『冥界からの電話』死んだ女の子から電話がかかってくるという実話 佐藤愛子著 2018.12.5

2018-12-05 | 本/演劇…など

〈来栖の独白 2018.12.5 Wed〉
 『冥界からの電話』の広告が中日新聞朝刊に載ったのが11月30日。広告文中に佐藤愛子さんの「『九十歳。何がめでたい』を読んでくださった皆様へ。この本は私からの最後のメッセージです。是非読んでください。」との言葉があったので、その日のうちにネット予約した。発売は12月1日ということだったが。
 12月3日だったかに、セブンイレブンで本を受け取り。昨日夜から今朝にかけて、読了。
 執筆者佐藤さんの真摯すぎる姿勢から、嘘が書いてあるとは思わなかったが、それにしても「まえがき」「あとがき」「目次」すらもなく、いきなり本文。筆致も、到底物書きを専門とする人という感じではなく、云ってみれば「体験記」「手記」。その方が、内容を信じやすいのかも知れない。
 それにしても、想像すら出来ないような内容だ。死んだ「ひふみ」という女の子から何度も電話がかかってくる。
 様々な霊能の師の話も披瀝されており、それによれば、「人は死んで終り」というものではないらしい。ひふみちゃんは、電話で悦んだり、怒ったりする(最後の電話は、怒り)。
 私は溜息を吐く。死んでも終らないのか、安らかではないのか、と。
 ところで、居住まいを正すような気持になったのは、以下の箇所。

p133~
 科学がめざましい発展を遂げていく一方で、地震や豪雨、長雨、洪水などの自然災害が頻発しています。そのことと、日本人が精神性を捨てて、物質の充足のみを目指すようになり、神を「頼みごとをする」だけの存在にしてしまったことに、関連はないのでしょうか。日本人一人一人の波動の低下は、国の波動を下げていく。師はそれを大そう心配しておられました。
「私たちはそれを一所懸命に防いで来ました。しかしもう、防ぎきれないのでは、というところまで来ています。こうしてズルズル落ちて行くのなら、いっそ早く、大きな壊滅が来た方がいいかとさえ思います」

 本日は12月。冬の筈だが本日の朝刊によれば「日本列島は4日、西日本で25度以上の夏日になる地点が相次ぐなど気温が上昇」とあった。「大分県国東市では12月として過去最高となる27,0度を観測。奈良県五條市でも26,8度、福岡市では26,4度となった」と気象庁の発表とか。近年の地震・大雨など、異常を感じないではいられない。 
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信じられないかもしれませんが、これは本当にあった話です。95歳の著者からの渾身のメッセージ。

   

『冥界からの電話』佐藤愛子/著 新潮社 発売日:2018/11/30
 ある日、死んだはずの少女から電話が掛かってきた。数々の超常現象に見舞われてきた著者が、友人の医師から聞いて巻き込まれた不思議な出来事。一体これは何なのだろう……。死は人生の終点ではない。肉体は消滅しても魂は滅びない。死後の世界の真実を伝えたい、著者が実体験から綴る迫真の言葉。
著者プロフィール 佐藤愛子 サトウ・アイコ
 1923(大正12)年、大阪市生れ。甲南高等女学校卒。小説家・佐藤紅緑を父に、詩人・サトウハチローを兄に持つ。1950(昭和25)年「文藝首都」同人となり本格的に創作活動を始める。1969(昭和44)年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞、1979(昭和54)年『幸福の絵』で女流文学賞、2000(平成12)年『血脈』の完成により菊池寛賞、2015(平成27)年『晩鐘』で紫式部文学賞を受賞。ユーモラスなエッセイにもファンが多く2016(平成28)年『九十歳。何がめでたい』が大ベストセラーとなった。2017(平成29)年、旭日小綬章を受章。
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佐藤愛子著『冥途のお客』『私の遺言』…自殺や殺人を犯した者は、死後、暗黒界(地獄)へ行く…

  

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佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』司法は人間性を失った。情を捨て、観念のバケモノになった。
◇ 佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』・・・大阪寝屋川・中1殺害事件

    
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佐藤愛子著『私の遺言』に見る 神戸連続児童殺傷事件 少年A 酒鬼薔薇聖斗 〈来栖の独白 2018.12.3〉

    

