「面会できる人がいる=死刑確定者の88%」俄かに信じ難い処遇アンケート結果

2011-01-26 | 死刑/重刑/生命犯

「面会できる人いない」12%=過半数が健康に問題-死刑囚アンケート・日弁連
 全国の拘置所に収容されている死刑囚のうち、12%に面会できる人がおらず、半数以上が健康状態に問題を抱えていることが26日、日弁連が実施したアンケート調査で分かった。
 アンケートは、昨年2月3日時点の死刑確定者110人を対象とし、90人が回答した。調査は2006年以来2回目。
 面会できる人が「いる」としたのは79人(88%)で、「いない」は11人(12%)。「いない」割合は06年調査の26%から大幅に減少した。
 同年の法改正で面会対象が親族と弁護士以外にも事実上緩和された結果とみられ、面会相手の「親族でも弁護士でもない人」は65人(複数回答可)で、親族と並んだ。内訳は「友人・知人」が最も多く、「宗教者」「支援者」が続いた。
(時事通信2011/01/26-16:18)
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〈来栖の独白〉
 昨年2月3日時点ではあるが、「面会できる人が「いる」としたのは79人(88%)」とは、俄かに信じ難い結果である。前回調査の2006年といえば、新法(2011年に見直し)が施行された年である。新法に則って、受刑者の外部交通が緩和された。しかし、その時にも、拘置所在監の確定死刑囚の外部交通は、依然厳しい制約下にある、と聞いた。上記時事通信の記事を疑うのではないが、信じがたい。
 以下は、菊田幸一氏による死刑をめぐる状況 2008~2010 確定死刑囚の処遇の実際と問題点---新法制定5年後の見直しに向けて(『年報死刑廃止2010』インパクト出版会刊)からの一部抜粋である。確定死刑囚の処遇が、そう易々と緩和されるとは思えない。

1 確定死刑囚の法的地位
 確定死刑囚の法的地位に関しては、旧監獄法において、その第9条が「死刑の言渡しを受けたる者」は刑事被告人に適用する規定を準用する、としていた。監獄法の制定に参加した小河滋次郎は」、その著『監獄法講義』(95頁)において「死刑確定者は、その性質においても、未決被告人と同一の処遇をすべきであるとするのが文理に忠実である」、と述べている。事実、死刑確定者は、監獄法制定いらい、長年にわたり未決勾留者と同類の扱いを受けてきた。
 1963年に矯正局長通達「死刑確定者の接見及び信書の発受について」(以下「63年通達」)が出されたが、その後も死刑確定者は、未決勾留者なみの扱いを基本的には受けていた。
 ところが1970年代後半になって第1に、全共闘の闘士たちによる監獄改良運動、第2に、死刑確定者の再審無罪が相次ぎ、死刑制度に対する批判や疑問が多く出された、等の要因から63年通達が厳格に扱われるようになった。
 63年通達の骨子は、〔1〕本人の身柄の確保を阻害しまたは社会一般に不安の念を抱かせるおそれがある場合、〔2〕その他の施設の管理運営上支障を生ずる場合には、おおむね接見・信書の許可を与えないこと、としている。旧監獄法のもとにおいては、前述のように、監獄法第9条が別段の規定がなければ未決勾留者と同一の扱いをするものとし、死刑確定者について別段の規定がなかったので、「許可を与えない」ことが法理上有り得ないものとして批判されてきた。
 ところで、63年通達は、単に死刑囚の面会、通信の項目について、その制限を「身柄の確保」および「心情の安定」と結びつけて規定したものであるが、死刑囚の法的地位は、これらの課題だけで位置づけられるものではない。しかし旧監獄法において、確定死刑囚につき同法第9条以外に特段の規定があったわけではない。そこで新法制定の機にこれまでの、いわば法的不備の諸点を一挙に処理しようとしたかに思われる。
