正義のかたち:重い選択・日米の現場から/3 無期囚と文通する被害者長女
◇「償い」知り仮釈放願う
8月末の岡山刑務所。無期懲役囚の井上保幸受刑者(51)に手紙が届いた。
<一日も早い社会復帰を願わずにいられません。貴方(あなた)しかできない社会貢献をしていただきたい>
自分が殺害した女性の長女(48)からだった。感謝と戸惑いが、ない交ぜになった。
29年前、北九州市で起きた通り魔事件。1審判決は「冷酷な性格が改まるとは思われない」と井上受刑者を非難し、死刑を宣告した。
<頭の中が真っ白になるというのは、この様なことだと初めて知りました>
死刑を告げられた時の気持ちを、井上受刑者は記者にあてた手紙でそう表現した。だが、2審で無期懲役に減刑される。シンナーの影響で一時的に心神耗弱だったと認められ、裁判長は「反省の色がうかがえ矯正が不可能とも言い難い」と述べた。「紙一重」で生きながらえた。
<本当にこれでいいのか、何か複雑な気持ちでした>
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被害女性の長女が井上受刑者と文通を始めたきっかけは、6年前の父の死だった。遺品の中から井上受刑者が父に出した手紙が見つかった。供養代が入っていた現金書留の中に便せんがあった。<奥様の尊い生命を奪ってしまいました。さぞかし御家族の皆様は憎んでおられると思います>
謝罪が続いていたことを知り、驚いた。供養代を遠慮すると伝えたが、その後も毎年、書留が届いた。償いの気持ちが伝わり、返事を書くようになった。
事件の時は19歳。遊びたい盛りで母とは衝突ばかりしていた。だが、年を重ね、母への思いは募る。29歳で長男を出産。そばにいてほしかった。
3年前、亡くなった母と同じ45歳になり「まだ、いろいろやりたいことがあっただろうな」と実感した。そんな思いを井上受刑者への手紙にしたためると<改めて罪の重さを知りました>と返信が届いた。
事件直後、井上受刑者の両親が涙ながらに謝罪に訪れ、家の前で土下座したが、伯父が「帰れ」と怒鳴っていた姿を今も覚えている。妹(46)からは「そういう(手紙を出す)気持ちになれない」と戸惑いを口にされたことがある。
「でも、母が戻ってくるわけじゃないから」と長女は小さく言う。「どん底を味わった人だから……。その経験を生かした何かができると思う。いつまでも憎んでたら前に進めませんもん」。加害者の仮釈放を願う理由をそう説明した。
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被告の精神状態や更生の可能性をどう見るかによって、死刑か無期刑かの判断が分かれるケースがある。目には見えない被告の「内面」の見極めも求められる刑事裁判。08年に執行された死刑囚15人のうち5人は、1審では無期懲役だった。プロの裁判官ですら、判断は揺れている。【武本光政】=つづく
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■ことば
◇北九州通り魔強盗殺人事件
北九州市の路上で80年2月、女性3人が刺され、2人が死亡、1人が重傷を負った事件。井上保幸受刑者の弁護側は、シンナー吸引による心神耗弱を主張し、3回の精神鑑定が行われた。1審・福岡地裁小倉支部は83年2月、完全責任能力を認めて死刑を言い渡したが、2審・福岡高裁は86年4月、最初の被害者殺害時の心神耗弱を認め無期懲役に減刑し、確定した。
毎日新聞2009年10月14日6時0分
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◇ 正義のかたち「重い選択・日米の現場から」「死刑・日米家族の選択」「裁判官の告白」
死刑が「正義の形」だというのは、嘘です。
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そのうち一人が井上保幸受刑者だった。
その判決の日の事は昨日のように覚えている。
主文を先に言わない時点で死刑判決が読み取れ
まるで自分が言われるがごとく唾をゴクリと飲み込んだ、死刑判決だ。
記事にある被害者女性には試験のときに缶コーヒーをご馳走して貰っていた。
勤務先の売店に勤めていた方だった。
その日からわずか一週間後の事件だった。
今日の判決でふと思い出した井上受刑者の事を
生きていて何故だかホッとした。
もう一組は執行されこの世に居ない。