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作家・佐藤愛子さんインタビュー(1)「"何のために生きるのかなんて考えなくていい!」
 近頃は平均寿命が年々延び、「人生100年時代」も間近。そんな時代に、心は前向き、体は健康に日々暮らしていくためにはどうすればいいのでしょうか? そのヒントを探るべく、佐藤愛子さんにお話を伺いました。作家として活躍し、唯一無二の生き方をしている佐藤さんから、生き方や暮らし方に取り入れたい「元気の法則」を教えてもらいます。
*自分の体を信じて自然体でいることが健康法
 東京・世田谷にある佐藤愛子さんのお宅を訪ね、勝手口のベルを鳴らすと、「は~い」と声が聞こえ、現れたのは佐藤さんご本人。笑顔で迎えてくださり、「どうぞ、どうぞ」と足早に書斎へ。「今日はお手伝いさんがいないんですよ」と、お菓子とともに手ずから入れたお茶を出してくださいました。
 「お手伝いさんには1日おきに来てもらっているんです。2階に娘たちがいますが、1階は私一人。毎日掃除をする必要はなし、買い物もまとめて買っておいてもらえばいいですからね。食事は好きなので、自分でチャッチャと作ります」
 掃除と買い物以外は、いまでもすべて自分で行うという佐藤さん。ピンと伸びた背筋、しっかりした足取りは、とても94歳とは思えません。でも、特別な健康法は何も行っていないのだとか。
 「外へ行くのが嫌いなので、散歩もしません。でも、わりと足は丈夫ですね。歩くのも速いし。歩幅が大きい。これ、せっかちだからだと思うのね。電話も自分で出るし。お手伝いさんがいても、押しのけて出るの。何回も鳴っていると待っていられないんです。そうすると驚かれるの。作家は自分で電話に出ないらしいのね(笑)。
 90歳を過ぎてからは耳が聞こえにくくなり、眼が緑内障。歯はボロボロ。これは老化だからしょうがないですが、さすがに昨年は忙し過ぎて、体がおかしくなりましたね」
 昨年、日本で最も売れた本が、佐藤さんのエッセイ『九十歳。何がめでたい』(小学館)。その取材が続き、その上、旭日小綬章の受章も重なり、本当に休む暇がなかったと言います。
 「40代の時、2度目に結婚した夫の会社が倒産して、私がその借金を背負った顛末を題材に『戦いすんで日が暮れて』(講談社文庫)という小説に書いたんですが、それで直木賞をもらった時と同じような騒ぎでしたね。あの時は40代だったからやれたんです。今度は90歳を過ぎているわけでしょう。お医者さんから『よくやり抜きましたね。感心するより、あきれるしかない。これ以上弱られたら面倒見切れない』と言われました」
 1年間血圧が乱高下し、体重が2㎏減。それで治まったのは、「もともと体が丈夫だから」と佐藤さん。「いまは、血圧の薬と血液をサラサラにする薬というのを飲んでいるくらい。でもこれは、お世話をかけているお医者さんへの義理で飲んでいるの。本当は、薬は飲みたくないんです。薬を飲んで体が濁ってしまうと、いま、自分の体に何が必要で、何を食べればいいか分からなくなるでしょう。よく、健康ために○○を食べなければいけないとか、○○を食べちゃいけないとか言いますけど、そんな情報に振り回されていたら、きりがない。
 私は、〝自分が食べたいと思ったもの、自分の体が欲したものは、身になるものなんだから、食べる〟という考え方。これは、長い間お世話になってきた野口整体(1940年代から野口晴哉<はるちか>氏が提唱し、全国に広がった整体による健康法)の考え方ですが、私は、"なるほど、これは正しい"と思ったら、それを守るんです。
 自分の体を信じて、自然体でいるから健康なのかなと思ってますね。あと、基本的に人間好きなので、こうして取材で人が来ると急にエネルギーが湧いてくるし、怒るとエネルギーが湧くのね(笑)」。
*生きることに解釈や分析なんて必要ない
 世の中に対して、何か間違っていないか、その考え方はおかしくないかとズバッと言い、愛情を持って怒ってくれるところが、佐藤さんのエッセイの真骨頂。
 この日の取材でも、「読者からは、人生100年時代を生きるコツを伺いたいという声がとても多くて...」と言った途端に、「生きるためのコツなんてある訳ないでしょう。そういう質問が多いからものすごく変わった世の中になったと思ってますよ」と、厳しい言葉が返ってきました。
 「"何のために生きるのか"なんて考えるのは、数少ない哲学者ですよ。我々凡俗は、朝起きたら朝やること、夜になったら夜やることをして、おなかがすいたらご飯を食べる。ご飯を食べるために働く。働くために考える。単純なことよね。なぜ生きることに解釈や分析が必要なんですか。一人ひとり価値観が違うのに、いまは人の考え方と同じでありたいという気持ちの人が多いように思います。
 不安? 何が不安なんです? どうも、よく分かりませんね。私には。老後の生き方は? とか、50代の幸福は? 60代の幸福は? なんていちいち聞かれるけれど、人の幸福なんて分かるわけがない。早い話が佐藤愛子の人生なんて、幸福だと思う人なんていないでしょう? いまの私を見たらそう思えるかもしれないけれど、ここへ来るまでは悪戦苦闘の日々ですからね。でも私はそんな日々も不幸とは思わなかった。それだけのことですよ」