 しかし、法制定作業の過程は必ずしも納得できるものではなく、中身についても充分な論議を尽したものとは言えない。その根拠については後述するが、そもそも新法においても基本とされているのは、従前どおりの「身柄確保」と「心情の安定」であり、とりわけ抽象的用語である「心情の安定」が確定死刑囚処遇の基本原理となっている。その基本原理が抽象的であり原理にふさわしいか否かを含めて問題がありすぎる。そもそも「心情の安定」という情緒的用語が確定死刑囚の処遇の根拠とされていること自体が納得できるものではない。
 少なくとも旧監獄法下において「死刑囚の法的地位」は、「一種の受刑者ではあるが、行刑上の矯正の対象としてではなく、単に刑の執行を待つ者として在監中いわば高い法律的地位を認め、比較的自由な処遇を与える」(小野・朝倉『監獄法』86頁)という考えが一般的であった。
 ところが前述の63年通達において「罪の自覚と精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるように配慮すべきであるので処遇に当たり、心情の安定を害するおそれとなる交通も制限される」とし、ここではじめて「心情の安定」たる用語が登場した。そして、この原理がその後の実務において確定死刑囚の処遇の制約の根拠とされてきた。
 これまでの、わが国の確定死刑囚の処遇が国際人権(自由権)規約第7条「非人道的なもしくは品位を傷つける取扱いの禁止」や第10条の「人間の固有の尊厳の尊重」に反するとする同委員会の勧告を再三にわたり受けてきたことは周知のところである。その根拠にあるものは、「心情の安定」からする死刑囚の扱いにある。
 非人道的扱いの根拠とされる、法によらざる単なる通達での「心情の安定」を新法において「死刑確定者の処遇の原則」(第32条)に法として盛り込むに至った。自由権規約第7条および10条の理念に逆らう処遇を合法とする危険がある「心情の安定」が、新法の施行後において、いかにその実際の処遇に現れているかを、ここに検証しなければならない。
2 確定死刑囚処遇の原則
 新法は、〔死刑確定者の処遇の原則〕において、その第32条で「死刑確定者の処遇に当たっては、その者が心情の安定を得られるようにすることに留意するものとする」と規定した。この条項の新設については2つの問題がある。
 第1は、前述したごとく、受刑者(とりわけ未決拘禁者)一般とは区別して「死刑確定者の処遇」を法的に独立させた条項を設けた点、第2は、「その者が心情の安定を得られるようにすることに留意する」という、「心情の安定」への積極的関与を法的に位置づけたことにある。
 第1の点については、旧監獄法下での位置づけについて若干の指摘をした。問題は、少なくとも、「心情の安定」については、63年通達において「面会・通信」に関する制約であった。ところが新法32条は、「死刑確定者の処遇の原則」のなかに「心情の安定」を位置づけた。このことにより面会・信書はもとより運動・入浴・居室、その他、死刑確定者の処遇の態様すべてにおいて「心情の安定」が支配し、その法的根拠を与えることとなった。すなわち従来の「単に執行を待つ身分」としての法的位置付けから、とめどなく死刑確定者の内心に至るまで「心情の安定」を根拠に侵入し得る根拠を与えるものとなった。
 第2点の「心情の安定」への積極的関与の可能性に関しては、安易にかかる法規定を許した点を含めて、その経過について稿を改めて述べておかなくてはならない。
3 「心情の安定」の制定過程
 新法制定までの長年にわたる、いわゆる刑事施設法立案の経過のなかで、もっとも重要な法案は、1982年に国会に提出された「刑事施設法案」である。
 その基本となったのは、1976年の「監獄法の改正の構想」であり、これにより法制審議会監獄法改正部会が審議を開始し、1980年に「監獄法改正の骨子となる要綱案」が公にされた。その要綱を基本として法務省が作成したのが「刑事施設法案」である。
 これを死刑条項について対照するならば、まず構想の段階では、「死刑確定者の処遇」について、「(44)死刑確定者は勾留施設に収容し、その処遇は、面会及び信書については、受刑者に対する処遇とおおむね同様とするものとする」とした。受刑者と同様に面会・信書が許されるのは、①親族、その一身上、法律上又は業務用の重要な用務の処理のため必要と認められる者、である。ただし、これ以外の者との面会・信書の発受は「死刑確定者の身柄確保及び心情の安定を害するおそれがないことが明らかなとき」に許す(法務省矯正局編「続・資料・監獄法改正」構想細目、109頁)としている。
