サウジとイラン、対立激化の背景 / バーレーンとスーダンもイランと断交 UAEは大使召還 2016/1/4

2016-01-05 | 国際

サウジとイラン、対立激化の背景 2国とも計算ずくか
 朝日新聞デジタル 1月5日(火)3時48分配信 (画像=2国のイスラム教徒の内訳とこれまでの経緯)
 3日にイランと断交したサウジアラビアのジュベイル外相は4日、イランへの民間機の発着や国民のイラン渡航を禁止し、経済関係も断絶する考えを明らかにした。ロイター通信が報じた。サウジに続き、4日にはバーレーンとスーダンもイランとの断交を宣言。アラブ首長国連邦(UAE)も駐イラン大使の召還など、「外交関係の格下げ」を表明した。サウジによるイスラム教シーア派指導者の死刑執行をきっかけに先鋭化した中東の2大国の対立は、周辺諸国を巻き込んで深刻化している。
  バーレーンとスーダンはサウジが昨年3月に始めたイエメンへの軍事介入に参加するなど、サウジと緊密な関係にある。特にスンニ派の王政ながら、シーア派が住民の過半数を占めるバーレーンは、反政府デモが広がるたびに「イランが関与している」と主張。2011年にはサウジを中心とする合同軍がデモを鎮圧した。
  対立の発端は2日、テロ活動に従事した罪で14年に死刑判決を受けたシーア派指導者ニムル師を処刑したと、サウジが発表したことだ。同じシーア派の指導者が国を治め、同師を処刑しないよう要請してきたイランは猛反発。最高指導者ハメネイ師が「サウジアラビアは神の報復に直面するだろう」との声明を出した。イランにあるサウジ大使館や領事館は、暴徒化した群衆に襲われ、放火された。
  一方でサウジから見れば、ニムル師は体制転覆を唱えた「危険人物」。宗派対立をあおっているのはイランの方だ。ジュベイル外相は過去のイランでの外国公館襲撃事件にも触れ、「イラン政府が黙認している」と批判した。
  ともに保守的なイスラム教国で産油国のサウジとイラン。両国は衝突と融和を繰り返してきた。共和制でシーア派を国教とするイランと、その影響力の拡大を防ぎたいスンニ派の王制国家サウジの覇権争いだ。
  両国関係は、11年に中東に広がった民主化運動「アラブの春」で、一気に険悪化した。サウジなど湾岸諸国は、国内のシーア派住民によるデモを「背後から手引きした」とイランを非難した。
  さらにサウジで昨年1月に即位したサルマン国王は、イエメンへの軍事介入などタカ派の姿勢が目立つ。メッカで昨年9月、巡礼中のイラン人464人が死亡する事故が起きるなど、対立が深まる事案も続いた。
  両国政府が、「敵国」の存在を国内の引き締めに利用しているのも事実だ。カーネギー中東センターのレナド・マンスール客員研究員は「両国とも、相手の反発を十分に計算した上で行動している。両国とも、この『冷戦状態』の継続を望むだろう」と指摘する。
  ただ両国の対立は、スンニ派とシーア派が混在する中東全体の分断を招く。イラクでは3日、スンニ派のモスクを狙った爆弾テロ事件が相次いで発生。宗派対立をあおって勢力の拡大をめざす過激派組織「イスラム国」(IS)などの活動を活発化させかねない事態になっている。(ドバイ=渡辺淳基)
. 朝日新聞社 最終更新:1月5日(火)6時31分

◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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バーレーンとスーダンもイランと断交 UAEは大使召還
 朝日新聞デジタル 2016年1月4日21時44分
 バーレーンは4日、イランとの国交を断絶すると発表した。また、スーダンも同日、イランとの断交を表明した。AP通信などが報じた。
 サウジアラビアによるイスラム教シーア派指導者の処刑をきっかけに、イランと湾岸諸国などとの緊張は高まっている。3日にはサウジアラビアがイランと断交したばかり。アラブ首長国連邦も駐イラン大使の召還などの措置を取り、外交関係を格下げすると表明している。

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です


橋爪大三郎×佐藤優『あぶない一神教』小学館新書 2015年10月6日初版第1刷発行
 (抜粋)
p91~
佐藤 イスラム原理主義を理解する上で、どうしてもスンナ派とシーア派の違いを知っておく必要があります。
 二つの宗派はイスラムが拡大する過程で生まれました。(略)
 ムハンマドの死後、ムスリムはカリフを選挙で選ぶようになりました。
 四代目カリフのアリーは、ムハンマドの従兄弟であり、娘の夫になった人物です。
(p92~)血族としてもっともムハンマドに近い。そこを根拠に真の後継者は、アリーとその子孫だけだと主張するのが、アラビア語で「分派」「党派」を意味するシーア派です。
 シーア派では最高指導者を「イマーム」と呼びます。アリーの子孫が二代目、三代目と地位を継承していきます。
 一方のスンナ派はムハンマドが伝えた慣習「スンナ」に従う者を意味します。合議で選ばれた代々のカリフを正当だとする多数派です。イスラム原理主義やテロ運動のほとんどは、このスンナ派のハンバリー学派から出ています。
 スンナ派は大きく4つの法学派に分かれていますが、
(p93~)ハンバリー学派以外の3つは政治的に大きなトラブルがありません。
 このハンバリー学派のひとつにワッハーブ派があります。創設者のワッハーブは、18世紀半ばにサウジアラビアの王家と力を合わせてワッハーブ王国をつくり、それが現代のサウジアラビアになります。
 ですから、いまもワッハーブ派は、サウジアラビアの国教でムハンマド時代の原始イスラム教への回帰を目指して極端な禁欲主義を掲げています。また過激派ともつながりのあるグループも一部にはいて、アルカイダも「イスラム国」もワッハーブ派の武装組織ですし、アフガニスタンのタリバンやチェチェンのテログループも流れを汲んでいます。
橋爪 ハンバリー学派、またはワッハーブ派は、キリスト教との比較で考えると、どんな宗派に当てはまりますか。
p94~
佐藤 そうですね。キリスト教とのアナロジーで見ると、プロテスタントのカルヴァン派と似ています。カルヴァン主義も禁欲的で復古主義を主張します。ハンバリー学派やワッハーブ派もカルヴァン主義と形は違いますが、世俗世界では禁欲的な態度をとります。
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