The Death Penalty 死刑の世界地図 [1]

2010-10-22 | 死刑/重刑(国際)

The Death Penalty 死刑の世界地図
 Monday,October18,2010No.50〔朝日新聞グローブ〕第50号

 この秋、裁判員制度で初めて、検察側が死刑を求める事件が出るかもしれない。ふつうの市民が、目の前の被告人に死という罰を言い渡すべきかどうかの判断に直面することになる。死刑廃止論者だった千葉景子前法相が執行を命令し、制度の存廃論議も本格化しそうだ。私たちはどのように死刑を考えればいいのか。悩み、揺れる世界の現場を歩いた。

■無実の人が執行されたのか 揺れる米テキサス州
  「人の命を決める時にドーナツなんて」・・・米テキサス州出身の女性、ドレンダ・ブロコフスキー(40)は、18年前の奇妙な感情を、今でもよく覚えている。当時22歳の大学生。ある殺人事件の陪審員を務めていた。12人の陪審員中、最年少だった。裁判3日目の朝、評議に入り、「被告人を死刑にすべきか」という話になった。そのとき部屋にコーヒーとドーナツが運ばれてきたのだった。
  すべての資料に目を通し直した後、12人の陪審員の仕切り役、陪審長が評決を呼びかけた。しかし、まだ彼女は確信を持てなかった。意見を保留し、証拠の一部を見直した。そして再び評決。
  全員一致で「死刑」と決めた。評議全体は1時間半ほどで終わった。
 この事件がその後、死刑の是非を巡る大きな議論を巻き起こすことになるとは、ブロコフスキーは知るよしもなかった。
  事件はテキサス州のコルシカーナという人口約2万6000人の町で起きた。
  1991年12月23日朝。1軒の家が火に包まれた。トッド・ウィリンハム(当時23)と長女(2)と双子の妹たち(1)の計4人が家にいた。娘たち全員が焼死し、ウィリンハムだけが助かった。
  約2週間後。現場検証をした火災の専門家らが放火と断定し、ウィリンハムが殺人容疑で逮捕された。当初彼に同情的だった目撃者たちも、放火の疑いがあると知ると、「家の中に入って行って子どもたちを助けようとしなかった」「火事を前にしてとても落ち着いているように見えた」などと、次々と証言を変えた。
  92年8月、裁判が始まった。
  ブロコフスキーは法廷で証言を聞き、目撃者の供述や子どもの遺体写真にも目を通した。火事の最中にウィリンハムが車を動かしたこと、子どもを助けに家に入ろうとしなかったことなどが印象に残ったという。
  評決ではまず、有罪か無罪かを決める。「有罪」という陪審長の声に、全員が1人ずつ「イエス」と答えた。その後刑の重さを判断するために被告の家族の証言を聞いた。評議室に入り、死刑かどうかの評決に入った。ブロコフスキーともう1人が評決を保留にしたのはこの時だ。
  「絶対に間違った判断をしてはいけないと思った。一つひとつの証拠を10回くらい見直して気持ちを決めた」
  ブロコフスキーは大学生ながら、ウィリンハムの双子と同じ1歳の親でもあった。「私だったら自分が死のうとも、子どもを助ける。彼はなぜ助けようとしなかったのか。なぜ子どもよりも、車の心配をしたのか。私は確信を持って死刑と答えた」
  一貫して容疑を否認していたウィリンハムは上訴したが、死刑は確定した。
  ブロコフスキーが再びこの事件に引き戻されたのは、それから12年後のことだった。
  2004年2月17日朝、電話が鳴った。裁判の後も連絡を取り合っていた別の元陪審員からだった。
  「きょう、死刑が執行されるらしい」
  ブロコフスキーは、あの陪審の部屋に連れ戻されたような錯覚に陥った。
  その4日前、冤罪を訴える書類が州の「恩赦・仮釈放委員会」に提出されていた。火災の権威と呼ばれた専門家に親族が再鑑定を依頼したところ、放火の証拠とされた痕跡はことごとく否定され、「失火」との報告書が出たのだ。
  上訴審から担当した弁護士は「彼は引火を恐れて車を動かし、家に飛び込もうとしたのを消防士が押さえつけた。1審ではそうした点が弁護されなかった」と話す。しかし、訴えは認められなかった。