 要綱では、おおむねこの構想を踏襲したが、構想では「心情の安定を害するおそれがないことが明らかなときは」としているに対し、要綱では、単に「心情の安定を害するおそれがないとき」とし、「明らかな」を削除している。これは「心情の安定」による関与を幅ひろく解釈することを伏線としたものと解される。ところが刑事施設法案においては、構想および要綱になかった「処遇原則」にこの「心情の安定」を掲げた。その結果として当然ながら面会・信書の発受だけではなく、その他の死刑確定者の処遇一般に「心情の安定」による制約が拡大されるに至った。その表現も「明らかに心情の安定を害する」から「心情の安定を得られるようにする」(法案15条)、または「心情の安定に資するため」(同117条、118条)となり、より積極的に施設側が死刑囚の内心にまで立ち入ることを可能にする根拠を与えるものとなった。
 新法においては、この「心情の安定」をどのように位置づけているか。法32条は「心情の安定を得られるようにすることに留意するものとする」とある。この「留意する」の意味は、これまでの「得られるようにする」、「資するため」とは異なり、単純な「意向」にとどまるものではなく、法的義務としてより積極的に関与する根拠を鮮明にし「心情の安定」が「権利制限原理」として作用することを法的に義務付けたものである。かかる原理が「死刑に直面する者」の原理として国際的にも違法であることを改めて確認しなければならない。

〈来栖の独白  続き〉
 いま一つ、死刑確定者ではなく、受刑者について昨年あたりより処遇が厳しくなった、との報道があった。
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厳罰化・高齢化「刑務所がますます社会から隔離されていく」=相次ぐ面会制限
 中日新聞2011/01/18Tue.
 一時は面会者の枠が広がるなど、改善されたとみられていた受刑者の処遇が再び逆戻りしつつあるという。2001年から翌年にかけ、複数の受刑者が刑務官の暴行で死傷した名古屋刑務所事件。これを機に旧監獄法に代わり、現在は刑事被収容者収容者処遇法が施行されている。今年は新法施行から5年後の見直し年に当たる。塀の中でいま、何が起きているのか。実態を探ってみた。(加藤裕治、佐藤圭)
 支援者、保護司ら「納得できない」
 愛知県犬山市の水田ふうさん(63)は約3年前から月1回程度、岐阜刑務所(岐阜市)で服役中の元日本赤軍メンバーの泉水博受刑者(73)と面会してきた。しかし、昨年10月19日に突然、「親族以外の面会は不許可」と門前払いされた。
 その前月から刑務所の対応はおかしかった。水田さんは面会できたが、同行支援者は「初めての人はダメ」と断られた。水田さんの「私も最初は初めてだった」という抗議は無視された。その直後、別の支援者も「親族以外は不許可」と拒まれた。水田さんは「それまで何の問題もなく面会できていた。刑務所側から納得のいく説明はなかった」と憤る。
 面会対象が拡大されたのは、06年に約100年続いた旧監獄法に代わり、刑事施設受刑者処遇法が施行されて以来。下半身むき出しでホースで放水されたり、革手錠で腹部を締め付けられ、受刑者3人が死傷した名古屋刑務所暴行事件が契機となった。
 同処遇法では受刑者の権利義務が明確化され、第三者委員会の「刑事施設視察委員会」の設置や受刑者による不服申立制度も織り込まれた。その後、拘置中の容疑者や被告、死刑囚にも対象を拡大した刑事被収容者処遇法に再改正された。
 水田さんは岐阜刑務所の視察委員会に意見書を提出したが、なしのつぶてだったという。その視察委員会のメンバーである笹田参三弁護士は「水田さんからの手紙の件は聞いていないが、同じような訴えは他にもある。大変深刻な問題だ。守衛業務をアウトソーシング(外部委託)した時期と重なっている。従来通りに戻すべきだ」と話す。
