照ノ富士 大関貴景勝を破って12勝3敗 3度目の優勝 春場所 千秋楽 2021/3/28

2021-03-29 | 相撲・野球・・・など

大関復帰、31日決定 直近3場所36勝 
  中日新聞 2021年3月29日
 昇進問題を預かる日本相撲協会審判部が、照ノ富士の昇進を諮る臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、受諾された。これまで理事会で昇進が見送られた例はない。 
 照ノ富士は千秋楽で大関貴景勝を破って12勝3敗で3度目の優勝。直近3場所で昇進目安の合計33勝を上回る36勝をマークした。31日に開かれる夏場所の番付編成会議と理事会を経て正式決定する。当日に伝達式も実施予定。 
 21場所ぶりの大関復帰となり、現行のかど番制度となった1969年名古屋場所以降で最長ブランクの魁傑の7場所を大きく上回る。4大関は2019年名古屋場所以来。 
 照ノ富士は17年秋場所を最後に大関から陥落。両膝の故障や内臓疾患のため序二段まで落ちた。幕内に返り咲いた昨年7月場所で2度目の優勝を果たした。 
 
 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2021.3.29 Mon〉
 いつも応援している力士。序二段まで落ちて、上がってきた。すごい! 茶目っ気の照ノ富士は、もういない。この頃は、怖いまでの鋭さ、覇気だ。
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大関→序二段→再び大関へ 照ノ富士、なぜ復活 けがが変えた姿
  毎日新聞 2021/3/28 19:42(最終更新 3/28 20:14) 
 大相撲の関脇・照ノ富士が、春場所後の大関復帰を確実にした。一時、序二段まで番付を落とすきっかけとなった両膝のけがは、力士生命が終わってもおかしくないものだった。大関経験者の29歳はけがからどう立ち直り、史上まれにみる復活劇を演じたのか。
 昨年10月。照ノ富士は9月の秋場所を「左変形性膝関節症」で途中休場し、11月場所に向けて伊勢ケ浜部屋で稽古(けいこ)を再開していた。取材後、立ち上がろうとした照ノ富士の膝が「ボキッ」と鳴った。痛そうに顔をしかめるとつぶやいた。
 「こんな膝で相撲を取っているんですよ」
 照ノ富士は大関時代の2015年秋場所で右膝前十字靱帯(じんたい)を痛め、翌16年には左膝半月板損傷の大けがをした。さらに糖尿病や内臓疾患も重なり、長期の休場を経て序二段から再起したが、膝の痛みとの闘いは現在も続いている。両膝は厳重にサポーターで覆われ、長い相撲を取った後には足を引きずりながら土俵を下りる姿が痛々しい。
 そんな状態でも白星を重ね続けられるのは、なぜだろうか。ある元力士は「突き押しの力士が膝を痛めれば『致命傷』になりかねないが、四つに組む力士の場合は何とかなる部分がある」と語る。かつての照ノ富士は、上から相手を抱え込むきめ出しや力任せの豪快な投げで館内を沸かせていたが、今では立ち合いから低い姿勢を保ち、丁寧に得意の右四つになろうと心掛けている。以前は豪快な相撲で勝つと得意げだったが、まず反省を口にするようになった。角界の長年の歴史の中で培われた、基本に忠実な相撲を取ることの大切さに気付いたようだ。
 日体大の相撲部監督も務める斎藤一雄教授(運動方法学)は、照ノ富士が以前と比べて「大分膝が曲がって動いている」と指摘する。元々強い上半身の筋力が、下半身の使い方がうまくなったことでより相撲に生かされるようになったという。斎藤教授は「いくら前に出ていても、重心が高いと相手に力が伝わらない。重心を下げて動けるようになり、相手に力が伝わるようになったことで番付も上がってきた」と話す。
 「膝が悪くなった分、考え方が変わったのだろう」。そう分析するのは、自身も現役時代、膝のけがに苦しんだ鳴戸親方(元大関・琴欧洲)だ。鳴戸親方も、照ノ富士と同じく右四つを得意としたが、大関だった07年に右膝の内側側副靱帯を痛めたのを皮切りに、何度も右膝を痛めて休場を繰り返した。痛みと付き合いながら14年まで土俵を務めたが、最後は「体がボロボロで思うような相撲が取れなかった」と涙ながらに語り、現役を退いた。
 鳴戸親方は自らの経験と、現在師匠として弟子たちを指導する立場から実感を込めて話す。「どんなにけがをしても、ちゃんと真面目に相撲と向き合えば、みんな強くなれる。それは周りがいくら言っても、本人が気付くしかない」
 
 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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北の富士氏「僕なら駄目だった」 照ノ富士の精神力に脱帽/7月場所 2020.7.21


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