  執行後、死刑事件を見直す弁護士らのグループ「イノセンス・プロジェクト」が、全米トップといわれる4人の科学者に再調査を委託。「放火の証拠とされたすべてのデータが科学的には誤り」と結論づけた。拘置所で被告に犯行を告白されたと証言した男はその後「薬物の影響で記憶は確かではない」と言い始めた。
  処刑直前にウィリンハムが残した言葉は今も、他の死刑囚の言葉とともに州司法当局のホームページに載っている。
  「ただ言いたいのは、私は無実だということだ。やってもいない犯罪で12年間、勾留された。私は神のもとに帰る」
  テキサス州は05年、法科学の誤りがある可能性のある事件を調べる委員会を立ち上げた。昨年、委員会に委託された専門家はウィリンハム事件について「放火とする根拠は何もなく、捜査員は失火など放火以外の可能性を無視した」とのリポートをまとめた。現在も当時の捜査に問題がなかったか、議論が続いている。
  遺族は今年9月、無罪の確認を求め、捜査関係者の責任を追及して提訴した。
  ウィリンハム事件はいま、「米国で初めて明らかになった、無実の人の死刑執行か」と言われるようになった。
  しかし、ブロコフスキーは陪審員として死刑判決を下したことを後悔してはいない。
  「科学捜査による新証拠が出ても、それは評決の根拠の一部でしかない。だから一部が覆っても評決には影響しない。私はいまだってあなたの目を見て言える。彼の命を奪うという決断は、正しかった」
  そして、こう付け加えた。
  「死刑は必要だと信じている。でも、人の命にイエスかノーかを突きつける判断は本当に辛くて重い。私はあの日の決断とともに、これからも生きてゆくのだと思う」(宮地ゆう)
■全廃のEU、市民の間では復活の声も
 欧州連合(EU、27カ国)は死刑を廃止している。廃止がEUの加盟条件で、世論も「廃止支持」が広がる傾向にある一方、「復活」を求める声も根強い。
  すべてのEU加盟国が加わる欧州会議(47カ国)が採択した欧州人権条約は、付属議定書で死刑の廃止をうたう。また、EUは新規加盟国に死刑廃止を条件として要求。これに応じて加盟候補国のトルコは2002年、廃止に踏み切った。
  また、外交面でもEUは死刑廃止の働きかけを重要課題として掲げており、日本が7月に死刑を執行した際、「極めて遺憾に思う」との声明を発表した。
  EU加盟国の主要政党もおおむね死刑廃止を支持しており、死刑復活を掲げるのは仏右翼「国民戦線」など政権獲得の可能性が薄い党に限られる。仮に死刑を復活した場合にはEU脱退に追い込まれる恐れが強い。現実的な政治課題として復活を討議している国はない。
  フランス革命以来の伝統のギロチンによる斬首刑を執行し続けていたフランスでは、1981年に死刑を廃止。その決定翌日のフィガロ紙の世論調査では、62%が死刑存続を支持した。その後も、84年から95年までの間に死刑復活を求めて国民議会(下院)に出された法案は27に達したが、いずれも成立には至らなかった。
  死刑支持の世論は仏でその後、凶悪事件発生などの際に高まるなど揺れを見せながらも、次第に下落。2006年の世論調査では反対が52%だった。ただ、死刑支持も42%あり、市民の間では死刑を支持する声は少なくない。
  フランスでは06年、4歳と5歳の子どもが相次いで殺害される事件が起きたのを機に、死刑復活を求める署名活動が起きた。
  英国では、凶悪犯罪が起きるたびに死刑復活の議論が起きる。
  06年に5人の女性が続けて殺害された事件では、当時48歳の男が逮捕され、08年に仮釈放なしの終身刑が言い渡された。遺族からは「市民は政府に死刑復活を議論するよう促すべきだ。そうでなければ将来私たちと同様の苦しみを味わう家族が出てくる」といった声が出た。
  判決3日後から大手調査会社アンガス・リードが始めた世論調査では、50%が殺人罪に対する死刑復活を支持。反対の40%を上回った。
  EU内のその他の国でも、死刑への意識には差がある。
  それぞれの質問方法は異なるが、チェコでは昨年の世論調査で、62%が死刑に賛成。反対は31%だった。一方、ポーランドでの07年の調査では、死刑反対は52%で、賛成は46%だった。(国末憲人、宮地ゆう)

