花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

音霊は無音に始まり有音に終わる。これ音霊の正体なり。

2016年10月17日 17時55分21秒 | 素直の心柱

  

こんにちは。上の写真は,ある寺院さんの護持の一環として,参拝に来られる檀家さんや一般参拝者の人々に喜んで頂きたいと考えて造成させて頂いた芝桜「品種はダニエルクッション紫」です。左の写真は造成直後の今年4月です。右側の写真は造成3か月後の7月に撮影したものです。被写体のズームが左右非対称になっているので解りにくいと思いますが,造成した時点と造成から3ヶ月を経過したものでは芝の緑色が全然違います。右の写真の方は,本当にきれいな緑色です。来年の春4月頃には紫色の桜が咲いてくれるだろうと思います。そして,芝桜を保護する為に,ヒノキのチップ材をまきました。参拝に来られた檀家さんや一般参拝者の皆さまが,このお寺に来て良かったと感じて頂けるようにと精魂込めて造成させて頂きました。まだ試験的ではありますが,上手く根を張り芝桜が咲いてくれれば,境内に拡張して行く予定です。ちなみに,写真の場所は観音様の前に造成させて頂きました。

さて,今日は,いつも書かせて頂いている音霊について書かせて頂きたいと思います。私の言っている音霊とは耳に聞こえてくるような音ではなく,耳には聞こえない音のことであります。つまり,無音の音と云う事になります。私が何故,そのようなことに関心を持ったかと云いますと,聞こえる音や見える景色や風景は,誰が聞いても見ても同じものです。しかし,同じ音を聴いても,同じ風景や景色を見ても心で想うことや感じる感覚が違うのは何故なのか?と云う素朴な疑問からでした。私はこれが不思議でならなかったのです。だって,皆さんも私も同じ音や景色を見ているのですよ。それなのに,皆さんも私も心で想うことや感じることが違うのです。本当に不可思議な事ですし,真に神秘的です。たとえば,言葉には霊(魂)が宿っていると言われています。これを言霊と云いますが,音霊と聞くとこの言霊の発音を指すものだとして捉えられていることが多いのです。ですが,私の感じる内容とは少し違います。違うからと云って,正解とか不正解とか言うものではありませんし,そう言ったことを強調したい訳でもありません。

私が感じている内容とは,言葉の発音を音霊とする前に,無の音つまり,無音が存在していて,その無音を私たちがキャッチできるから言葉に変換することが出来ているのではないかと云うことです。では,その無音とは何なのかと云いますと波動や音波です。そして,この波動や音波を発信しているのは大自然や自然の神様であります。さらに,私たち人間同士でも同じことが言え,この世のありとあらゆるものは波動や音波を発信していると私は考えています。たとえば,パソコンや携帯電話もそうですし,自動車や家などもそうです。そうなると音を聞くと云うものではなく,音を観ると云う観念がとてもピッタリと当てはまります。楽しく作られた物などには良い波動や音波を発信していて,逆に,憎しみや恨みなどを抱いて作られている物には悪い波動や音波を発信していると言えると思います。よく聞く話で,物には送り主の念や想念が入り込むと言われますが,これは本当のことだと感じています。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設127日目 記事数第137記 素直の心柱 編 


日弁連の失態と尼僧の懺悔

2016年10月14日 21時51分39秒 | 素直の心柱

こんにちは。夕暮れが近づくにつれ,だんだんと寒くなってお参りました。私も寝るときは,電気毛布に包まって寝ております。皆さまもどうか風邪など引かれませんように。今日は「神様から授かったリスクマネジメント3」を書かせて頂こうと思っていましたが,ニュースでも伝えられているように某尼僧さんの発言で物議を醸し出していた話が,尼僧さん本人の謝罪と云うことで終結するようです。私も「裸足の観世音菩薩」で少しだけ書かせて頂きましたが,何れにしても決着が見えそうで,これ以上だれも巻き込むことがなく終わりそうなので良かったと思います。但し,今回の物議で日弁連の思惑は遠ざかったと云えます。日弁連のミスです。

尼僧さんの考え方が,私たち世俗社会とかけ離れているのか?それとも尼僧さんの伝え方に問題があったのかは解りませんが,もう少し慎重さは必要だあったことは間違いないことだと思います。これも大事なリスクマネジメントでありました。尼僧さんの発言に端を発し,物議を醸し出したことに変わりありませんが,私は日弁連の講演運営に問題があったと感じています。やはり,日弁連の事務方にはリスクマネジメントを理解できる人物が存在しないことが認識できました。あのようなVTRを流せば,そのあとにどう云った反応や反響が来るか解りきっていることです。一体,日弁連は本気で当該制度の廃止を目指す気があるのか疑問です。

今日も仕事の関係でこれにて失礼致します。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                               ブログ開設124日目 記事数第134記 素直の心柱 編 


太陽神に感謝。

2016年10月11日 22時01分14秒 | 素直の心柱

こんにちは。ここ最近は,太陽神が東の空から昇り,朝のほんの数分だけ御姿を現され,その後は,厚い雲に御隠れになられたままであります。これだけ長く曇りや雨の日が続くと久しぶりの晴天の日は,太陽神に感謝せずにいられません。太陽神は,地球神にとっても自然にとっても大切なものです。もちろん,私たちにとっても様々な恩恵を齎してくださいます。太陽神が御隠れになられたままでは,私たち人間は生きて行くことが出来ません。今年の秋の収穫物の価額が高騰しなければ良いなと考えております。五穀豊穣こそが経済の原点でありますから,その五穀が不作になると国民の生活がより厳しい環境に立たされてしまいます。

先の大戦中に岡本天明さんへ降ろされた,ひふみ神示「日月神示」でも太陽に関する記述や五穀豊穣についても繰り返し警告されています。

今年,来年,再来年の2年2か月を何とか皆様と共に乗り切って生きたいと思います。ここから先は,何が起こるか解りません。予測不可能な事,予期せぬ事など私たちを取り巻く環境は良くも悪くも様々な現象を生み出して行くことだろうと思っています。この国はいったい,どこに向かって進んでいるのか?自然界はどう変貌するのか?経済はどうなるのか?国民の暮らしはどうなるのか?これまでの経験則では計れないのではないかと感じています。国民年金基金はもう既に破綻していると思っています。

