不破氏「小沢一郎って、何の理念もないよね」…理念なき野党には何の期待も持てない 筆坂秀世

2015-12-08 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

理念なき野党には何の期待も持てない 小沢氏の「オリーブの木」構想、結局は何を行うためなのか
 JBpress 2015.12.8(火)筆坂 秀世
 2014年12月26日には、「生活の党と山本太郎となかまたち」という摩訶不思議な名前の政党が誕生した。2014年の総選挙で生活の党が2人しか当選せず衆参合わせて4議席となり、得票率も2%を割ったため政党要件を失った。政党交付金を得るために、数合わせで山本太郎参議院議員を抱き込み、政党要件を確保したということだ。この「政党」なるものに今年は3億3000万円の税金が交付された。腹立たしいと思うのは私だけではないだろう。
 維新の党は、「おおさか維新の会」と「維新の党」に分裂した。分裂騒動の中で「通帳と印鑑を返せ」「いや返さない」ということが、両派の大紛争となった。何というレベルの低い喧嘩なのか。
 政党交付金は年4回に分けて交付される。この維新の党には、今年26億6000万円が交付されている。1回当たり約6億6000万円である。分裂後、この金は大阪側に渡ったということなのだろうか。維新の党は、今月6日に松野頼久氏を代表に再選した。政党交付金は、このままで交付されるのだろうか? 毎年1月1日が、政党交付金を交付する基準日なので、新党の届け出を新たにする必要があるのだろうか? ややこしくて事実関係が分からないが、来年交付される手続きだけはしっかりやるのであろう。
 2つの党を俎上にあげたが、要するに、税金の注入がないと政党を維持できないというのが両党の現状だということだ。本来、政党というのは志を同じくする者の自由な結社だ。それが国民の血税を貰うために離合集散を繰り返すというのは、それだけでも志の低い、否、志などそもそも持っていないことの証しである。
■政党政治を弱体化させた「政治改革」
 政党助成金制度と小選挙区制は「政治改革」の名で行われた。その指揮を執ったのが小沢一郎氏だ。利権政治からの決別、政権交代可能な選挙制度ということが売り物であった。だが、この改革を実行したのは、自民党から政権を奪取した非自民の細川政権である。中選挙区制度でも政権交代は実現していたのである。
 安易な政党の離合集散が行われるようになったのは、政党助成金制度ができたからである。さしたる志がなくとも5人以上の国会議員が集まるか、もしくは2%以上の得票を得ることができれば億単位の金が入ってくるのだ。だから毎年のように年末になると新しい政党が誕生するようになった。「生活の党・・・」もいつまでもつことか。
 小選挙区制になって、知名度も日常活動も関係がなくなってしまった。その時、強い政党の公認さえ受ければ、「どこの馬の骨」でも当選できるようになってしまったからだ。小泉チルドレンや小沢ガールズがその悪例である。この中にまともな政治家が1人でもいたか。
■自民党は「物言えば唇寒し」になっていないか
 それだけではない。小選挙区制度の下では、政党の総裁や代表などトップが絶大な権力をふるうことが可能になる。トップが公認権を手中にしているからである。
 郵政解散の時の小泉総理・総裁が民営化反対の議員を公認せず、刺客を差し向けた選挙を想起すれば十分だろう。何人かは、その後、安倍総裁の下で復党を認められたが、総裁をはじめとする執行部に逆らうことがどれほど危険なことか、その恐ろしさを思い知ったはずである。
 かつて自民党という政党は、1つの政党ではあるが、事実上、派閥連合体のような政党であった。右から保守リベラルまで多様な意見を持つ政治家が共存していた。その幅広さが自民党の強さであった。だが、いまの安倍体制に公然と反対を表明する議員はほとんど皆無に近い。
 ただ1人の例外は、秘密保護法や集団的自衛権の行使に公然と反対を表明し、採決ではいずれも退席という態度を取った村上誠一郎衆議院議員だけだろう。安保法制に対して、地方議会では自民党議員でさえ「反対」や「慎重に」という意見書の採択に少なからず賛成している。保守派の中にも集団的自衛権の行使に危惧を持っている人々が少なくないからである。