作家・佐藤愛子さんインタビュー(2)「今の日本人は、かつてなかったくらい依存症ですよ」
*物質主義、合理主義になって日本人は精神性を失った
 「いまの日本人は、かつてなかったくらい依存症ですよ。ちょっと痛ければすぐに病院。すぐに人の考えに頼る。戦後、子どもに食べさすものが何もなくて、国は何一つ守ってくれなかったけれど、それぞれの人が知恵を総動員して見事に生き抜いてきた。貧しくて人の面倒なんか見られなかったけれど、お互いを心配する義理人情がありました。
 それがいまは、依存症に加えて政治から何から、全て損得です。王や長嶋が活躍していた時代は、年俸なんて話題にならなかった。いまは、高校生からお金の話。ビットコインだって、何のために必要なんですかね。働かないで居ながらにしてもうけるということがいいことなのか。私にはわかりません。
 戦後、アメリカ文化が入ってきて、日本は物質主義、合理主義に変わってしまった。合理主義は人の情を抹殺します。
 日本人はもっと精神性の高い民族だったはずなのに、いまは、"精神"という言葉を使う人すらいなくなりました。物質主義、合理主義の若い人たちが子どもを育てれば、その子どもも、当然、同じ考え方になる。そうやって時代は変わっていくものなのね」
*腹立ち紛れに書いた小説で直木賞を受賞
 「私がものを書くようになったいきさつは、もう、嫌というほど紹介されていますけれど、最初に結婚した夫が戦地で治療のためにモルヒネ中毒になり、離婚をしたからなんです。
 ところが私は、働くといっても何もできない。全くののらくらでしたからね。当時は戦争に負けて、男性でも職業がない時代ですから、学歴も何もない、主婦のなりそこないができることって何もなかったんですよ。勤めりゃすぐにけんかをして辞めるだろうし、再婚すればすぐ別れてくるだろうと心配していた母が、ある時、私が父に送った手紙のことを思い出したんです。
 姑の悪口を書いた手紙でしたが、それを読んだ父は、『普通なら悪口を書くと陰々滅々とするものだが、これは実に面白い。婆さん(姑)が活写されている。愛子は才能があった。嫁にやるんじゃなかった』と言ったそうです。
 父も、いろんな新聞社に勤めてはけんかをして辞め、政党や俳句研究会をつくったりしましたが、最後は小説を書くことで一家を成した。
 『お前はお父さんにそっくりだから、一人でやれる小説しか向いている仕事はない』と母に言われ、私は小説を書くことにしたんだけど、でも小説好きとか、文学への傾倒があったわけじゃないんです。何も分からないままに、小説らしいものを書いて、『文藝首都』という同人雑誌があるのを知って、そこで勉強するつもりで加入した。それが始まりです。
 誰からも認めてもらえず、ただ書くだけ。それが10年くらい。そのうちに少女小説を掲載してくれる文芸誌が出てきましてね。私の分身みたいな変な奴を登場させて主人公にすれば、結構面白おかしく読んでもらえたの。
 当時は富島健夫(※1)とか、川上宗薫(※2)とかがいてね。相撲の番付で言えば、私は小結あたり。でも、原稿料は1枚500円。そんな時に夫の会社が倒産。返すあてもないのに、債権者から迫られると、面倒くさくなって、肩代わりのハンを押してしまう。ヤケクソですよ。先のことは考えないで勢いで引き受けてしまった。夫は逃げてどこにいるか分からない。腹立ち紛れに書いた小説で直木賞を受賞し、やっと作家としてスタートできたんです。借金も返せました。運がいいのか悪いのか、よく分からないですね」
*人生がひっくり返った北海道の別荘での体験
 「それで一応、生活は安定したんだけれど、よせばいいのに北海道の隔地に別荘を建てたのが始まりで、そこからまた私の人生をひっくり返すような経験をするようになったんです。このことは『私の遺言』(新潮文庫)という本になっていますが、つまりそれまで考えたこともなかったような"人間の死後"について、向き合わざるを得ない事態になったんです。"肉体は滅びても魂は永遠に存在する。死後は無になるわけじゃないということを信じざるを得なくなった。
 つまり、私が別荘を建てた土地は、アイヌ民族が怨みを呑んで、虐殺された集落の跡地だったのです。その怨霊に日々悩まされるようになって、それを鎮めるのに20年かかったのですが、その経験のおかげで私の人生は変わったように思うんです。金欲、物欲、名声欲とか、そんなのナンボのもんじゃいと思えるようになって、心が安定しました」
*霊の世界の真実を描く小説を『小説新潮』に連載中
 佐藤さんいわく、死んだら肉体は無になるけれど、魂は永遠に存在し、3次元のこの世界から、4次元の世界に行くのだそうです。
 「4次元というのは、死後の世界ですね。幽界、霊界、いわゆる地獄といわれている階層に分かれている。魂の波動の高低によって、それぞれ死後の魂は想念の赴くままに行くべき所へ行くらしいんですよ。こういうことは根拠のある話ではありませんから、信じるも信じないも各自の自由です。ただ私は信じるのです。信じざるを得ないような現象を経験しましたからね」
 そんな佐藤さんが、最後の小説のつもりで書いた最新作が、実話を基にした「冥界からの声」。死んだ女の子から電話がかかってくるという不思議な話です。いま、『小説新潮』に連載されています。
 「この前、瀬戸内寂聴さんと対談をして、寂聴さんが『書いている最中にパタっと死にたい』と言っていましたけど、私もそう思います。いわゆるそれが、作家のピンピンコロリ。生涯現役ができたら、人間いちばんいいんじゃないですか。父と母がお葬式を出したお寺が、東京の本郷にあるので、私も死んだら、そこでお葬式を出してもらうつもりです。
 『紅緑之墓』という父の墓があるので、私も『愛子之墓』と彫った墓石を準備してあります。だから死んだら立てるだけ。でも、魂はお墓にいるわけじゃない。4次元に行っちゃっているからね。私は4次元のどこへ行くのかな、地獄か霊界か。こればかりは分からないわね。地獄へ行かされたら、仕方ない。反省して耐えてがんばりますよ。耐えてがんばることは今生で慣れていますからね」
 取材・文/丸山佳子 撮影/原田 崇