今こそ,本気で,本格的に内需に眼を向けるべきです。今日は,仕事の関係でこの辺で失礼します。太陽神に感謝。拝


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すべてを水に流すこと。古神道とともに。③

2016年09月30日 19時18分14秒 | 素直の心柱

こんにちは。昨日の古神道のところから続きを書かせて頂きたいと思いますが,今日もその前に,左の写真は,伊勢神宮「内宮」別宮である伊雑宮(いざわのみや)の御料田で撮影させて頂きました。ここに来るととても気持ちが良いので,いつも最後に参拝させて頂いています。ちゃんと,正面には鳥居も設置されています。御社殿は撮影できないのですみません。

古神道の思想と云うものは,大自然を崇拝「畏怖と感謝」するだけです。どこかの宗教団体に入ることもありません。団体としての組織がありませんから当然,宗教上の教えもありませんし,指導者も教祖も存在しません。大自然そのものが神様であり,自然の恵みや恩恵によって人間は生かされ,この世のありとあらゆるものは神様の御分霊を宿す存在なんだと云う思想です。大自然や自然ばかりではなく,私たちも神様の御分霊を宿していると考えられています。もっと言えば,古神道と云う名称すらも存在しません。便宜的に使用しているに過ぎないのです。つまり,縄文時代までの文明と解釈して頂いて結構です。

縄文時代以前には越國と呼ばれる文明もあったようです。ただそこまで行くと話が難しくなるので,紀元前1万5000千年前の縄文時代としています。そして,この縄文文明を生きた,我々の遠い祖先である縄文人「古神道」の最も特徴的な考え方は,とくにかく争いを嫌います。縄文時代の遺跡などから唯一,見つかっていないものがあります。それは武器です。人を殺傷する武器は遺跡などから発見されていません。何故か?古神道の思想には,死後の世界つまり,死生観と云うものが存在していて,生きている間に,人やものを恨み,憎しみの様な観念を持って死を迎えるとその魂はあの世に帰ることが出来ず,この世に停留すると云う思想がありました。そうなると生きている子孫をあの世で守護することが出来なくなってしまうだけではなく,輪廻転生が出来ないと考えられていたからです。死後の世界にまで影響するものだと信じられていました。現代の神道や原始仏教にも死生観が存在していますが,その元を辿ると縄文時代に行き着くことが出来るのです。又,罪や穢れを水に流す神事として古来から継承され続けている人形祓のように海水や川の水は罪や穢れを流してくれるものだと考えられていたようです。そして,その思想は現在の神社神道で6月と12月の大祓神事として受け継がれています。つまり,先人の知恵に学ぶ「温故知新」から来ているのかも知れません。

すべてを水に流すと云うことは大変ですし,難しいことでもあります。楽なことではないことも確かです。特に現代のような物質主義社会や資本主義経済での豊かさや幸せを実感するには,どうしたってお金が必要であります。そして,事業をされている経営者の方などは何をするにも先ず資本となるお金がなければ事業は成り立ちません。私も経験がありますが,一生懸命努力して報酬を頂けなかったことが何度かあります。それを水に流せと云われても無理な話だと感じるのも致し方がないことです。固定費が捻出できなければ会社は倒産します。個人でもお金がなければ破産も破綻もしてしまいますし,ご飯も食べることが出来ません。病気をしても病院へも行けません。お金はとても大切なものですし,自分や他人を助けてくれるものであることは間違いありません。

その混沌とした社会の中であっても家族や社会の為に一生懸命に一つの事に立ち向かう姿は正に勇者そのものだと思います。私も挫折の連続でした。これでもかと云うくらいでした。悔しくて悔しくて泣き疲れて寝た日もたくさんありました。思い出すだけで眠れなくなる時もあります。それでも己を信じ,自分を律し,他者を思いやり,他人の幸せを祈れる人は本当に尊いことだと考えるようになりました。それは何事にも変えることの出来ない真の財産でもあります。そう言った人を神様が放って置く訳がないと私は真剣に感じています。そして,水の如く逆らわず,争わず,競い合わずにどんな姿にでも素直に適用出来るように努力すること。自分の身を低く謙虚に生きること。不要なものは,すべてを水に流し溜め込まないこと。それ以外にも今回の水の神への感謝参詣を通じて大切なことをたくさん学ぶことが出来ました。大自然の恩恵で生かされていること命を繋いでくれた祖霊に感謝致します。

有難う御座いました。拝


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すべてを水に流すこと。古神道とともに。②

2016年09月29日 17時02分37秒 | 素直の心柱

こんにちは。昨日の記事の続きです。その前に,左の写真は上賀茂神社境内に流れる「ならの小川」です。神道の大祓詞に登場される祓戸四神の瀬織津姫神が坐しますところです。川の織り成すところに御鎮座されると言われていて,最も祓いのエネルギーが強い場所です。境内唯一の休息用のベンチが設置されています。

それでは,続きから書かせて頂きます。あらためて今回の参詣を振り返って観てみると「水の如く」「すべてを水に流すこと」ではないかと感じています。これに尽きた参詣であったと帰宅してからそう思っています。しかし,この「すべてを水に流すこと」と言うことほど難しいものはありません。良いことも悪いことも,損も得もすべてを水に流すのですから容易なことではありません。なぜなら,好きなものは好きですし,嫌いなものは嫌い。良いものは良いし,悪いものは悪い。興味のあるものは興味があるし,興味のないものはない。自分にとって得することはするけど,自分にとって損することはしない。対照的に考えて見るとそれ以外にもたくさん比較する対照が私たちの日常にはあります。

仮に,それを人に話しても「そんなこと当たり前だ」と言われてしまうでしょうし「変わってるな」と感じられるかも知れません。私も知人にその様な話をされたらきっと,そう想い,感じることだろうと思います。そんな難しく考えないで,自分が楽しく豊かに幸せになることだけを考えて生きて行った方が良いよと話をしてしまうかも知れません。それが正しいかどうかと云った事柄ではなく,自分が幸な人生を歩もうとし,それに伴う努力をすることに正誤の判断は出来ないと感じているからなのかもしれません。

