるほど修正できない。だから、特捜に捕まった人はみんな、後で検察のストーリー通りになり、冤罪をきせられたと不服を洩らす。僕を筆頭として、リクルート事件の江副浩正、KSD事件の村上正邦、鈴木宗男議員と連座した
外務省の佐藤優、村上ファンドの村上世彰(よしあき)、ライブドア事件の堀江貴文・・・全員、不満たらたらで検察のやり方を非難している。
これを特捜が謙虚に反省すればいいのですが、特捜はそんなことはまったく頭にない。「あのバカども、何を言っていやがるんだ」という驕りがあり、最初にストーリーありきの捜査法は一向に改善されません。
p85~ 尋問せずに事実関係に勝手に手を入れる---田中
とくに東京の特捜では、まずストーリーありきの捜査しかしない。被害者を加害者に仕立て上げてしまった平和相銀事件がいい例ですよ。
東京に来て驚いたのは、調書ひとつをとっても、上が介入する。調書作成段階で、副部長や主任の手が入ることも多く、筋書きと大幅に異なったり、筋書きを否定するような供述があると、ボツにされる。だから、検事たちも、尋問をするときから、検察の上層部が描いた筋書きに添う供述を、テクニックを弄して取っていく。
僕も手練手管を弄して自分の描いた筋書きに被疑者を誘導することはありましたよ。しかし、それは、あくまでも現場で捜査に携わっている人間だから許されることだと思う。捜査をしている現場の検事は、こりゃあ違うなと感じれば、軌道修正する。被疑者のナマの声を聞いて判断するので、自分の想定したストーリーが明らかに事実と違えば、それ以上はごり押しできない。人間、誰しも良心がありますから。
しかし東京では、尋問もしていない上役が事実関係に手を入れる。彼らは被疑者と接していないので容赦ない。被疑者が、これは検事の作文だよとよく非難しますが、故のないことではないと思った。恐ろしいと思いましたよ。冤罪をでっち上げることにもなりかねないので。
だから、僕は東京のやり方には従わなかった。大阪流で押し通した。上がなんぼ「俺の言う通りに直せ」といっても、「実際に尋問もしていない人の言うことなんか聞けるか」で、はねのけた。
p86~ 大物検事も認めた稚拙なつくりごと---田原
4回目の授受の場所を特定したのは誰か---ロッキード事件に関わった東京地検特捜部のある検事にこの質問をしたところ、彼は匿名を条件に「誰にも話したことはないが」と前置きして、次のように当時の心境を語っていた。
「ストーリーは検事が作ったのではなく、精神的にも肉体的にも追いつめられた被告の誰かが・・・カネを受け取ったことは自供するけれども・・・あとでお前はなぜ喋ったんだといわれたときのエクスキューズとして、日時と場所は嘘を言ったのじゃないか。
そして、それに検事が乗ってしまったのじゃないか、と思ったことはある。田中、榎本弁護団が、それで攻めてきたら危ないと、ものすごく怖かった」
この元検事の証言を、事件が発覚したときに渡米し、資料の入手やロッキード社のコーチャン、クラッターの嘱託尋問実現に奔走した堀田力元検事にぶつけると、「受け渡しはもともと不自然で子どもっぽいというか、素人っぽいというか。恐らく大金の授受などしたことがない人たちが考えたとしか思えない」と語っていました。
堀田さんは取り調べには直接タッチしていない。だからこそ言える、正直な感想なんでしょうけれど、どう考えても、あの受け渡し場所は稚拙なつくりごとだと認めていましたよ。
p88~ 検事は良心を捨てぬと出世せず---田中
検事なら誰だって田原さんが指摘したことは、わかっている。その通りですよ。田原さんがお書きになったロッキード事件やリクルート事件の不自然さは、担当検事だって捜査の段階から認識している。
ところが引くに引けない。引いたら検察庁を辞めなければいけなくなるから。だから、たとえ明白なでっち上げだと思われる“事実”についてマスコミが検察に質しても、それは違うと言う。検事ひとりひとりは事実とは異なるかもしれないと思っていても、検察という組織の一員としては、そう言わざるを得ないんですよね。上になればなるほど、本当のことは言えない。そういう意味では、法務省大臣官房長まで務めた堀田さんの発言は非常に重い。
特捜に来るまでは、検察の正義と検察官の正義の間にある矛盾に遭遇することは、ほとんどありません。地検の場合、扱うのは警察がつくっている事件だからです。警察の事件は、国の威信をかけてやる事件なんてまずない。いわゆる国策捜査は、みんな東京の特捜か大阪の特捜の担当です。
特捜に入って初めて検察の正義と検察官の正義は違うとひしひしと感じる。僕も東京地検特捜部に配属されて、特捜の怖さをつくづく知りました。
検察の正義はつくられた正義で、本当の正義ではない。リクルート事件然り、他の事件然り。検察は大義名分を立て、組織として押し通すだけです。
それは、ややもすれば、検察官の正義と相入れません。現場の検事は、最初は良心があるので事実を曲げてまで検察の筋書きに忠実であろうとする自分に良心の呵責を覚える。
しかし、波風を立てて検察の批判をする検事はほとんどいない。というのも、特捜に配属される検事はエリート。将来を嘱望されている。しかも、特捜にいるのは、2年、3年という短期間。その間辛抱すれば、次のポストに移って偉くなれる。
そこの切り替えですよ。良心を捨てて、我慢して出世するか。人としての正義に従い、人生を棒に振るか。たいていの検事は前者を選ぶ。2年、3年のことだから我慢できないことはないので。ただそれができないと僕のように嫌気がさして、辞めていくはめになるのです。
