天国の清孝へ 2007/12/07 安田好弘さん「私どもの力が足りなかったために、死なせてしまった」

2014-11-30 | 死刑/重刑/生命犯

〈旧HP原稿〉

天国の清孝へ
 清孝さん。いま、『Believe』という曲を聴きながら、この手紙を書いています。次男のTがCDに焼いてくれました。貴方が亡くなった頃、NHKTVの「生きもの地球紀行」という番組のテーマ音楽になっていた曲でした。あなたを喪った私の心に入ってきて慰めてくれました。

Believe
1、たとえば君が 傷ついて くじけそうになった時は 
  かならず僕が そばにいて ささえてあげるよ その肩を
♪世界中の 希望のせて この地球は まわってる
  いま未来の 扉を開けるとき
  悲しみや 苦しみが いつの日か 喜びに変わるだろう
  I believe in future
  信じてる
2、もしも誰かが 君のそばで 泣きだしそうに なった時は
  だまって腕を とりながら
  いっしょに歩いて くれるよね
♪世界中の やさしさで この地球を つつみたい
  いま素直な 気持ちになれるなら
  憧れや 愛(いと)しさが 大空に はじけて耀(ひか)るだろう
  I believe in future
  信じてる
※ いま 未来の扉を開けるとき
  I believe in future
  信じてる

 今年も残りわずかになりましたが、この1年は5月からHPへ「光市事件」の裁判資料をUPしていった年でした。この事件が、元少年被告人の不幸な生い立ちに根ざしていること、また事実と報道との大きな乖離に、心が揺れました。
 不幸な生い立ちは、あなたのそれを私に思い起こさせてやまなかった。あなたも、父親を恐れ脅えながら育ち、精神に異状をきたしたのでした。あなたの少年時の非行が、あなたの人生を狂わせました。(ここまで2007/11/20 記)
 清孝さん。
 母が脚を悪くして歩行困難となったりしましたので、数日間ですが岡山へ行っていました。大変心配したのですが、車椅子を脱することができました。杖をついていますが、歩けています。
 光市事件の最終弁論が今月4日にありました。3時間に及ぶ弁論、しかしとても全部は読み上げきれないという長大なものだったそうです。弁護団の気迫と祈りにも似た熱い心を感じます。
 一方、本日、3名に対する死刑の執行がありました。光市裁判の最終弁論の日、すでに3名の死刑囚に対する執行命令は出されていたことを思いますと、裁判の行方を暗示しているようで、暗い気持ちなっています。
 7年前、あなたが執行された日。お昼と夜との2度、安田好弘弁護士さんから電話がありました。お昼のは執行のお知らせでした。夜のは、あなたの最期の様子をお聞きになりました。ありのままの様子をお話ししますと、じっとお聞きになり、そして「すみませんでした」とおっしゃいました。「すみませんでした。力が足りませんでした」と、詫びてくださいました。「いいえ、とんでもない。ありがとうございました」と私はお応えしましたが、実はそのときは、さほど心に響いてきませんでした。心が空白だったのかもしれませんし、あなたが亡くなって、俄かに緊張していたのかもしれない・・・、尋常ではなかったと思います。
 ところが、7年経った本年になって、私はあの夜の安田さんの電話の声を思い出し、泣いてしまうのです。心ゆくまで泣いてしまうのです。
 7年前までは、恐らく私は自分が自覚する以上に、ご遺族への申し訳なさが大きな大きな重石になっていたと振り返るのです。ご遺族へは無論のこと、世間に対して「申し訳ございません」「すみません」という意識、強い意識で生きていました。謝る、そういう立場しかなかったのです。
 執行の夜の安田さんの電話は、そんな私の立場を一瞬のことにもせよ忘れさせたのです。殺人犯(死刑囚)が命で詫びた、その「当たり前の事」に対して、安田さんは「すみません」と詫びてくださった。「私どもの力が足りなかったために、死なせてしまった」と、詫びてくださったのでした。人から、このこと(罪のもたらしたもの)で詫びて戴くなど、考えもしないことでした。その優しさが、7年経った今、私を泣かせるのです。「8人殺害した犯人が1回の死刑で罪が許されるなんて、とんでもない」「天国にいるとしたら、許せない」等々、死してなお様々に冷酷な言葉を寄せられるなかで、安田さんの「すみません」は、私を慰撫するのです。
 あの人は、極めて理性的で実証的。そして、温かなヒューマニストです。今頃、安田さんが、どのようなお気持ちでいらっしゃるかと思いますと、お気の毒でなりません。
 鳩山法相は、法務省で勉強会を設け、その資料に、名古屋アベック殺人事件のご遺族からの手紙も検討資料として出されたそうです。「頑張りなさい」と主犯服役囚K君を励ます手紙です。このお手紙に、安田さんたちも奮い立たされて今日までいらっしゃったと思います。
 清孝さん。
 安田さんのやさしさに比して、私は何と冷酷であったか、と今やっと気付いています。上にも書きました“殺人犯(死刑囚)が命で詫びた、その「当たり前の事」”、これは、あなたにこの上ない冷酷な考えでした。そんな考えの者が、貴方の姉だったのです。たとえ全世界が“殺人犯(死刑囚)が命で詫びた、その「当たり前の事」”と言ったとしましても、肉親であるなら、「清孝は死刑になるべきではない」「死んではいけない」、そう言って、貴方の心と命を惜しんで守ってあげなければいけなかった、そのことに気付いたのです。安田さんと、上記K君のお母様のお陰で。
 K君の母上は、死刑になりそうな(1審で死刑判決でした)息子のために「何とか助けてくれ」と、奔走したのでした。その母の心情が、K君を立ち直らせました。K君にしっかりと自分の過ちを解らせ遺族に詫びて生きる道を指し示したのです。K君は、今そのように生き、「僕が今日あるのは、母のお陰です」と言います。
 それに比して、私は冷酷極まりない親族でした。そんな私を、貴方は姉として受け容れてくれたのです。貴方の不幸と孤独のほどが胸に迫ります。申し訳なくてなりません。私は何をしていたのでしょう。心からお詫びします。
 今更謝っても追いつきません。赦してください。
 あなたが亡くなった11月30日に近いせいでしょうか、今日の執行は、私には殊のほか堪えます。
 来春4月の光市裁判の判決も、苦しく重なってしまいます。
 今日は、良いことが書けませんでした。ごめんなさい。
 あ、そうそう、今月からスポーツクラブへ行っています。健康体操や太極拳、マシン等で、体に良いことをやっています。
 母を護ってやってね。では。
  2007/12/07 記 up 
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「遺言書」藤原清孝 ■ プロフィール
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