しかし,これを理屈で考えれば考えるほど迷いの道を歩んで行くことにもなるのだろうと感じています。私は仕事柄,紛争や争いなどの事柄に接することも多くあります。そう言った中で,霊能者などの人と闘うことも多くあります。そのほとんどが,お金に関する事柄です。現在も係争中の事案もあります。私が,このブログで稀に霊能者などのことを書くのは仕事を通じて体験し,実感して来たものがほとんどです。その危険性も払う犠牲の大きさもよく理解しています。眼には見えない世界であるから事実関係が曖昧で,実態がなかなか把握できないのが霊能・霊的事案の特徴的な実情です。神社や寺院がそう言った方々と縁を持ち,神様,仏様から自ら離れてしまうことも近年は特に多いような気もしています。やはり,地道にコツコツと道を歩んだ方が断然,良いです。

この辺りのことを記事にすると,それだけでブログが出来てしまいますので機会があれば,たまに書きたいと思います。

皆さんは,何かの壁にぶち当たったり,自分がスランプに陥っている時,どのように乗り越えているのでしょうか。又,どのような条件が揃ってしまうと壁やスランプの罠に陥ってしまうのでしょうか。私は,ある時期,仕事でスランプに陥っていた時に,そのことを深く考えていたことがありました。その結果,争いと所有の概念こそ私自身がスランプに陥る主な原因ではないかと考えるようになったのです。先程の霊能者の話ではないですが,たとえば,紛争を仕掛けられた場合や自分の生活や組織が危ぶまれる事態に陥ってしまった場合には「余計な」を入れないことです。淡々と,そのことに真摯に謙虚に向き合うことです。そして,勝とうと思わないこと。これをしないだけでも随分と結果は違ってくるように感じています。道徳経の祖,老子さんの云う水の如くです。

私はそれを深く探究すればする程,古神道に辿り着きました。正直,ここまで来るには大変でした。常に相手よりも自分が勝っていることを考え,負けることなんて考えならない。自分は正しいのだから,相手が間違っている。自分の言っていることは正義だ。だから相手が自分に合わせるべきだと云う自分の自我や我欲がたくさんありました。それがいつの頃からか,自分の考え方を疑うようになりました。どうして自分は正しいと考えるのか?なぜ正しいと人に言えるのか?を逆に自分自身へ問うことをして行きました。今でも憶えていますが,部屋の掃除をしている時に「自分の考えを疑え」と音霊から言霊に変わった瞬間を観ました。つまり,自分が正しいと感じていたことを省みることです。そうは言ってもそれが難しくて「そんなのは自分でそう感じてしまうのだから仕方がない」とか正解を探そうとする自分がまだありました。つまり,素直に謙虚に省みることが出来ていないのです。それは,心に反省の心柱がちゃんと起立していないからでした。せっかく努力して作ったものを自分の手で壊すのですから嫌な作業でもありました。

続きは,また明日。拝


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すべてを水に流すこと。古神道とともに。①

2016年09月28日 19時11分21秒 | 素直の心柱

こんにちは。今回の「水の神への感謝参詣」もあと女人高野の室生寺と伊勢神宮で終わりになります。今日は,ここ数日の間に書かせて頂いて来た「水の神への感謝参詣」を自分なりに振り返って(音霊)観た感想を書かせて頂きたいと思います。何かの正解を探すのではなく,素直な心柱で感じて観たいと思います。本当に今回は御水に関することを意識する参詣になりました。これまでも同じ神社や寺院に参拝させて頂いて来ましたが,今回は御水と云うお題を与えられた様な感じでとても解りづらく,抽象的と云うか感覚的と云うか不思議なものでした。古神道の神髄である無言の教示や案内は,自分から率先して意識したり,行動しなければ会得できるものではありません。つまり,教祖たる人物がいない訳ですから教えてくれる人が誰も存在しません。相手は大自然です。

仏教の祖であるお釈迦様が心の燈火を拠り所にして道を歩みなさいと言われた意味が欠片ほどですが理解できたような気がします。現代の神社神道の祝詞「大祓詞」にも仏教の経典「例えば,般若心経や観音経」にもたくさん知恵や教示が示されていることだと思います。しかしながら,その本当の意味や内容を理解する為には何万遍と唱えても悟ることは永遠に出来ないと私はそう思っています。立派な言葉や文字を眺めているだけ,また読んでいるだけで人生が豊かに生活が平穏になると考える心の方にこそ問題があるとも考えているからです。つまり,祝詞や経典に書かれている内容を如何に日常生活の上で実践して行けるかだと感じています。

したがいまして,本当の悟りや理解などは厳しい修行や苦行にあるのではなく,日常生活の中にあるのではないでしょうか。そして,誰もが豊かに平穏に暮らす為に生まれて来ているのだと考えています。よく,この世の中は,厳しく,不幸なものだからとか言われる方がいますが,私は全く考え方が違います。不幸の中の不幸は,何処まで行っても不幸のままです。苦しみの中の苦しみもどこまで行こうが苦しむままです。苦しむことで過去の因縁を昇華できるとか言うことはありません。これを暗示のように毎日毎日,自分に言い聞かせ,他の人物からこのような教義を受けていると最後の日まで苦しみの中にいることになってしまいます。

私たちは,大自然と云う太神様の中で生かされて生きているのです。そして自然とともに生きているのですから大自然の仕組みが変われば,私たちの心も良くも悪くも変わってしまうのです。大自然や自然に感謝をすると言う言葉の奥には,自分自身に感謝することに繋がっているのであります。さらにこの世のありとあらゆるものは太神様の断片で,すべてのものには太神様の御分霊が宿っていると考える方が自然な考え方の様に思えます。それを,科学ではこの様に考える,医学ではこの様に考える。経済ではこうだとか法律的にはどうだとかを真剣に大人たちが議論しています。つまり,人間が社会や自然をコントロールしていると思い込んでいます。元々,科学も医学も経済も法律もそして,宗教も信仰の対象として崇拝されて来た一つのものであったのです。それがいつの間にか,一つひとつを分離させ,人が支配するようになってから訳が分からなくなって来たのです。分離分割すればする程です。

