〈来栖の独白 2018.5.4 Fri〉
安部龍太郎氏の『浄土の帝』を読み終え、同じく『彷徨える帝』がセブンイレブンに届くのを待っていた先日、書棚を漁っていて、井上靖著『後白河院』(単行本)を発見。大昔、読んだ筈のもの。もうすっかり内容も忘れていた。早速、読んでいる。何やら、1冊、得した気分。好きだ、私は。こういう時代の小説が、好きだ。愉しい。
後白河院
第一部
p7~
保元から平治へかけての世の移り変りについてお話するようにというお言葉を戴きましたのは、昨年の夏の初めのことであったかと存じます。その折、近くご都合をお伺いした上でお館へ参上するよう申し上げましたが、それから早や一歳近い月日が流れてしまいました。内府(藤原兼實)さまからのお話しがありましてから幾莫もなくして、二條帝には御患い重くおなり遊ばし、六月二十五日には譲位、七月二十七日には新帝の即位、翌二十八日には崩御遊ばされるといった大事が続き、そのあとは亡き帝のご法要、新帝のご朝儀と、昨年の秋はそのようなことで慌しく過ぎてしまい、お伺いいたす機(おり)を持つことができませんでした。蔵人所にてご用を勤めます私も、何かと心忙わしく日を送りましたが、内府さまの方は、---左様でございます、その間には例の延暦寺、興福寺の争いもあり、六波羅の方の騒がしさも伝えられ、内府さまには、さぞご多忙にわたらせられたことと存じます。
p8~
それに加えまして、年が替りますと、御兄関白(藤原基實)さまの突然のご逝去、まだ二十四歳のお若さであることを思いますと、こう申し上げている現在も心の底から悲しみがこみ上げてまいります。私はご存じのように法性寺(藤原忠通)さま、基實さまと、二代の摂関家にお仕えしまして、限りないご恩顧を受けて参った者でございます。長寛二年に法性寺さまご他界遊ばされ、それから僅か二年目の、この仁安元年七月にはこの度のご不幸、以来今日まで為に天日が翳ってしまったような心許なさを覚えております。内府さまにもお心の合った兄君を喪い遊ばされ、どのようにご落胆のことであろうかと拝察いたしております。
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◇ 『とめどなく囁く』 「聴覚障害者の五輪、デフリンピックに・・・」 『浄土の帝』 2018.4.20
〈来栖の独白〉追記
山本周五郎さんの『ながい坂』を読了したのが、今月4月3日だった。あとは軽いものをと思い、桜木紫乃さんの『ホテルローヤル』を買っておいたのだが(桜木さんは現在、新聞小説連載中で、中々の力量を感じさせる)、短編を2作読んで、放り出した。
何を読もうか、読めばいいのかと暫し寂しい思いをしていたところ、数年前、途中まで読んで止めていた安部龍太郎著『浄土の帝』を書棚から見いだし、現在、それを読んでいる。半分ほど、読んだところ。
安部龍太郎氏の作品は、新聞連載で『等伯』を読み、心を揺るがされた。大変な力量を感じさせた。だが、『浄土の帝』は読めば心が滅入るばかりで、諦めたのだった。
いま再び手に取り読んでいるが、落ち着いて(先を急がず)読めば、流石、安部龍太郎氏作品。趣き、深い。
崇徳上皇(兄)と後白河帝(弟)の失意、無念、悲哀が胸に迫る。信西法師、美福門院の権勢、暗躍など、「ああ、安部龍太郎氏はここまで到達したのか」と私も感じ入る。
断片になるが、心に染みた部分、書き写してみたい。
浄土の帝
p248~
洛中を華やかに彩った紅葉も散り果てた頃、右京大夫が一人の僧を案内してきた。
墨染めの衣を着ているが、頭はざんばら髪にして髭もたくわえている。肩幅の広いがっしりとした体付きで、手は武士のように節くれ立っていた。
「それがしの縁者で佐藤義清(のりきよ)と申します。今は出家をとげ、西行と名乗って山野を遊行しております」
右京大夫が烏帽子に手を当て、いささか得意げに紹介した。
西行法師はこの年39歳。鳥羽院の北面の武士という恵まれた地位を捨てて出家したのは、33歳の時である。
それ以後漂泊しながら物した和歌が認められ、洛中でも評判になりつつあった。
「そちの名は兄君から聞いたことがある。前の乱で仁和寺に逃れられた時、いち早く馳せ参じたそうだな」
p250~
「何のお役にも立てぬ身ですが、源平の武士が狼藉に及ぶようならば、一命を賭してお守り申し上げるつもりでございました」
西行と崇徳上皇とは、歌道を通じて交誼を深めた間柄である。
その結びつきは主従の絆よりも強く、上皇が危難に遭われたと知ると、じっとしていられなかった。
この時上皇の無念と世の理不尽を嘆いて作ったのが、
かかる世に影も変はらず澄む月を
見る我が身さへうらめしきかな
という一首だった。
「兄君も心有る者と賞しておられた。私からも礼を言う」
「この間、主上よりご下問をいただきました時に、ご返答申し上げることができませんでした。あるいは義清ならばと思い、高野山の草庵から呼び寄せたのでございます」
右京大夫は縁者だけに俗名で呼ぶ習慣が抜けていない。西行も面映ゆげな表情をしたばかりで、それを咎めようとはしなかった。
「ならば教えてくれ。この世を極楽浄土にするにはどうすればよい」
p251~
「それは無理でございましょう」
西行は迷いなく答え、しばらく思案してからこう付け加えた。
「されど、人の心に極楽浄土を築くことはできるものと存じます」
「人の、心にか」
「はい。すべては人の心から生じるものでございます」
「そのために、私は何をすればいい」
「揺るぎなきものに従い、心の王となっていただきとうございます」
その言葉は、帝のお心を強く打った。 揺るぎなきものとは何か。心の王とはどうあるべきか、西行は一切語らない。
だがこれまで五里霧中だった行手に、ひと筋の燭光を見出した思いをしておられた。
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