「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大被告 母親との関係〈母親に対する証人尋問 2010.7.8.要旨〉

2010-07-28 | 秋葉原無差別殺傷事件

〈来栖の独白 2010-07-28 〉
 報道によれば、加藤智大被告は、事件の原因は三つ、だと述べる。〈記事は、中日新聞、毎日新聞から引用〉
「まず、わたしのものの考え方。次が掲示板の嫌がらせ。最後が掲示板だけに依存していたわたしの生活の在り方」である、と。
 加藤被告は以前から「裁判は償いの意味もあるし、犯人として最低限やること。なぜ事件を起こしたのか、真相を明らかにすべく、話せることをすべて話したい。わたしが起こした事件と同じような事件が将来起こらないよう参考になることを話ができたらいい。事件の責任はすべてわたしにあると思う」と自分の裁判に対する姿勢を表明しており、今回の被告人質問への答えも、その趣旨に沿っている。
 事件の直接の原因となったネット掲示板について、「ネット掲示板を使っていた。掲示板でわたしに成り済ます偽者や、荒らし行為や嫌がらせをする人が現れ、事件を起こしたことを報道を通して知ってもらおうと思った。嫌がらせをやめてほしいと言いたかったことが伝わると思った。現実は建前で、掲示板は本音。本音でものが言い合える関係が重要。掲示板は帰る場所。現実で本音でつきあえる人はいなかった。」という被告の風景は、寂しい。
 この事件について、メディアでは、「ネット」や「派遣労働」が、問題として取り上げられた。確かに、そのような問題を当該事件は提起していた。
 だが、私が目を向けずにいられなかったのは、被告の生育環境だった。極々身近では、勝田事件においても、その起きた主たる原因は彼の成育環境にあった。このように言うことは、被告(或は死刑囚)の親を鞭打つことで、哀れであるが、しかし、犯罪の根が生育環境に大きく起因するように私には思えてならない。
 土浦8人殺傷事件公判においても、金川真大被告(=当時)の父親の証言から、同様のことを感じた。金川被告の父親は、息子を「被告人」と呼称して証言している。これは、加藤智大被告の母親と同じである。加藤被告の母親も、尋問で、息子を「被告」と呼称して意見を述べている。以下、7月8日に行った加藤被告の母親に対する証人尋問から。

 「私は、青森高校を卒業後、地元の金融機関に就職しました。そこで同僚だった被告の父親と知り合い、昭和55年に結婚しました。その後、主婦となり、57年に長男である被告が生まれ、その3歳下に次男が生まれました。その後、62年に夫の職場が五所川原市から青森市に変わり、その年に家を建てました」
 「引っ越してからは、夫が毎日のように酒を飲んで帰るのが遅く、暴れたり、帰宅しないこともあり、私はイライラし、子供たちに八つ当たりすることがたびたびありました」
 「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」
 「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」
 「長男と次男に同じようなことをした記憶がありますが、どちらかというと長男である被告に強く当たりがちだったと思います」
 「私が夫の前で怒ることもありましたが、夫は止めてくれませんでした」
 「私は被告について、物覚えが早くて頭のいい子だと思っていましたが、一方で、あまり言うことを聞かない子だとも思っていました」
 「私は被告に、北海道大学や東北大学を目指してほしいと思っていて、自分と同じ青森高校に行ってほしいと思っていました」
 「被告は小学生のころは反抗するより、泣いていました。中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで被告と口論となり、顔を殴られたことがありました。私はそれ以降、被告とあまり口をきかなくなりました」
 「中学3年のころ、被告がレーサーになりたいと言い出したので、危険だから絶対やめるように言いました。女の子とも交際していたようですが、成績にプラスにならないからやめるように言いました」
 「私は、被告が昔から車が好きだったので、自分で進路を決めて良かったと思いました」
 《加藤被告から平成18年8月に「これから死ぬから後はよろしく」と突然電話がかかってきたという》
 「私は、借金があると言っていたので、私が返してあげるから、必ず帰ってくるように言いました。それと、私が辛くあたったことも原因の一つだと思い、謝るから帰ってきなさいとも言いました」
 「その後、被告は『精神科に行きたい』といいましたが、あまり意味がないと思ったので、そうアドバイスし、結局行きませんでした」
 「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません。被害者や遺族の方には申し訳ないと思いますが、経済的な損害賠償は不可能です。私は被告を見放すことはなく、できる範囲でこたえていきたいです」

 生育環境・親子関係を事件の起きた主たる要因と観ることに、繰り返すが、私は親御さんへの苛酷を覚える。故宮崎勤死刑囚の父親(親族)の苛酷な晩年に痛ましさを禁じえないけれども、やはり犯罪の因って起きる元が生育環境にあるとの見方を捨てることができない。勝田清孝は、その人生の最後まで、父親にこだわり続けた。面会でも、会話の多くを父親との生活に割いた。子とは、親を慕ってなんと切ないものだろうと思わされた。手記の末尾に次のように述べる。

 支離滅裂な拙文ですが、生き恥としての私の生い立ちをかいつまみしたためました。
 被害者の霊に手を合わさずにいられない今の私には、嘘は断じて許されないことを念頭に、すべて直筆致しました。
 とりわけ身勝手な振る舞いでさんざん親不孝を重ねた私は、自分に向けられた父の慈愛を見抜けずに反感ばかり募らせていたことを、実に済まない気持ちでいるのです。確かに父は寄り付き難い存在でしたが、人一倍自己に厳格で、律儀一遍の父でもあったのです。父への悪感情も隠さず数多くしたためましたが、父との確執は私の放逸な行動ゆえ起こるのであって金銭のみならずあらゆる面で苦労をかけ続けた私には、父を憎悪する資格などどこにも見当たらないのです。
 また、公務員になった事を悔やみ、積もり積もった心のわだかまりを吐露すればするほど責任回避と受け取られてしまうのではないかと思いながらも、人生の進路を誤ったという正直な気持ちを切り離して悪業を思い起こすことは、どうしても真意を偽ってお話しするような気がしてならなかったのです。

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秋葉原17人殺傷事件 第16回(2010.7.27 東京地裁) 加藤智大被告人の父母に対する証人尋問要旨 2010-07-27 
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「秋葉原無差別殺傷事件」 被告人質問 2010.7.27 加藤智大被告 供述要旨 (東奥日報) 2010-07-27 
秋葉原殺傷事件 加藤智大被告の供述「被害者が目と口を大きく開き訴えかけてくるよう…非常に気持ち悪い」 2010-08-06  
秋葉原通り魔事件 加藤智大事件 青森市の名門、県立青森高校(青高せいこう)を卒業して 2008-06-17 
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 「宮崎被告 家族の悲劇  被害者の陰、地獄の日々 父親自殺 改姓 離散・・・」
 『冥晦に潜みし日々』--〈合掌〉 
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土浦8人殺傷事件 被告人質問1 (第3回公判)
土浦8人殺傷事件 被告人質問2 (第3回公判)
土浦8人殺傷事件 被告人質問3 (第3回公判)
土浦8人殺傷事件公判 金川被告の父親に対する証人尋問 1
土浦8人殺傷事件公判 金川被告の父親に対する証人尋問 2
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