今回の水の神への感謝参詣を通じて,いろんな事を勉強させて頂きました。一見してみれば,川に流れるただの水ですし,神社から湧き出る御水つまり,御神水です。しかし,そのただの水と感じるのも人の心の内であります。大自然の中で生かされ,自然と共に共存共栄して生きることで大自然からの音霊(波動)を感じ取れることができます。何か特別な能力が必要だとか神様から選ばれたとか云うものではありません。誰においても出来ると私は思っています。その為にも感謝の心柱を立てなければなりません。つまり「自ら手を挙げ名乗り出よ」と云うことなのです。だからと言って,神様がそのような言葉をしゃべる訳でもないです。あくまでも自分からですから別の言い方をすれば,奉仕の心柱も自分の心に必要であるとも言えます。私がしますと言う謙虚な心柱を自分の心の高天原に太如き立てるしかないようです。今日で,このブログを開設させて頂いてから108日目が経過致しました。仏教に伝わる様に,人間の煩悩の数と同じであることから今日の記事を書かせて頂きました。感謝申し上げます。有難う御座いました。

明日に続く。拝


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春日大社 前宮司 葉室頼昭先生

2016年09月11日 15時55分26秒 | 素直の心柱

こんにちは。今日は,私の好きな神道家で春日大社の前宮司さんでいらした葉室頼昭先生の御本とその御本の中に書かれている一部を紹介させて頂きたいと思います。神道と日本人と云うタイトル本ですが,この御本は多くの人に読んで頂きたいと感じる超優良本だと思います。私は元々,本が苦手でほとんど読みませんと云うか本が読めないのです。なんだか変な話をしておりますが,実はこのかたマンガ本も読んだことがなく,本を読むのに人の何倍も時間が掛ってしまい苦手なのです。以前,こんなので本当に大丈夫かと心配になってしまいいろいろ調べたら失読症と云うものあるのを知ってテストしてみましたがほとんど当て嵌まってしまい納得致しました。もちろん学校の成績は・・・?ご想像にお任せします。(笑)そんな私でもすんなりと読める本ですから普通に本が読める人にはおすすめです。葉室先生は生前に確か10冊前後の本を書かれていて,その内,数冊は過去にこのブログでも紹介させて頂きました。こちら「宇宙の構造と心の病 神道と現代医学」です。補足,葉室先生は神職になる前は形成外科のお医者さんでした。

それでは,以下が葉室先生が書かれた「神道と日本人」と云う御本の「おわりに」からです。

現代の日本人のなかには「この科学の時代に,神など信じない」という人も多いし,また「この世には,科学では分からないことがまだまだたくさんあるから,私は神を信じる」と云う人もいます。また「目に見えないものは信じない」「神がいるならどうして,この世に不幸だとか悩みだとか病気などがなくならないのだろうか。だから私は神を信じない」と考える人もいます。「神がいるならなぜ,悪いやつが金を儲けて幸福な生活をし,あんな善い人が不幸な生活をするのだろうか。だから神を信じない」「自分の人生は自分の力で築くものであるから,何ごとも神の導きに従うというような神頼みの人生は真実の人生ではない」などと思っている人もいます。また私に対して「お医者さんのくせに,なぜ神さま,神さまというのか」と聞く人もいます。

しかしこれらは,神とはどんな存在なのかということを知らないで,ただ神を信じるとか信じないとか言っているだけなのです。私はこういう態度こそ,科学の発達した現代の中で,非科学的なことだと思っています。神さまは,信じるか否かということではなくて,神の世界を見ることができるかどうか,なのです。

神の世界と,我々の世界は,別々に存在しているように思われていますが,本当はそうではありません。ちょうど夜の世界と昼の世界が別世界ではないように,宇宙の真実,神の世界は夜の世界であって,その中に我々のいる現世,昼の世界が一緒に存在します。昼の世界は,ただ日光の明るさで夜が見えなくなっただけです。だから昼でも日光を完全に遮断したら,闇,すなわち夜の世界がそこに現れるでしょう。でも夜の世界を知るためには,夜ばかりでは分かりません。反対の明るい昼の世界がなければ分からない。この宇宙の仕組みが本当に分かることが我々の役目なのです。つまり,神さまは,神の真実の世界を認めさせるために,わざと逆の世界を人間に与えておられるのでしょう。逆があるから真が見えるのです。それなのに人間は,病気だとか,不幸だとか悩みというようなものが,実在の世界であると思ってしまったところに過ちが現われ,現在のような乱れた世の中になってしまったのです。

古来より,日本人はそのすばらしい知恵で,病気だとか,不幸だとか,悩みなどは,神さまが本来神の姿に作られた人体を包み隠す(罪),また我々を生かしてくださる気を枯らす(穢)ことが原因であるから,これらを祓い除くことで神の真実の姿が現われることを知っていました。この罪・穢はすべて我欲であるから,その我欲を祓い除いたとき,神の姿を見ることができるのです。つまり神は外に求めるものではなくて,心の中の我欲をなくしたとき,はじめて神の世界が現われてくるのです。

私は子供のときから,いつも何かに導かれているという感じがして「これは神さまや祖先に導かれているのか,あるいは自分の心の錯覚なのか」と大いに迷い,中学時代から神社,仏閣をはじめ,いろいろな宗教から「神さまとは何か」ということを勉強してきました。それが大学医学部在学中に肺結核となり,悪化してついに死が目の前に近づいたとき,なぜか私からすべての我欲が消え,目の前に神の世界を見せられて,ただありがたさに涙が止まらず,気がついたら病気が消えていた,という体験をしました。その時の感動が忘れず,もう一度神の世界を見たいと思いましたが,恥ずかしながらまだまだ我欲があるために,現在まで二度と神の世界を見ることができていません。しかしながら,人生を振り返ってみると,いろいろと奇跡と思われるようなことや,厳しい状態もあり,それらを含めて神の導きと知らされ,それに順応して耐え抜く人生を歩まされてきました。そして,この年になってふと,私は進化させられ,神の世界に近づかされていることに気がつきました。

とくに春日大社の宮司に就任してからは,自分でも不思議なくらい我欲がなくなり,常に神の導きを感じるようになり,そのとおりに生活させていただいています。神を見るには理屈はいりません。日本人の祖先が伝えてきたように,すべては神の恵みと祖先の恩の導きですから,それに従って全力をあげて努力し,決して我欲を出さないことです。これは非常に厳しい人生ですが,神さまは厳しさの極限を耐えぬいたときに現われてこられます。

