『遊女(ゆめ)のあと』256回(9月20日)
こなぎは、驚きの声をもらしそうになった。七十になるという老女ではなかったか。まさか・・・いくらなんでも若すぎる----。
華奢な女だった。長年、陽の光を浴びていないせいか、肌は人形のように白い。しかも艶めいていた。離れた位置からは、しみもしわも見えない。なにより驚いたのはその髪で、たっぷりとした黒髪をくるくると巻き上げ、髷に漆の櫛を一本挿していた。
本寿院は小首をかしげ、少女のように澄み切った眸で一心にこなぎを見つめている。形のよい唇に無邪気にも見える笑みが浮かんでいた。
「豊後の姪なれば、音曲もできよう。こなぎ、豊後節を聴かせておくれ」
声がまた若々しい。
『遊女のあと』259回
寝床を這い出し、燭台を掲げて廊下へ出た。
物音のする方へ、足音を忍ばせて進む。
本寿院は納戸にいた。
他にはだれもいない。長持や違い棚に納められた物がことごとく床にぶちまけられている。力まかせに投げつけられたのか、こなごなに砕け散った皿や器もあった。その中を老女が這いまわる姿は鬼気迫るものがあった。
まごうかたなき老女である。嵩の少ない白髪はうなじで切りそろえられ、まくり上げた袖や乱れた裾から覗く手足はしわだらけ、手の甲にも血の筋が浮き上がっている。
よほど大事なものを探しているのだろう。老女は薄い肩をふるわせ、揉みしぼるような声で嗚咽していた。気配に気づき、こなぎのほうへ向けた顔は夜叉さながら。これがあの、可憐な美女と同じ女か。
『遊女のあと』263回(9月27日)
幸い本寿院の病は治癒した。以来、振要だけは出入りを許されているという。
恋文を仲介したのは振要----。
そうにちがいない。となれば、当時の奇矯なふるまいは振要を呼び寄せるための芝居ということも・・・。誰かが本寿院に芝居をさせた。だれか・・・。通温と通じていた者だ。厳戒の中、通温に近づくことができた者、身内もしくは身内以上に信頼されていた者だろう。
こなぎは本寿院の寝所へ赴いた。
本寿院は、額にぬらした布をのせて眠っていた。夜具から艶やかな黒髪としわひとつない白い顔だけが覗いている。こうして眺めていると老女には見えない。
けれど、こなぎはもう、この女の本当の姿を知っていた。まばらな白髪をきりきりと結んで顔のしわをのばし、油を塗った上から厚化粧をしてしみを隠す。さらに、たわわな黒髪のかつらをかぶって若さを装う。痛々しいほどの妄執はなんのためか。そう、恋のためだ---。
少なくとも、かつてはそうだった。本寿院はもの狂おしいほど恋に憑かれていたのだ。それも決して結ばれることのない男との・・・。
同じ名古屋にいながら、顔を見ることさえできない。苦悶はいかばかりだったか。
「お気の毒に・・・」
思わずつぶやいている。こなぎの声が聞こえたのか、本寿院の目尻から一筋の涙が流れた。