 死刑支持派と廃止派との深い溝は埋められるのか 〈GLOBE副編集長 山口進〉
  「人は、他の人を殺してはいけない」
  これは世界に広く受け入れられている論理だろう。それでは、「人を殺した人が、国家によって殺される(=死刑)のは、正しいことなのか」。ここにくると、賛否は分かれる。死刑支持派、反対派それぞれの理由も、複雑に入り組んでいる。
  そもそもなぜ死刑は必要なのか。
  死刑支持派にそう問うと、次のような答えが多いかもしれない。
  「人を殺すという大罪を犯したのなら、その報いとして命を絶つべきだ」「応報」の考え方である。歴史上、私的なあだ討ち(復讐(ふくしゅう))が広く行われてきたが、それを禁じる代わりに、国家が死という罰を加えることが正当化されたというわけだ。
  「応報」論は、復讐の名残というだけではない。18世紀のドイツの哲学者カントは、こう考えた。
  「犯罪の重さに応じた刑罰が加えられること自体が正しく、それによって正義が実現する」。「目には目をこそが正義」という応報を重視する考えだ。
  これに対して、刑罰は応報だけで正当化されるのではなく、これに加えて「凶悪犯罪の予防になる」という点も重視する死刑支持派も多いだろう。
  このように応報を理由の一つとしてみる考え方は、日本の刑法学界では有力だ。「死刑を乱発するのは避けたい。しかし、多くの人を無差別に殺害したといった、あまりに非人道的な犯罪で、それに報いるためには、犯人を究極の刑、つまり死刑にすることが唯一の正しい道である。そんなケースでは、死刑もやむを得ない」といった考え方だ。
  死刑反対派は、どう応じるのか?
  有力な反論は、次のようなものだ。
  「あまりに非人道的な犯罪で極刑が妥当だというようなケースがあるとしても、そうした例の被告に限って死刑にできる司法制度を作るのは難しい。制度として続く限り、究極の例以外にも死刑が適用され、なし崩しになる」
  米国では35州で、死刑が維持されている。その米国の裁判官や弁護士、学者などでつくる米国法律協会は、昨年秋、「死刑しかない」ケースをきちんと線引きすることは不可能、という結論を出した。死刑廃止を明確に打ち出しはしなかったが、従来の死刑の支持方針は撤回した。
 確実に証拠がそろった被告にだけ死刑を適用するのは難しい。であれば、誤判の可能性が消えない限り、無実の人を殺してしまう危険性が常にある。これが、死刑に反対する有力な論拠の一つだ。
  欧州では独裁国家のベラルーシを除き、死刑は廃止されている。
  欧州の死刑廃止論にも「線引きの難しさ」や「誤判の可能性」の観点もみられるが、根底にあるのは、もっと原理的な「人権重視」の考え方といえそうだ。
  すべての人が生まれながらにして人権を持つ。その中でも基本となる、生命に対する権利は最重視すべきというわけだ。
  EUが死刑廃止を加盟の条件としているのは、生命の尊重という基本ルールを監視する立場にある政府が、死刑という形で自らそれを破れば、ルールの信頼や正当性が損なわれると考えるからだ。背景には、国家権力は、個人の人権を侵害しないよう抑制的に使うべきだという思想もある。
  もっとも、欧州が死刑廃止に至ったきっかけは、国によってやや異なる。
  ドイツの場合、第2次大戦のナチス時代の反省が大きい。当時、死刑が大量に行われたことから、国家に人を殺す権利を持たせることへのアレルギーが強く、1949年のボン基本法で死刑を廃止した。ナチス幹部らは、それに先立つニュルンベルク裁判で処刑された。
  英国では戦間期から戦後にかけて、何度も、期間を限って試験的に死刑を廃止する法案が国会に出されたが否決された。ところが、50年に処刑された男性が実は無実だったことがのちに判明し、廃止論議が本格化。69年に死刑が廃止された。「誤判の恐ろしさ」が廃止に結びついた。
  欧州の先進国で最後まで死刑を残していたフランスは81年、ミッテラン政権下で、「政治主導」で死刑が廃止された。(仏元法相のインタビューを参照)
  EUの考え方に対しては、次のような疑問がわくかもしれない。
 (1)人を殺してはいけないといっても、正当防衛などの場合は認められるのではないか。