今までいろいろなことを述べてきましたが,すべては1人でも多くの方々に,神の真実の世界を伝えたいと考えたからです。私の申し上げたことが少しでも,皆さまの何かのお役に立てれば,幸いに思います。

以上が,葉室先生の「神道と日本人」と云う御本のおわりに書かれている内容の全文であります。冒頭でも少し書かせて頂きましたが,本を読まない私でも葉室先生の本は読みやすく,特別な宗教用語は使用していません。今でも人気のある本ですので,是非,読んでみて下さい。私がはじめて葉室先生の本を読んだとき,自分の考えていることと葉室先生の本の中に書かれている内容が一致する箇所が多く驚きと嬉しさを感じた覚えがあります。我々の祖先がいかに子孫を守ろうと命懸けて生きていてくれたことや日本語の意味や様々なことを勉強できる一冊であると思っています。今日は,おすすめの一冊からでした。拝


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9月9日は菊の節句。今日は独り言です。②

2016年09月09日 21時10分38秒 | 素直の心柱

こんにちは。本日9月9日は重陽の節句でありました。重陽の節句は菊の節句とも云われていて不老長寿を祝う伝統行事でもあります。また白山の太神様に感謝申し上げる日と私は感じています。私も氏神様と一之宮の神様へ御酒を奉納させて頂きましたが,一之宮の神池の水が底が見えるほど下がっていて水に関することで何か災難が起きる気配がないか注視して行きたいと思います。自然「神様」は気もない時から人間に注意や警告を発していているものですから心に宮柱太如き立て,自然からの音霊をしっかり受信できるように励んで参ります。なにか大きく変わるような感じもしています。良くも悪くもですが,心臓や胃には注意されて下さい。

以下は,私個人の独り言です。前回も独り言を書かせて頂きましたが,何となく書こうと思うことを書いています。特別な意味もありませんし,なぜ今書くのかも判りません。いつの日か,その意味が理解できる日が来ると思っています。

独り言③ 食生活に注意すること。

お肉はあまり食さない方が良さそうです。次元が上昇し始めています。食べ物には細心の注意をしながら,楽しむための食生活から生きるための食生活に変えなければならないようです。縄文時代の食生活を参考にしながら,健康には十分注意することです。 

独り言④ 為すべきことを淡々と。遠慮も無用,心配御無用。

良いものほど苦しみを伴います。その苦しみから眼を背け,逃避しても同じこと。今なすべきことをしっかりと成し,自分自身を謙虚に見つめて行く先には必ずや道は開ける。苦の中に身を置いていては苦のままであり,楽の中に苦があり栄えて行くのであります。人の平穏で,豊かな幸せを祈れることが出来れば,なにも心配は不要に無用です。心配する心が心配の世界を創り上げる。

独り言⑤ 先ずは祀りし水の神を。先にお詫びし水の神に。

心の迷いは事象となって現実生活に現れ,社会の乱れは必ず現象となって現れる。先ずは水の神にお詫びし,生命と恵みを齎して下さることに感謝すべし。水は天の神と地の神からの最も尊い恵みそのもの。神そのものと心得るべし,心身ともに禊ぎ祓を怠らず,日々に励むこと。心の曇りを祓い,心の穢れを禊ぐためには水の神を祀ることなり。先ずは祀れよ水の神を。日々に祀れよ水の神を。水を汚すは心を穢すことと心得るべし。水は生命そのもの。不浄不要は水に流せよ。曇りしことあらざれば水で祓いて頂けよ。

以上,意味不明な独り言でした。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設89日目 記事数第98記 素直の心柱 編


大自然への畏怖と感謝で先人たちは生き抜いた。

2016年09月08日 20時20分10秒 | 素直の心柱

こんにちは。連続して発生していた台風ですが,どうやら13号は温帯低気圧に変わり,無事に過ぎきったようです。前回の台風もそうでしたが,多くの人が放射する波動は,やはり自然はキャッチしていると今回の13号であらためて感じました。インターネットの情報やブログなどでも多数の人が台風に関する注意の呼びかけをされているのを拝見していました。純粋無垢な人の祈りは必ず届きます。又,台風のような事前に把握できることには対策次第で大難を小難に小難を無難にできると私は考えております。そう言った具体的な対応とともに,大自然への畏怖と感謝を捧げることを多くの人が自分自身の意思で感謝の波動を繰り返し放射することが大切な気がしてなりません。大自然に感謝を捧げることに特別な能力や訳の解らない資格など必要ありません。

そんな中,台風や自然災害に「勝ちましょう」などと呼びかけている人もおりました。この「勝ちましょう」と云う言葉の意味を理解されて使われているのかどうか解りませんが,大自然に勝てる人間が存在する訳ありません。こんなことをしていたら,自然の脅威はどんどん巨大化して行くことになります。自然を征服することなど最も愚かで,野蛮で,傲慢な考え方であると思います。きっと,悪気があってそのような言葉を使われたのではないと私も信じていますが,もう少し慎重にされた方が御本人の為ではないかと感じました。そもそも日本人の遺伝子(DNA)に自然の脅威に勝つと云う記憶はされてもいません。

またある人は,地震に勝つために基礎を頑丈にするように呼びかけ,別の人は,台風や暴雨,強風に対抗するために鉄筋コンクリートで要塞のような家を建てることを何にも知らない一般人に進めているようです。確かに,建物の構造上の強度や近年の自然災害の被災状況を見るとその様に言えるのかもしれません。また,そう言った主張の方が多くの賛同を得るのかも知れません。しかしながら,果てしてそれで,自然をコントロールしていると考えているのか甚だ疑問です。人間がそのような身勝手で傲慢な考え方を捨て去らない限り,大自然はこれでもかというくらい巨大化して行きます。そして,極端な事件事故も激増するのです。それが今です。

