地下鉄サリン20年 麻原彰晃が“落ちた”瞬間 逮捕から約5か月後、一度だけ犯行を認めたことがあった

2015-03-21 | オウム真理教事件

地下鉄サリン20年 麻原が“落ちた”瞬間
 2015年3月21日 0時27分 日テレNEWS24
 オウム真理教による「地下鉄サリン事件」から、20日で20年。教祖・松本智津夫死刑囚は一連の事件について口を閉ざしたままだが、逮捕から約5か月後、一度だけ犯行を認めたことがあった。私たちは、その自供を引き出した元検事を取材。当時の状況を、初めてカメラの前で語った。
 事件の現場となった東京・霞ケ関駅。あの日から20年。設置された献花台に遺族らが花を手向けた。
 地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん「まさにここで命がなくなったわけですから。会いに来たという感じですね」
 死者13人、負傷者6000人をこえた未曽有のテロ。事件を指示した教祖・麻原彰晃こと、松本智津夫死刑囚が逮捕されたのは、その2か月後だった。かつて“尊師”とあがめられた男。連日、取り調べが行われたが、事件については口を閉ざし続けた。
 実は、松本死刑囚が一度だけ自らの犯行を認めたことがある。
 「今まで一切を黙秘して参りましたが、本日、真実をお話しする決意をしました(松本死刑囚の供述調書より 1995年10月1日付)」
 「いずれは自供するなという印象は持ってたね」
 こう話したのは、松本死刑囚と対峙(たいじ)した東京地検の元検事・宇井稔さん(62)。松本死刑囚を唯一“落とした”検事だ。今回、初めてカメラの前で当時の状況を語った。
 宇井さん「(松本死刑囚は)よくしゃべったやつだね。トントンたたいてたよ壁を『ここ(壁)を通り抜ける』って。(Q:結局通り抜けられないですよね)そうそうそう。ここ(壁)を通り抜けられないことを『お恥ずかしい』って言ってたよ」
 取調室では、はだしで座禅。雑談にはよく応じたという松本死刑囚。事件について語ったのは逮捕から約5か月後のことだった。
 宇井さん「(Q:話し始めるきっかけは?)破防法(破壊活動防止法)だよね。『破防法で教団が潰れるぞ』と言ったら、『教団は潰さないでください』って」
 松本死刑囚は、「自分が罪を認めれば、教団を守り存続させることができる」、そう考えたとみられる。
 そして―。
 「私が指示をして坂本弁護士一家殺害を行わせたのです(松本死刑囚の供述調書より1995年10月1日付)」
 一連の事件の原点とも言える1989年の坂本弁護士一家殺害事件を指示したと認めたのだ。
 しかし、事件の責任については―。
 宇井さん「(弟子に)なすりつけてたね。『私は目が見えませんから』と。『優秀な弟子ですから、それぞれが考えてやったことでしょう』って。(Q:死刑を恐れていた感じは?)あるね。『国家権力の手による死刑は雷が鳴るよ』って言ってたね」
 “自分は死刑になるのか?”繰り返し、こう聞いてきたという。
 だが、この自供後、松本死刑囚は「話をした事は間違いでした」と切り出し、再び自分の殻に閉じこもった。
 裁判でも真相を語らないまま死刑が確定。あの日から20年、独居房の中で今、何を思うのだろうか。
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