 (2)欧州は戦争を放棄していない。他国の人なら、戦争で殺してもいいのか。
やはり死刑制度の是非は、刑罰の目的まで含めて考えないと議論できないことに気づく。
 欧州の主流の考え方は「刑罰の目的は犯人を更生させて社会復帰させること」だ。それが無理な場合は「(終身刑などで)社会から隔離すればよい」というものだ。
  この考え方は「応報によって正義を実現する」という死刑支持論者には、説得力をあまり持たないだろう。
  死刑存続論と廃止論の溝は深い。しかし、互いの論理を良く知り、対話することは有益なはずだ。たとえば、死刑支持派の中に、死刑囚が仮釈放などで出てきて犯罪を繰り返すことを防ぎたいから、という点を重視する人がいる。もし、例外なしの終身刑という制度ができれば、こうした懸念は払拭される。
  廃止派でも、「誤判の可能性」を重視する立場だと、「誤判の可能性がまったくない事例のために、理念的には死刑を残しておいてもよい」という考えもありうる。
  死刑支持派でも、冤罪による処刑を認める人はまずいないだろう。重大犯罪で冤罪を防ぐことは可能なのか。もし不可能だとすれば、死刑を廃止すべきか、別の形の制度運用で対応すべきか。まずはそのあたりから議論を始めるべきかもしれない。

■「死刑は相手を一人前に扱うことだ」 ジョセフ・ホフマン インディアナ大ロースクール教授
  インディアナ大ロースクール教授のジョセフ・ホフマン(53)は米国での犯罪研究の第一人者で、米国内の死刑制度改革などにもかかわってきた。自身は死刑は必要との考えだ。
――死刑を支持するのはなぜですか。
  犯罪の中には時に非常に残酷で暴力的なものがあります。そうした凶悪犯罪を死刑にしないことは、その犯罪の残忍性を過小評価することになります。カント的な考え方に沿って言えば、感情的な報復ではなく、司法自体が応報的である(罪に報いる)必要があると思います。
  罪を犯した人に相応の罰を与えないことは、その人間を一人前の人間として扱っていないということにもなりえます。責任能力のない人が罪に問われないのもそうした理由です。また、死刑制度が存在している社会契約の中で生活している以上、残虐な罪を犯した人間の死刑を避けるということは、被害者に対する屈辱にもなります。死刑は被害者の命を大切にしていることの裏返しでもあるのです。
――欧州は死刑を非文明的なものと非難していますが、それはどう考えますか。
  そもそも米国と欧州の歴史や文化には根本的な差があります。たとえば、欧州は貧困問題を社会の責任ととらえがちですが、米国ではそれぞれの人の努力の差という要素も大きいと考えます。こうした考え方の違いは、犯罪や刑罰についても当てはまります。罪を犯すのは個人の責任であり、社会のせいにすべきではない、という考え方が米国の制度の根っこにあるように思います。
――欧州には、政治決断によって死刑制度が廃止された国もありますが。
  米国では、世論の死刑支持が高い時に、その市民の意思に反して、一部の政治家の決断で死刑を廃止することは考えにくいと思います。
  米国の陪審制度は、政府は十分には信用できないので市民が判断するとの考えから生まれた面があります。ただ、地方検事や裁判官が公選されることで、裁判が政治化してしまっている。陪審員の判断もあやふやになっており、安易な死刑判決が多く、冤罪も多く判明しています。死刑の適用はもっと慎重、かつ厳密にする必要があります。その意味で私は、現在の米国の死刑のあり方には懐疑的です。
――どの犯罪に死刑を適用するかという線引きをどうすればよいのでしょうか。
  難しい点ですが、ほぼ100%間違いのない犯罪にのみ死刑を適用すべきだと思います。過去に米国で30人以上殺害した例や、何人もの女性を拷問した末に殺した例などがありました。本人が犯行を認め、供述通り遺体が彼の家から見つかり、DNAも見つかった。こうした、犯人が明らかな犯罪には死刑を適用すべきでしょう。
――死刑事件とかかわった経験は。
  連邦控訴裁判所の裁判官のクラーク(調査官)をしていた1984年、死刑事件を経験しました。妻と子どもたちを殺害した男の上訴審でした。唯一生き残った娘が「父親はやっていない」と証言を覆したのですが、裁判官と証拠を調べた結果、娘は父親の命を助けるために証言を何度か変えていたことがわかり、裁判官は上訴を棄却しました。