奈良や京都には,数百年,数千年経過する神社仏閣が多くあります。しかし,そのほとんどの神社仏閣で建て替えが行われたのは自然災害ではなく,火災が原因であります。そして,その多くの神社仏閣の基礎をよく観て下さい。基礎をコンクリートで塞いでいるところはありません。ほとんどが掘立柱か,くつ石と云う柱よりも少し大きいくらいの天然石の上に柱が立っている設計になっています。では,それは何故か?簡単な理由です。大地をコンクリートや石で塞いでしますと定期的に地下のエナルギーが放出できなくなり,地下でエネルギーが溜まり続け一気に噴出してしまうことを太古の先人は知っていたからです。太古の先人は,我々子孫が大自然に逆らわず,そして自然と共に共存共栄して生きて行けるように,樹木を植樹し絶対に入ってはいけない禁足の地としたのです。それが,現代でも鎮守の森としている場所です。もし宜しければ過去記事に複数の記事がありますのでご覧ください。例えば「武蔵国一之宮 氷川神社の縄文信仰」や「宇宙の仕組みと私たちの思惑」などがあります。

以前,東日本大震災の影響によって被災されてしまった寺院の復興に数年間ほど携わらせて頂きました。その際に,建築士さんと何十回と基礎などについて大激論を致しました。神社や寺院の重要な決定は総代会などの護寺会で決議されますので,たくさんの関係者が出席します。当然,工事を担当する宮大工の棟梁も意見具申を述べるのですが,宮大工の棟梁もやはり,私と同じ意見でした。その宮大工の棟梁は不思議な人で,神社や寺院の柱が立つ場所を足で数回踏みつけるとどの程度の地盤かが判ると云うのです。縄文人か?と思う程の感覚の持ち主でした。現代は,建築基準法などの法律で神社仏閣の建築を想定していませんので古来の伝統工法を実施することは出来なくなりましたが,先人の知恵は是非とも活かして頂きたいと個人的に思います。

私は日本の建築技術は,世界最高峰の技術だと思っています。縄文人の意思を受け継いだ伊勢神宮の御正宮をはじめ,世界最古の木造建築と云われている法隆寺などの建築物を観て頂けると実に巧妙で,年数が経過すればするほど強度が増すように予め設計されているようです。梁と梁の接合部分,梁と柱の接合部分,柱と基礎の接地部分をワザと数センチあけて置いて,地震などの自然力学を取り入れる技術は災害大国であるが故の先人の知恵ではないでしょうか。そこには,大自然に生かされ,自然とともに共生すると云う太古からの遺伝子(DNA)がそうさせているのではないかと思います。自然の恵みは五穀豊穣だけではないようです。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設88日目 記事数第97記 素直の心柱 編


龍神と麒麟に歌姫。今日は独り言です。

2016年08月21日 20時00分34秒 | 素直の心柱

こんにちは。今日は,家族が誕生日だったので神社で神恩感謝のお祀り事をして参りました。毎年の慣例なのですが,天候にも恵まれ有難く無事に終了することが出来ました。拝礼。そして,今日は独り言を書きたいと思います。普段考え,感じ,思っている意味不明な事ですので大した内容でもありません。でも・・・。

独り言①。2,3日前に家の玄関を出たら真正面に龍神雲がありました。おっ!龍神さんだと思い祈りを捧げたら直ぐに消えてしまいました。龍神雲を観たのはこれで2回目です。麒麟の雲も観たことがあります。楽しくダンスしている感じの麒麟でした。最初に観た龍神さんに何処に行くんだろうと想っていたら,私の波動が龍神さんに伝わったのか龍神さんから音霊が伝わって来てこれから「富士山に帰る」と伝わってきました。何か急いでいるかのようで,早く帰らないと間に合わないと云う感じでもありました。きっと,何処かで御役目を終えて神様の本へ帰られる最中に私は遇ったのだと思います。富士山は御存知の通り霊峰です。山は噴火するだけではないと私は感じていて,私たち人間の眼には見えないものを吸引する役割もあるのではないかと想像しているのです。

独り言②。みなさんもよく御存知だと思います,歌手の中島みゆきさん。この中島みゆきさんは神様の啓示を受けて歌詞と曲を作っていると思います。曲つまり,音の方は別としても歌詞の方は間違いありません。御本人が認識しているかは知りませんが,歌詞の内容を観ると音霊が伝わって来ます。全部が全部ではないと思いますが,作詞や作曲を為されるアーティストの中ではズバ抜けています。とても神様との縁が深い方ではないかと思います。歌うことで人を勇気付け,慰め,褒めて讃えることを使命とされている方ですから結婚されないのも頷けます。私が思うに「女神さまで富士山の神さま」か「白山の女神さま」かも知れません。あと中島みゆきさんに似た波動を持っているのが福山雅治さんですかね。きっと,中島みゆきさんと福山雅治さんは気が通じ合うのではないかな。福山雅治さんの歌詞の中にも神様の啓示や音霊,言霊が秘められている歌詞があります。それと,女優さんでは,松坂慶子さんです。御三方とも女神様かな。あとは思いつきません。他にもいらっしゃると思いますが出てこない。

ちなみに中島みゆきさんの曲の中で,私が感じたものは「ファイト」「誕生」「旅人の歌」「宙船」「愛だけを残せ」です。もっと,たくさんあると思うのですが,私があまり曲を知らないので,知っている中では以上です。興味のある方は,曲よりも歌詞を眺めてみて下さい。先入観を入れずに謙虚と奉仕と素直の心柱で読んで頂けると理解できると思います。

以上,独り言でした。拝

追記です。三陸沖がまた目覚めようとしているのか?念には念の為,防災意識を持ちながら注意深く観るようにしたいと思います。大地と海の神様にも感謝はもちろん忘れません。なんて云っても縄文原始信仰ですからね。


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御神体へ入山するなら命を懸けるつもりで。御覚悟を。2

2016年08月20日 21時44分36秒 | 素直の心柱

上の写真が縄文時代(文明)以前から重要な祭祀場であった霊峰白山です。つまり,御神体です。

こんにちは。白山は超が付く程,太古からの重要な祭祀場であったようです。なにか特別な意味があるのかもしれませんね。私も北陸へ出張する際には必ず白山を遥拝しています。以前にも白山に関連する記事を書いておりますので宜しければご覧ください。「平泉寺白山神社 霊峰白山の隠れた秘境」「あなたが神社に参拝する日 神社は大忙しです。」などです。

