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この道 西村京太郎
2019/9/19 Thu 中日新聞夕刊
㊶ 厳しい船出
当時、小説を募集している雑誌は、今ほど多くなかった。特に、長編小説といえば、講談社の「江戸川乱歩賞」しかなかった。
私は、あらゆる懸賞小説に応募することにした。半年もすると、自信が少しずつ崩れていった。
当たり前の話だが、読むのと書くのとは違うとわかってきたのである。
雑誌に、懸賞小説の一次通過、二次通過、そして最終選考と発表されていくのだが、その一次通過もしないのである。
こうなると、自信がどんどんなくなっていく。どんな小説を、どんな風に書いたらいいのかわからなくなってくるのだ。
実存主義が流行っていて、外国の実存主義的な小説が入ってくると、それを真似て書いて応募したりもするのだが、ますます、自信がなくなっていく。
上野図書館で、原稿を書いていても、感覚的に疲れてしまい、午後になると、浅草へ行き、3本立て百円の映画を見るようになった。
1年間で、千本ぐらいの映画を見た。後にオール読物推理小説新人賞を受賞したが、その後も注文がなかったので、自分は、小説よりシナリオのほうが向いているのではないかと、雑誌「シナリオ」にも応募したりした。これは、かなり自信があったのだが、受賞したのはジェームス三木という、ハーフみたいな名前の男だった。
江戸川乱歩賞は、長編で、本が出て、印税を貰えるというので、力を入れた。
最初に本格物を書いて原稿を送ったが、不安になって、あわてて、サスペンス物を書いて送り、それでも不安で、ハードボイルドを書いて、全部で3本を送ったのだが、1本も、予選さえ通過しなかった。
これで、完全に、自信が消えてしまったのだが、改めて、小説の勉強をしようという方向にはいかないのである。誰かが、私の受賞を邪魔しているのではないかという疑心暗鬼に落ち込んでしまうのだ。これが、私の小心のためなのか、落選が続く人間の平均的な心理なのかわからない。
一番の恐怖は、退職金が、無くなることだった。何とか、1年半まで持たせたが、とうとう、ゼロに近くなってしまった。
[中日新聞]からの書き写し(=来栖)