  夜11時ごろ裁判官と書類を作り、すぐに最高裁に回されました。最高裁も、夜中2時過ぎに上告を棄却。その数時間後に死刑が執行されました。その日の新聞には彼が処刑されたとの見出しがありました。自分が死刑執行にかかわったことを痛感した出来事でした。死刑の重さは十分に感じているつもりです。(聞き手 宮地ゆう) *ジョセフ・ホフマン
 1957年生まれ。78年、ハーバード大数学科卒。
  ラジオ局のアナウンサーを3年間勤めた後、ワシントン大ロースクールを卒業。
  連邦最高裁判事レンキストなどのクラークを務めた後、イリノイ州などの死刑制度改革に携わる。
  94~95年と97~98年に東大で教えた。

■「復讐からの移行は、人類の進歩である」 ロベール・バダンテール フランス元法相
  フランスは、1981年のミッテラン社会党政権誕生時に死刑廃止に踏み切った。中心になって取り組んだ当時の元法相ロベール・バダンテール(82)に聞いた。
――なぜ死刑は廃止すべきなのですか。
  民主主義国家であることと死刑制度は共存できないと考えます。人命尊重は人権思想の基本であり、民主主義は人権に立脚しているからです。50カ国近い欧州各国の中で死刑を維持しているのは、最後の独裁国家ベラルーシだけなのです。
  日本は、死刑制度を維持する「仲間」がどんな顔ぶれか、一度振り返った方がいい。世界で最も死刑が多い国は中国です。続いて宗教法に固執するイラン、サウジアラビア。それに内戦状態のイラクです。
――米国にも残っていますが。
  維持する州はテキサスなど、南部で人種間の緊張が強い州が目立ちます。
――フランスが廃止した決め手は。
  「政治的勇気」に尽きます。ミッテランはそれを備えていました。彼は、世論に不人気だと十分認識しつつ、「大統領に選ばれたら廃止する」と明言しました。
  中道右派の前任大統領ジスカールデスタンは「死刑には賛成でないが、まだ廃止の時でもない」などと言っていました。私は人生で、そのような言葉を何度聞いたか。「たくさん死刑を執行したからもう十分です」とある日言うのでしょうか。
――日本では、廃止論者だった千葉前法相が死刑執行を命じました。
  私には、理解できない。廃止論者なら廃止に向けて闘うべきで、存続を望む人々に口実を与えてはなりません。
――日本には「人を殺したら命をもって償うべきだ」との考えもあります。
  「目には目を、歯には歯を」という発想でしょうが、命を差しださせて何になるでしょう。償われた人の寿命が50年延びるのか。命では何も償えません。
――しかし、被害者の遺族に対して申し訳が立たないのでは。
  つまり、復讐(ふくしゅう)が重要という意味ですか。
――復讐というよりハラキリに近い発想かもしれません。死んでおわびをしてもらうという意味で。 自殺する権利はあります。もし死にたいなら死んだらいい。だけど、人が自由に操れるのは自分の命。他人の命ではありません。
――ならば、復讐の権利はないと。
  それは国家に移譲されています。
――復讐したい人に代わって国家が執行するなら、死刑は正当化されませんか。
  復讐は、被害者の遺族に殺人犯を渡せば実行できるが、それは古代への逆戻りです。人類の進歩の一つは、個人的復讐から司法制度に移行したことにあります。
  ただ、哲学的側面だけから死刑を論じてはなりません。死刑は、人の命を奪う法的現実なのです。その過程で様々な不平等があります。処刑された人物よりも重大な罪を犯した人物が処刑を免れる。メディアの批判を受けたり、大統領が偶然死刑を支持する発言をしたりという巡り合わせも判決に大きく影響する。司法とは極めて人間的で、か弱いからです。
  裁判は被告の社会的環境とも無関係ではありません。死刑の陰には必ず、社会的不平等や差別が隠れています。
――日本の今後をどう予想しますか。
  死刑を続けることで、日本の国際的な立場は大きく損なわれています。だが、日本は民主国家であり、世界の大きな流れにいずれ加わるでしょう。
  今、日本には死刑囚が何人いるの?