さてそれでは,昨日の記事の続きを書きたいと思います。昨日は,最後に知り合いのお父さんが京都の伏見稲荷大社へ謝罪の参拝に行かれたことを記載して終わりましたので,今日はその続きと昨日ご紹介できなかった私が参拝させて頂いて真剣さが要求されているなと感じた神社(御神体を含む)の一部を書きたいと思います。ちなみに,昨日の記事はこちら「御神体へ入山するなら命を懸けるつもりで。御覚悟を。」です。伏見稲荷大社へ謝罪に行かれたそのお父さんが参拝に行かれたのは早朝の早い時間帯だったらしいですが,既にたくさんの方が参拝に来られていて賑っていた様子でした。

先ず,拝殿にて「私の子供が修学旅行で,こちらに参拝させて頂いたようです。」「しかし,その際に,ワイワイガヤガヤと騒いでいて神様の神域を穢すようなことがあったのではないかと想い,親の私が謝罪の参拝に参りました。」「子供たちの無礼をお許しください」と無礼があったかもしれないことをお詫びし,一つひとつの御宮にも参拝されていたようです。しかし,後方に位置する稲荷山には入山されなかったようです。鳥居からの遥拝で終えたと話しておりました。それはなぜかと申しますと「初めて参拝させて頂く神社で,最も重要で大切な御神体に入山することはあってはならないこと」であるからと云う理由でした。

どうでしょうか。ここまで律儀に,そして無礼や不敬な行為があったのか,なかったのかを知らずして謝罪する人に神様や御眷属神が神罰を与えるでしょうか。仮に,無礼か不敬な行為があったとしても反省しているならばと云うことになると思います。やはり,素直に反省できる行為は,とても共感を出来ますし,清々しい気持ちにもさせて下さいます。

そのお父さんは,関東から参拝に行かれましたので日帰りでは無理ですので,その日は伊勢神宮の内宮に最も近いお宿で有名な神宮会館に宿泊され,翌朝6時に伊勢神宮の外宮・内宮・伊雑宮へ参拝されたようです。神社や寺院には,さまざまな方々が,それぞれ違った理由で参拝に来られております。しかしながら,神様から観れば全てが平等であって神様の大切な大事な御子様であります。もし,自分は特別だと感じてしまっている場合は,最大級の警戒が必要です。よくない存在に遊ばれています。その時点で,審神者は失敗しています。以前も記事に書かせて頂きましたが,審神者は神や御眷属の声を聴くのではありません。

音を正確に観るのです。つまり,音霊を観るのです。私の個人的な解釈では「観世音菩薩」の由来はここから来ていると考えています。これを波動だったり,言霊と表現する霊能者やレイキ,ヒーラーがおりますが,先に音霊が波動(音波)となって届いてきます。この音霊をそれそれ各人が瞬時に変換して言霊になるのであります。ここに間違いが起きてくる訳です。詳しくは「大祓詞は神様からの音の波動です。」「神様と問答された ひふみ ともこさん。」こちらの記事をお読みください。

そして最後に,私が感じた真剣さの要求されている神社ですが5つまで書かせて頂きます(伊勢神宮は元より)「出雲大神宮と御神体」「白山と白山神社系4社」「三輪山と大神神社」「吉野山と金峯山寺」「玉置山と玉置神社」「須弥山と天河大弁財天社」です。ですが,どこの神社や寺院であっても同じであることは前提とさせていただきます。この5つを記載させて頂いた理由は,霊能者やレイキ,ヒーラーさん方に大人気で団体で集団で参拝に来られるからです。団体の長,集団の長の方はくれぐれも不敬のないように参加者の方へ周知されて下さい。特にゴミのポイ捨て,喫煙,タバコの吸殻,ペットボトルの蓋,ティッシュなどが多いです。手水舎付近は特にです。私も掃除をさせて頂くのでこれらの物が目立ちます。宜しく御願い致します。

上の写真ですが,私が撮影したものではありません。平泉寺白山神社さんから掲載させて頂きました。http://heisenji.jp/


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御神体へ入山するなら命を懸けるつもりで。御覚悟を。

2016年08月19日 17時10分34秒 | 素直の心柱

上の写真は,玉置神社参拝者駐車場にて撮影させて頂いた玉置山一帯です。

こんにちは。昨日8月18日の観音様の記事で,山は神様そのもので御神体だから登山やピクニック気分で登ることは避けた方が良いですと云う趣旨を書かせて頂きました。「庶民の味方 観音さまからの伝言です。」そのような事柄を書かせて頂いたのも最近,パワースポットやスピリチュアルなどと言った興味,関心からの理由で御神体(山)に入山(登る)する人が多く,不知ゆえに取り返しのつかない結果を自ら招き入れている方が凄く多いと云う理由から書かせて頂いた次第です。

それ以上に,最も危険なことは,自称霊能者,レイキ,ヒーラーなどの団体で御神体へ入山し,巨石(磐座)御神木,古墳や御神水の場所で写真を撮影したり,何かの芸事をされる方々です。決して霊能者やレイキ,ヒーラーを貶したり,馬鹿にしているのではありません。どうしてもなされるのであれば自分の命を懸けるくらいの気持ちでして下さい。それが出来ないのであれば,御神業などは絶対に無理です。もしてや,その団体の長たる人物は,参加される一般者がどういう人なのかをよく心得て下さい。若い主婦は自宅で小さな子供が待っている場合もあるのです。そのお母さんが危険な目に遭遇したら,なんとその子供に話すのでしょうか?これが判らなければ添乗員としても欠格事由ですし当然,案内人なども無理です。

よく任務があるとか,お役目があるとか言われる方もいますが,ありません。もし,本当にそのような啓示が神から降りた場合には「たったひとり」で任務遂行することになります。まして団体で来いとは神様は言われません。

