私には、11月30日は特筆すべき日付 〈来栖の独白 2014/11/30 Sun.〉

2014-11-30 | 日録

〈来栖の独白 2014/11/30 Sun. 〉
 本年は、本日がカトリック教会(典礼暦)の「待降節」第1主日である。本日からクリスマスまで、カトリック教会は、主イエスの生誕を待ち望む。
 私には、この11月30日は特筆すべき日付である。14年前の本日、113号事件勝田清孝が刑に処せられ亡くなった。朝から何故ともなく心が落ち着かなかった私は教会へ行き、待降節に備えて「来ませ 救い主」などを弾いていた。帰宅して、Y弁護士さんからの電話で死刑執行を知ったのだった。13年続いた清孝と私との交流はこの日、終止符を打った。
 私が27年前、清孝に手紙を書いたきっかけは、彼の著書を読んだことに始まる。彼の起した8人殺害という事件は許されないことであるが、著書には深い悔悟と事件の遠因ともなった自らの「生い立ち」など、自省と哀しみが素直に綴られていた。私は手紙(読書感想文)を彼に送ったのだった。
 「生い立ち」といえば、私自身辛かった時期がある。私の父が結核(カリエス)に罹患し闘病生活を余儀なくされたこともあり(その他諸事情で)、母は私を連れて実家(倉敷)へ居候を決めた。実家は、母の実父母(私には祖父母)、弟夫婦とその子ども、そして前の戦争で夫を失った母の姉(伯母)母子がいた。
 伯母は聡明を絵に描いたような人で、綺麗好きでもあり、何事にもきちんとしていた。ルーズな性格の私の母とは正反対であった。
 幼い私を苦しめたものは伯母と対照的な母の性格にもあったが、居候となった理由も原因していた。伯母母子のような死別(戦死)ではなく、父がいるのに別居しているという複雑さが、私を追いつめた。ある時「遺児はいいな」と私は言い、母の実家の皆から顰蹙を買った。当時、戦死者の家族を靖国神社へお参りさせてあげよう、という(確かな記憶ではないが)動きがあり、伯母母子もお参りを考えたようだった。父母の別居という複雑さを背負いきれず喘いでいた私に、「靖国参り」という大っぴらな動きがまぶしかった。決して「遺児はいいな」などとは思っておらなかったのだが、幼く拙劣な私は、そう表現してしまい、周囲から誤解を受け、益々窮地?に立たされた。
 母の実家は、実に何でも言葉に出して言う人たちの集まりだった。悪い人たちではないのだが、言葉で人を傷つける。私はそれらを真に受け、何度も心底傷ついた。「悪い人ではないのだが…」という言い回しに私が拘泥せざるを得なかったのは、こういったところに由来する。
 聖書に私の心を捉えた言葉は多くあるが、「寄留者」という言葉に出会ったとき、これは私のことを言っていると思い、胸が熱くなったものだ。私は旧約の神、イエスの神に引きつけられた。

出エジプト記 
22章
20 寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。
21 寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。
22 もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。

申命記
24章
17 寄留の他国人または孤児のさばきを曲げてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない。
18 あなたはかつてエジプトで奴隷であったが、あなたの神、主がそこからあなたを救い出されたことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。
19 あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう。
20 あなたがオリブの実をうち落すときは、ふたたびその枝を捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。
21 またぶどう畑のぶどうを摘み取るときは、その残ったものを、ふたたび捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。
22 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。
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