――100人ほどになります。
  いったい彼らをどうするのですか。死ぬまで何十年も収監するのか。あるいはある日、「3日間で全部執行した」と報告するのか。死刑廃止でしか展望は開けないのではないでしょうか。(聞き手 国末憲人)
 *ロベール・バダンテール
 1928年生まれ。
  弁護士として担当した男性が無罪を主張しながら72年、自分の目の前でギロチンで処刑されたことに衝撃を受け、死刑廃止運動の先頭に立つ。パリ第1大教授なども経験。81年法相に就任。現在は元老院(上院)議員。
■[日本の動き] 6年連続で10人以上が確定
  日本では、7月に当時の法相・千葉景子が2人の死刑を執行した。もともと廃止論者だった千葉は、執行の後、刑場をメディアに公開し、死刑のあり方についての勉強会を立ち上げた。  
  千葉と同様、死刑に懐疑的だった法相の杉浦正健は2005~06年の在任中、執行命令書に署名しなかった。法務省幹部は「署名したうえで、存廃の議論を始めてはどうか」「中長期的には死刑廃止でいいとしても、これだけ世論が被害者側に振れている中では、手順を踏んでいかないといけない」と説得を試みたこともあったという。
  杉浦が退任した06年秋以降、執行のペースは高まった。杉浦の後任の長勢甚遠は10人、次の鳩山邦夫は13人を執行した。「法に基づいて粛々と実行しなければいけない」との考えだった。死刑判決の急増で、死刑が確定したが執行されていない「生存死刑囚」が100人前後になったという事情もあった。
  判決が宣告されても、執行の際には間違いがないか再度精査するため、判決数と執行数の隔たりは死刑のある国に広く見られる現象で、生存死刑囚は全米では3000人を超えている。
  死刑が最高裁などで確定した件数は04年から6年連続で10人以上となった。
 背景には、被害者団体の声の高まりがある。その影響もあって1990年代以降、検察側の求刑は厳しくなった。さらに刑法が頻繁に改正され、全体的に厳罰化された。裁判官も、従来の「量刑相場」にそれほどとらわれずに厳しい刑を言い渡す傾向が出てきた。以前は例外的だった、犠牲者が1人の場合の死刑判決も珍しくなくなった。下級審では無期懲役だったのが上級審で死刑になるケースも相次いだ。代表例が山口県光市の母子殺害事件だ。
  一方で、精査された結果、判決に疑問符がつくケースも目立つ。死刑判決が確定した人が再審で無罪になる例が83年以降、4件にのぼった。最高裁は今年4月、大阪高裁の死刑判決を破棄した。最高裁の死刑破棄は21年ぶり。本来、法律問題を審査する最高裁が、事実認定についてもチェックする姿勢を示した。
  内閣府の昨年の世論調査では、死刑容認が85.6%、廃止は5.7%だった。(山口進)
■米ニュージャージー州、「死刑維持はコスト高」で廃止
  米国では、死刑復活が認められた1976年以降、今年9月末までに計1228人が処刑された。先進国の中では最も多い数だ。それでも、死刑をめぐる論戦は、司法や立法の場で続いている。
  その中で、最近新たに浮かび上がってきた論点が「コスト」だ。死刑を維持した方がコストがかかる、というのだ。
  米国の50州のうち、死刑があるのは35州。76年以降、2州が廃止した。2007年に廃止したニュージャージー州では、コスト論が決め手の一つになった。
  死刑制度にコストがかかる主な理由は、裁判の長期化で弁護士費用がかかるためだ。それは、死刑事件の審理が、より慎重に取り組まれていることを示す。
  米国では死刑を求刑する事件の場合、「特別に適正な手続き」が求められる。ニュージャージー州では、資力がない被告人のために州が公費で運営している公選弁護人事務所は、最低2人の弁護人を用意する。さらに、大半は一審で終わらず、州の最高裁まで審理が長く続く。このため、死刑が廃止されれば、訴訟が短縮されるなどして、州の負担が年間約146万ドル(約1億2000万円)節約できるとの試算が出た。
  コストは判決後も違う。死刑が確定しても、再度審査するなど執行までは時間がかかるし、長期間執行されない死刑囚も増えている。その間、死刑囚は特別な房で処遇しなければならず、一般房より年間約3万2000ドル余計にかかる。平均32歳で特別房に入り、執行されないまま30年から40年を過ごすと仮定した場合、死刑がなくなれば一般房に入れられるので、一人当たり計約97万?約130万ドル少なくて済む、と推定されたという。
  「コストだけで判断したわけではないが、説得力を持たせる意味で重要だった」。ニュージャージー州上院議員のクリストファー・ベイトマンは振り返る。