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◆小沢一郎元代表の「暗黒裁判」は、米CIAと東京地検特捜部、マスメディアの共謀共同事件だ 2011-10-07 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆マイケル・グリーンという後ろ盾を失い、支離滅裂の小沢報道を続ける日本マスメディア2010-09-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
『小沢革命政権で日本を救え』日本文芸社刊
p82~
前原誠司や長島昭久はマイケル・グリーンの忠実な子分
副島 (前部分略)民主党の“黄門さま”の渡部恒三議員(元衆議院副議長)の息子である渡部恒雄氏の経歴と正体もばらしてしまいました。
渡部恒雄はマイケル・グリーン前東アジア上級部長の忠実な教え子であり、CSIS(戦略国際問題研究所)非常勤研究員を名乗っています。それだけでなく、オヤジの渡部恒三議員の頭をおかしくしています。このバカ息子と同じく小泉進次郎・衆議院議員もCSISの大学院を出ており、マイケル・グリーンが論文を書かせています。
もう一人彼らの育ての親はコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授です。日本研究の大家でテレビによく出てきます。
前原誠司・国交大臣と長島昭久・防衛大臣政務官もマイケル・グリーンの忠実な子分です。長島政務官は、何の臆することなく、「鳩山政権は、アメリカの言うことを聞くべきだ。今の対立的な日米関係は、危険である」と、アメリカ側の代言人(スポークスマン)のようなことを連呼しています。
検察・警察と国税庁という二大実働部隊が鳩山民主党政権に対する反政府クーデター計画を立てて動いていると私は考えています。検察・警察は30万人、国税庁・税務署は20万人の実働部隊を持っている。公務員組織ですから恐ろしいのです。彼らがやがて統制経済体制(コントロールド・エコノミー)になったら、資産家と経営者層に襲いかかっていくのです。私はこのことを心底、恐れています。
この反政府クーデター計画のもう一つの勢力が、アメリカの手先となっているNHKを含むテレビ6社と、大手新聞5社の計11大メディアです。これらの大メディアは、「三宝会」という政治部長会議を密かに開いています。マイケル・グリーン前東アジア上級部長と長島昭久、渡部恒雄らも出席して、「小沢一郎を逮捕し、有罪として葬り去るための謀議」を企てました。
佐藤 そのマイケル・グリーン前東アジア上級部長やマイケル・シファー国防次官補代理たちは、いわゆるジャパン・ハンドラーズで安保マフィアですね。しかし、私は彼らの時代はすでに終わっていると思います。
p135~
副島 (前部分略)そしてその娘さんがルイザ・ルービンファイン女史で、彼女は小沢一郎著『日本改造計画』の英語の元版を書いている。彼女はハーバード大学博士号を持つ女性で、国務省に所属しています。小沢はこのようにして育てられた男です。「日本改造計画」で小沢一郎が打ち出した案を、自民党が利用しながら日本は進んできました。
小沢一郎の親分はジェイ・ロックフェラー(ジョン・ダヴィットソン・ロックフェラー4世、ウエストバージニア州選出の上院議員で、現在73歳)です。小沢はこの人との盟約関係で生き延びてきました。
2009年3月1日に、政治資金疑惑で大久保隆規・公設第1秘書が逮捕されて、小沢攻撃が激化しました。小沢を逮捕するのを阻止するために動いたのは、私の考えではジェイ・ロックフェラーから頼まれたマイケル・アマコスト元大使と、かつて副大統領まで務めたウオルター・モンデール元大使だったでしょう。もう1人、トム・フォーレー下院議員だと思います。この3人の民主党の大物で、日本大使を経験した人たちが小沢を守ったのです。というのが私の考えです。(後部分略)
佐藤 検察は、小沢一郎に関するそのあたりの事情について気づいていない。ブッシュ時代のアメリカとのつながりで、自分たちの知らないアメリカの盾が、自分たちにまだあると勘違いして突き進んでいるということですね。
副島 そうです。検察には、恐らくもう、アメリカからの後ろの盾はないですよ。
佐藤 リチャード・アーミテージ元国務副長官とか、マイケル・グリーン戦略国際問題研究所(CSIS)上級顧問とか、カート・キャンベル元国防副次官補とか、このようなブッシュ政権時代の利権政治屋、いわば安保利権屋に、いい調子でやられているというのはおかしな話です。
その点、やはり鈴木宗男・新党大地代表は立派な政治家です。キャンベル元国防副次官補が会見を申し込んできたとき、鈴木宗男さんは、「僕はあなたと会いたくない」、「見苦しい」「目障りである」と、言いました。今、こんなことを言えるのは彼一人しかいないです。民主党側も自民党も、まったくだらしのない状態です。
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◆小沢一郎氏 初公判 全発言/『誰が小沢一郎を殺すのか?』2011-10-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