 自民党には衆参合わせて404人の国会議員がいる。だが村上氏を除いて、重要法案に異論が出てこない。TPP(環太平洋経済連携協定)についても、自民党は「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、TPP交渉参加に反対します」と公約していた。だが交渉妥結に対して、ほとんど異論は出ていない。
 かつて、共産党は「一枚岩」を標榜していたことから「自由や民主主義が党内にない」と批判されたものである。批判したのは自民党だったが、「物言えば唇寒し秋の風」になってはいないか。
■小沢一郎氏がぶち上げた「オリーブの木」構想とは
 さて、小沢一郎氏が今度は「オリーブの木」構想をぶち上げている。
「オリーブの木」はかつてイタリアに存在した政党連合である。小沢氏によれば、そのやり方にならい、民主党、共産党、「生活の党・・・」、維新の党、社民党などが合意すれば、それぞれの党に籍を置いたままで、選挙の時だけ「オリーブの木」という党から公認候補として立候補するというものだそうである。当然、二重党籍になるということだ。おそらく共産党は参加しないであろう。党の存亡に関わるからである。また小沢氏は、「オリーブの木」について、基本的な理念、原理さえ一緒であれば、政策論などは脇に置いておいて構わないとも説明している。
 たしかにこのやり方は、実は小沢氏が得意にしてきたやり方である。
 1993年8月に誕生した細川護熙政権は、日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合などが連立して出来上がった政権であった。旗印になったのは、「非自民・非共産」ということだけだった。こんなものは理念ではない。政策はと言えば、「政治改革」だけである。2003年9月の民主党による自由党の吸収合併も、「非自民勢力の結集」ということだけが目的であった。
 だが細川政権の唯一の実績は、政党助成法と小選挙区制の「政治改革」だけであった。政策の一致がない野合であったため、小沢氏の意向で細川首相が突然に消費税を廃止して、新たに「国民福祉税」を創設して増税する案を発表すると、社会党や武村正義官房長官らが猛反対し、翌日には撤回に追い込まれた。こうした政権与党内の各党の対立も深まり、細川首相はわずか8カ月余で辞職に追い込まれた。
 民由合併によって、2009年7月、民主党は政権を自民党から奪取するが、結局、小沢氏自身の強引な党運営や政治資金問題などで、党内対立が深まり、さらには東日本大震災への対応や中国への及び腰の外交姿勢など、政策上の失敗も多く、最終的には小沢氏自身が離党している。いずれの場合も、日本の政治に大きな傷跡を残しただけである。
 本家のイタリアでは、ベルルスコーニに勝つことを目的に「オリーブの木」が結成され、1996年総選挙で政権奪取に成功している、だが4年後にはベルルスコーニに敗れている。政権奪取の際、選挙に協力した共産主義再建党は、その後、一時は国会議席がゼロになるまでに追い込まれている。
 共産党の「国民連合政府」構想も、小沢氏の「オリーブの木」構想も、結局は、何を行うための政権構想なのかがまったく明確ではない。共産党は、「戦争法廃止、集団的自衛権の行使反対」を政権目標だとしているが、これが本当に政権の目標と言えるのだろうか。志位委員長は、「安倍政権を倒すためには何でもやる」とも述べ、この構想に小沢氏が真っ先に賛同したことに欣喜雀躍(きんきじゃくやく)している。
 小沢氏も、結局は安倍政権打倒ということが最大の目的なのだろう。このためだけに政権を取って、あとは野となれ山となれというのでは、あまりにも無責任である。
 そう言えば、もう20年ぐらい前だったと思うが、不破氏が小沢氏と話し合った後、こんな感想を述べたことを思い出した。「小沢って、何の理念もないよね」と。小沢氏は「理念さえ一致すればよい」というが、その理念を持っていないのが同氏なのである。

 ◎上記事は[JBpress]からの転載・引用です (不破氏=不破哲三氏か)
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山本太郎氏入党で「生活の党」議員 5名となり、国政政党に。小沢一郎・玉城デニー・主濱 了・谷 亮子 2014-12-26 
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