  各自治体は巨額の財政赤字に悩んでいる。ニュージャージー州でも、最大の都市ニューアークで市庁舎のトイレットペーパーを撤去することも議論されたほどだ。
  ベイトマンは当時、州下院議員として法案の共同提案者に名を連ねた。死刑を支持する保守系の仲間たちからは「選挙に落ちるぞ」と脅され、揺れたという。「議員生活の中でも一番悩んだ法案だったが、今でも正しかったと思っている」
  同州でコスト論が重みを持ったのは、「せっかく人手とお金をかけて死刑制度を維持しているのに、30年以上も執行していないのは無駄だ」という考えからだ。今後、死刑がほとんど執行されていない州で財政がさらに深刻になれば、追随する例が出てきてもおかしくない。
  一方、テキサス州のように常時年間数十件のペースで執行している州もある。そうした州では、死刑の「コスト」は、大きな議論にはなっていない。(田中光)
■[キリスト教と仏教] 容認か批判か。宗派や時代で態度は異なる
 宗教の論理が、死刑の存廃論議の多くの場面で持ち出される。キリスト教では、カトリックが死刑に反対する。一方、プロテスタントには両論あり、死刑存続の立場を鮮明にする宗派もある。
  それは現実の政治にも影響し、カトリック教徒の多い国では死刑廃止の国が多いといった傾向として表れる面もある。
  キリスト教の教義はどうなっているのか。
  旧約聖書には「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される」など死刑容認ととれる部分がある。一方、新約聖書には、石打ちで死刑を受けそうになった女性をイエスが救う場面など、死刑に反対するような内容の記述がある。
  キリスト教と政治の関係に詳しい関西学院大教授の栗林輝夫は「異端裁判、宗教戦争にみられるように、キリスト教では長い間死刑が容認されていた」という。「死刑廃止運動の根っこには、近代以降の人権思想の流れがあるが、欧州では両大戦の苦い経験を経て、キリスト教が再解釈されたのではないか」とみる。
  カトリック教会では聖書のほか、法王の意向が尊重される。死刑反対への言及が際立つようになったのは前法王ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)からだ。現在のカテキズム(教理書)では「死刑執行が絶対に必要とされる事例は皆無ではない
 にしても、非常にまれなこと」とされる。前法王はこれを踏まえ99年に「世界のすべての指導者たちが死刑廃止に同意するよう、あらためて訴えたい」と発言した。
  法王の意向に沿い、日本や米国、韓国など死刑がある国でもカトリック団体は死刑反対の姿勢をとる。また、フィリピンでは熱心なカトリック教徒だった元大統領アロヨが、2006年に法王と面会する直前に死刑制度を廃止している。
  一方、プロテスタントはそれぞれの宗派の独立性が高く、死刑への賛否が分かれている。栗林は「死刑に反対するプロテスタント教会も多い一方、聖書を文字通り解釈する保守的な宗派の一部は旧約聖書の記述を主な根拠に死刑を支持する。米国南部などに大きな影響力を持ち、保守政治と結びついている。韓国にもそうした宗派の影響がある」という。
  韓国では、カトリック教会や一部のプロテスタント団体が廃止運動に熱心に取り組む。一方、保守派のプロテスタント宗派が集まる韓国基督教総連合会は05年から死刑存続を求める声明を出している。牧師・文源恂は「廃止の主張は聖書的ではない。『敵を愛しなさい』というのは、悪人が善人を殺しても死刑にしてはいけないということではない」と話す。
  仏教はどうか。
 原始仏典のダンマパダ(法句教)に「怨(うら)みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない」とある。さらに戒律で「不殺生」を定めており、教えは死刑制度とは対極にあるようにもみえる。
  しかし、日本を含め仏教信者が多いアジアの国々で、死刑は存続している。その理由として、専門家は「仏教と政治・社会との距離が離れていること」をあげる。
  真宗大谷派の住職で同朋大学長の尾畑文正は「仏教は、『出世間』の立場から社会(世間)と距離を置き、人間の煩悩から引き起こされる社会問題にまじわらないようにしていた」とみる。真宗大谷派は、このあり方を見直す形で社会問題に取り組む一環として、1998年から死刑に反対する声明を出しているという。
  刑法学者で仏教にも詳しい中京大教授の平川宗信は「従来の仏教は、生きているうちは世俗の権力に従うように教えてきた。仏教が権力を宗教的に支え、かわりに保護を受ける。あえて権力を批判するような文化は希薄だ。よって、国に死刑制度があれば批判しない立場をとることが多い」と指摘する。
