謙虚に次見据え 照ノ富士 復活Vから一夜明け会見 2020/8/4

2020-08-04 | 相撲・野球・・・など

 中日春秋 
 2020年8月4日  
 力を失った横綱の土俵入りほど冷酷無残なものはないと、好角家だった作家の尾崎士郎が、昭和の初め頃の横綱宮城山について追想している。力の盛りを過ぎながら、一人横綱という事情もあり、土俵に上がり続けた力士だった。冷たい笑いに包まれることが多かったという
▼屈辱のせいだろう、土俵の上で脚が震えていることもあった。<最高の地位によって約束された立派さのために>、宮城山は苦しんでいたと記している(『国技館』)。上りつめる地位が高いほど、一時の輝きが大きいほど、力を失ったときの屈辱、苦しみが大きくなる。力の社会の現実であろう
▼照ノ富士関もかつての輝きと元大関という地位に苦しんだという。横綱昇進も近いといわれながら、けがと病気で自力で立ち上がるのも困難なほどになり、序二段まで番付を下げた
▼力は完全に落ち、付け人もいない。冷酷無残な現実のなか、何度かあきらめかけた。もっともつらかったのは、輝いていた頃の「プライドを捨てること」であったという
▼だれが予想できただろう。再入幕した七月場所での二度目の賜杯という快挙である。これまでの苦労と周囲への感謝の思いではなかったか。初優勝の額を見上げ、何かを思うような顔がよかった
▼再起のための挑戦に乗り出す人には励みになりそうである。こんな時代に見たかったと思わせる表情であった。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です *強調(=太字)は来栖
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〈来栖の独白 2020.8.4 Tue〉
>力を失った横綱の土俵入りほど冷酷無残なものはないと、好角家だった作家の尾崎士郎
 実にその通り。照ノ富士関が5年ほどの間、噛み締めた境涯だろう。そう感じながら私も、優勝を決めて視線を上にやる照ノ富士関を見つめていた。…視線の先は前回の自身の優勝の時の「写真」だったそうな。…「やんちゃな」照ノ富士は、人生(艱難辛苦)を体現する「人間」となっていた。
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 謙虚に次見据え 照ノ富士、復活Vから一夜明け会見 
 中日新聞 2020年8月4日

 
 優勝から一夜明けオンラインで記者会見する照ノ富士=東京都江東区の伊勢ケ浜部屋で  

 7月場所(中日新聞社共催)で30場所ぶり2度目の優勝を果たした元大関の東前頭17枚目、照ノ富士(28)=本名ガントルガ・ガンエルデネ、モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=が千秋楽から一夜明けた3日、オンラインで記者会見し、「新しい写真(優勝額)を飾りたいと目標にしていた。増やしていきたい」と栄誉をかみしめた。額は一定期間、東京・両国国技館に掲げられる。 
 初制覇した2015年夏場所後に大関へ昇進。しかし、両膝の負傷や内臓疾患により、19年春場所に序二段まで降下した。そこから7場所連続で勝ち越して今場所で再入幕。鮮やかなカムバックを遂げた大器は大関へ上がった当時と比較し「どちらも楽しい。当時も今も強くなっている。毎日変わっている自分がいる」と穏やかに語った。 
 自信に満ちあふれた5年前とは心構えが異なり「以前は“イケイケ”の時にした優勝で、俺ができなきゃ誰ができるという考え。今は一日一日、自分のことを精いっぱいやっていれば、いい結果につながると思いながら過ごしている」と説明した。

謙虚に次見据え「もう一回体を鍛え直す」
 (以下略=来栖)
 
 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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大相撲7月場所 元大関 照ノ富士が5年ぶりの復活優勝 2020.8.2 技能賞と殊勲賞も
やんちゃな照ノ富士はもういない 照ノ富士の復活劇に国技館が揺れた <大相撲7月場所>13日日 2020/7/31
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