 ◎上記事は[毎日が発見 ネット]からの転載・引用です *強調(=太字)は来栖
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2 コメント

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死後の世界 (としちゃん)
2018-12-06 15:57:16
人は死ぬと どうなるのか。
安らかではないのか。
私も知りたい。

優しいご家族(著書やブログより)をお持ちのゆうこさんが
「あちらの世界に行きたい。」と 仰ると、
「そんなこと言わないで、元気になって。」と思います。
死後の世界、他人の不思議な体験、私が知らないこと、否定も肯定も出来ない。

ただ 心が疲れた時に
「貧乏で生活出来ない位になったら、生きるのに必死で 精神的なこと(恋もそのひとつ)なんて考える暇は無いんだよ。」と言われたことを思い出して 力を付けます。
今なら 被災して まだ元の生活に戻れない人達のことを考えるとね。

現在は 兎に角明るく生きたいので 暗くなりそうなものは避けていて 本もそういうものしか読んで居ないのですが。(^^)
ゆうこさん、綺麗な景色をみて、幸せになりましょう♪
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としちゃん コメントありがとう♪ (ゆうこ)
2018-12-06 16:58:54
 今朝ほど、ベルさんの所(https://blog.goo.ne.jp/bellsan0704rabyisan1204/e/20eb4f4555fe3f4547c7c59d812a024f)へコメントしたのですが、としちゃんの仰る通りのこと感じたのです。ベルさんのブログの美しい景色に気分がすっきりしました。
 分からない先のことを考えても、しゃぁないし、ね。
 それにしても、死後のこと、佐藤愛子さんだから、あんなに明るく描かれるのだと思いますね。
 今日も公園でモフモフ猫のBossちゃん達と楽しいひとときでした。
 末筆になりましたが、くろるるちゃんに宜しくね。またお邪魔させて貰います。
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