  日本の平安時代の約350年間は、死刑が行われていなかったとされる。平川は「仏教の不殺生の考え方も影響しただろうが、それよりは、死刑によって刑死者に祟(たた)られるという怨霊(おんりょう)思想が背景にあったのではないか」とみている。(杉山正)
■[イスラム教]石打ち刑は「神が命じた。変更できない」
  死刑が執行されるかどうか、世界的に注目されているイラン人女性がいる。サキネ・モハマディ・アシュティアニ(43)。夫以外の男性と不倫関係にあったとして姦通(かんつう)罪に問われ、2006年、州の裁判所が石打ちによる死刑を言い渡した。最高裁も判決を支持した。
  イランの死刑は、日本と同じ絞首刑が基本だが、既婚者の不貞行為の場合だけは、イスラム法で石打ち刑と定められている。男性は腰まで、女性は胸まで土に埋め、死ぬまで石を投げつける。裁判所の命令により、民兵や警察官が実行する。今年6月、国際人権団体がアシュティアニの例を公表すると、欧米を中心に「残酷だ」と中止を求める国際世論がわき起こった。
  イラン司法府顧問、ジャバド・ラリジャニは「石打ち刑は憲法に明記されたもの」と正当性を主張しつつも、国際社会の非難を受けて「見直される可能性もある」と述べた。
  弁護士らが運営する人権ウェブサイトによると、イランではこの4年間で少なくとも7件の石打ち刑が執行され、少なくとも計14人以上が執行を待っているという。
  政教一致のイランの法律は、聖典コーランや預言者ムハンマドの言行伝承を基礎とするイスラム法に基づく。イスラム法とは、通常の法律とは異なり、人間生活のすべてを律する規範。いわば「神の命令」だ。
  テヘランの「イスラム布教協会」の宗教学者モメニィによると、ムハンマドが生きた時代のアラビア半島では「性的なモラルが低く、不倫や近親者同士の性行為が広まっていた」という。父親の分からない子どもが多く生まれ、ムハンマドは不倫を最も罪な行為と考えた。家族という枠組みを人々に守らせるため、石打ちという残忍な方法をあえて定めたという。「これは神が命じたこと。誰であっても変更はできない」
  ただ、石打ち刑の確定には男性4人か女性8人の証言が必要とされる。「立証は難しく、頻繁に適用されるわけではない」。さらに、執行直前に穴から逃げ出すことができれば、「困難なことを成し遂げたならば神の意志が働いた」と解釈され、処罰されることはないという。
  イランでは、強姦(ごうかん)や男性の同性愛、麻薬密輸などや、モハレベ(神への敵意)という罪、例えば銃で武装して社会を不安に陥れる行為も、死刑にあたる。
  執行後は国営メディアが死刑囚を匿名にして短く報じる。09年には339件が報じられた。しかし人権サイトによれば、少なくとも402件が執行されたという。この差は、政治犯の処刑は報道されないため、人権サイトが独自に見積もった結果だ。
  強姦や麻薬密輸などの場合、街中で「公開処刑」が行われることもある。目撃した市民によると、死刑囚の首とクレーンが綱で結ばれ、刑務官の合図でクレーンが引き上げられる。テヘランでは07年を最後に見られなくなったが、地方では今も行われている。
  言論統制が厳しいイランでは、死刑の是非が論じられることもない。国際人権団体のサイトへの接続も制限されている。そもそもイスラム法に基づく法体系に疑問を投げかければ、イスラム教の冒涜(ぼうとく)という重罪に問われかねない。
  同じくイスラム法を基礎とするサウジアラビアにも死刑があり、国際人権団体によると09年に69件以上が執行された。対象犯罪はイランとほぼ同じだが、執行方法は公開の場での斬首が多いようだ。
  一方、イランの西隣・トルコは、戦時を除いて死刑が廃止されている。国民の99%がイスラム教徒だが、厳格な「政教分離」を憲法でうたい、イスラム法で罰せられることもない。
 悲願の欧州連合(EU)加盟に向け、死刑廃止を含む民主化法案が02年、国会で賛成多数で可決された。唯一反対した右派の民族主義者行動党は同年の総選挙で敗北。死刑論議は下火になった。
  もっとも、トルコでは83年の民政移管後は欧州からの批判を意識し、84年を最後に死刑は執行されていなかった。凶悪な事件が起きても復活を求める声は上がらないという。(北川学)

 ⇒The Death Penalty 死刑の世界地図 [2]


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