 一方、岐阜刑務所の庶務課は「親族以外の面会を一律に禁止した事実はない。法の規定に該当しない面会が多数あったことが判明したことから、面会者に対して身分証明書の提示などを求めている」と説明した。
 ただ、こうした面会制限の傾向は、どうやら全国的な流れのようだ。
 NPO法人監獄人権センター(東京都千代田区)の事務局長を務める田鎖麻衣子弁護士は「最初に変だと思ったのは宮城刑務所(仙台市)。08年の夏から秋ごろのことだった」と切り出す。同刑務所は面会希望者に対し、住民票など身分を確認できる資料を提出するよう求めたという。
 関係者の反発もあり、この動きはいったん立ち消えになったが、その後、帯広刑務所(北海道帯広市)など複数の刑務所が同様の動きを見せた。やがて面会拒否の例が出始め、弁護士の間でも話題に上るようになったという。
 同センターへの相談例を振り返ると、こうだ。笠松刑務所(岐阜県笠松町)で昨年9月、出所後の生活指導を担う保護司が「持病が悪化した」という女性受刑者との面会を断られた。「出所時期までまだ間がある」ということが理由だった。
 福岡刑務所(福岡県宇美町)では昨年11月、男性受刑者の身元引受人が、福島刑務所(福島市)では同12月、女性受刑者を出所後に雇う予定の事業主がそれぞれ拒否された。府中刑務所(東京都府中市)では、内縁関係の妻が受刑中の夫と会えなくなった。
 栃木刑務所(栃木県栃木市)では、将来の生活を語ろうと面会してきた地元の3人のうち、2人が09年夏から拒否されるようになった。和歌山刑務所(和歌山市)では、現金の差し入れが認められない例があった。
 受刑者増、高齢化 業務増が一因か
 法務省矯正局は「新法の施行当初、社会復帰にマイナスな暴力団員らが面会する事例があった。そのようなことがないように指導を徹底している」と説明する。07年に局長名の通達で、親族以外の面会は暴力団員でないケースなどに限定するよう指示したという。
 だが、理由はそれだけではないようだ。田鎖弁護士は「現場職員から厳格化の要請が出て、法務省が追認している状況なのだろう」とみる。背景には、刑務所職員の多忙さがあると推測する。
 面会や文通の枠が拡大されたことは、見方を変えれば、職員の立会いや検閲といった業務の増加に繋がった。厳罰化の流れで受刑者の数も増え、加えて高齢者や持病がある人など処遇が難しい受刑者も増加中だ。
 「仕事は増えたのに人手は見合っていない。とりあえず何でも制限してしまおうと考えているのでは」(田鎖弁護士)
 ただ、それで処遇の後退が看過されてよいはずはない。問題の受け皿となるべき視察委員会は機能していないのか。
 田鎖弁護士は委員会の活動について「まじめに取り組めば、千通にも及ぶ意見に目を通さなくてはいけない。独立した事務局はなく、作業は弁護士が担当することになるが、本業に支障が出る。委員会には法的根拠がなく、改まらない問題も多い」と指摘する。 受刑者の不服申立制度についても「ほとんど却下されている」(菊田教授)のが実態という。
 今年は新法施行から5年の見直し年。だが、法務省は受刑者の権利拡大には後ろ向きのようだ。監獄人権センター事務局の松浦亮輔氏は政権交代後、法務省に要望に赴いたが、半ば門前払いされたことを振り返る。
 「政務3役に会いたいと出かけたのに、対応は官僚。政務3役は市民団体とは会わないと言われた。『私たちが来ることは、上に伝わっているのか』と尋ねると、誰も答えない。民主党が掲げた政治主導はこんなものかと痛感させられた」
 せっかく外部との風通しが少しはよくなったかにみえた刑務所の厚い壁。それがひそかに閉ざされつつある。菊田教授は状況をこう懸念した。
 「『開かれた刑務所』が新法の精神だが、あらゆる点で逆行している。このままでは刑務所がますます社会から隔離されていく。いまや旧法時代より悪くなったとすら、言えるのではないか」


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