今日は無礼なことを書かせて頂いておりますが,本当にこの神の国には,未だに人間が絶対に立ち入ってはならない場所が数万年前から存在しているのです。そのひとつが,昨日もご紹介させて頂いた三輪山でもあります。興味本位で参加される一般参加者の方々も人生の責任まで団体の長は取ってくれません。自己責任と云う抽象的な言葉がいつのまにか流行していますが,自己責任と云うのは,相手は責任を取りませんよと始めから意思表示していることを指すのであります。くれぐれもご注意ください。誰にも助けることは出来ませんよ。山の神様へ挨拶がしたいのであれば,遠方から遥拝する参拝が太古から伝わっています。これで十分,山の神様へ気持ちは届きます。大丈夫です。天の神様も地の神様もちゃんとご覧戴いておりますから感謝の思いは必ずや届いています。

私も仕事で北陸へ行く際には必ず白山を遥拝させて頂きます。数十キロ遠く離れた場所からですが,遥拝を終えしばらくすると虹の柱が出現したりします。これは普通に誰にでも感謝の遥拝をすればあることです。特別なことではありません。ちゃんと,素直に感謝を捧げれば神様は「受け取ったよ」という合図をして下さいます。他にもよく参拝させて頂く神社に京都の上賀茂神社があります。この神社の御神体は少し離れている神山ですが,上賀茂神社の拝殿で参拝すれば,ちゃんと御神体である神山を遥拝している設計に平安時代から先人が,後世の人が御神体である神山に入山しなくてもよい様に拝殿を設けてくれています。又,境内にも伊勢神宮を遥拝できる場所があります。私もここで伊勢神宮を遥拝させて頂いております。想いは瞬時に届きますから問題ありません。

私が直接,これまで参拝をさせて頂いた中で,ここでは危険と判断させて頂いた神社や御神体を列挙させて頂きますので,是非とも参考にされて下さい。特に戦闘集団ような御眷属神のいる場所では,危険極まりないことです。見境なく容赦なくです。不運な人生を送って頂きたくないので書いて置きます。既に,心当たりのある方は,二度と御神体へは入山いたしませんと誓いを立て,神社で御力一杯精一杯のお詫びをして下さい。一度や二度のお詫びでは許して頂けないですが,繰り返し,繰り返しお詫びし,人々に奉仕することで許して頂けるかもしれません。是非,御自身の高天原(心)に反省の心柱と奉仕の心柱を起立させて下さい。

これは余談ですが,参考になれば幸いです。私の知り合いにも日頃から御神体へは絶対に入山しない方がおります。縄文時代からの信仰形態である地球,太陽,月,山,川,海の大自然そのものが神様だと判っている方ですが,その方のお子さんが修学旅行で京都に行き,見学コースでお稲荷さんでも有名な伏見稲荷大社へ見学したようでした。そしてお子さんが修学旅行から帰宅後,お父さんである私の知り合いがどこの場所が良かったか,思い出になったかを聞いたそうです。すると,そのお子さんは,伏見稲荷大社が良かったと答えたらしいのです。これぐらいの会話はどこの家でもよくあることです。

しかし,そのお父さんが取った行動は,私が想像する以上の事でした。それはどういうことかと云うと「きっと,子供たちは普段の生活からの解放感と想いで作りで夢中になり,伏見の神様の神域でワイワイガヤガヤとハシャギ無礼を働いていたに違いない」「大変申し訳ないことだから伏見の神様の下へ謝罪しに行こう」と考えて,後日,わざわざ関東地方から京都伏見稲荷大社へ謝罪のための参拝をしたらしいのです。後日,そのお父さんは大変素晴らしい神社でありましたと感想を述べられておりましたが,それほど御眷属神が見張っている神域で不敬なことがあれば容赦がないのです。

明日に続きます。拝


 

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これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


庶民の味方 観音さまからの伝言です。

2016年08月18日 22時38分02秒 | 素直の心柱

 

こんにちは。本日18日は,観音様の縁日です。先月7月18日でも観音様について記事にさせて頂きましたが,8月18日の今日も観音様について書かせて頂きたいと思います。上の写真は,奈良県にある室生火山帯の中心地点に御鎮座されます室生寺「通称:女人高野の室生寺」の十一面観世音菩薩です。私にとっては平安時代からの親友で太ちゃんと云います。

もし宜しければ,以前書かせて頂いた記事を読んでみて下さい。「観世音菩薩と共に。これが本当の理由です。」「女人高野 室生寺と十一面観世音菩薩」などです。又,左の帯に便利な検索ツールがありますから,たとえば「観音様」と検索すると色々な記事が閲覧することが出来ます。本当にこれは便利な機能です。ちなみに,この室生火山帯一帯は太古の昔,太陽信仰の重要な聖地つまり,祭祀場でした。近くには,三輪山をはじめ観音信仰の根本道場でもある長谷寺もあります。是非一度,ご縁のある方は縄文原始信仰でもある太陽信仰を体感し,太陽軌道(レイライン)の聖地「大神神社」「長谷寺」「室生寺」に参拝されて観て下さい。

※それと,これは余計な事だとお叱りを受けるかもしれませんが,とても重要な事柄だと感じますので少し書かせて頂きます。近年,パワースポットやスピリチュアルなどの影響もあって,御神体(山)に入山(登る)される方がとても多いです。しかしながら,太古の昔から山は神そのものとして崇められ,畏れられ,立ち入ることの出来ないものでした。山を遥拝することが精一杯で入山するというのは山を管理している人と祈りを捧げることができる祭祀者だけでした。本当は今の時代でもそうなのです。

したがいまして,どうしても古神道系の神社(山)に入山する場合には,山そのものを敬い,感謝して入山されることがとても重要であり大切であります。それをせずに不幸になってしまう人が近年,多数いるようです。これは現実的な話です。神様が罰を与えることはありませんが,山には御神体(神様)をお守りする御役目の御眷属神がおります。上記でご紹介させて頂いた大神神社の「三輪山」長谷寺の「初瀬山」室生寺の「室生山」も同様です。特に,三輪山に入山するのは余程の覚悟を持って入山するように気を引き締めて下さい。決して,ピクニック気分で登る山ではありません。たとえ,神社が許可しても私はお勧めしません。

それほど聖地中の聖地であると云う意味です。生意気な事をと思われても構いません。洒落にならないことでありますので。先日もあるブログで三輪山に集団で登り,何らかの行為をされるのだと思いますが,その前に皆で集合写真をブログに掲載している画像を拝見しました。御神体に登る前に既にその内,1名の方の姿が透けて写っています。何事もなければと思いますが,知らないでは済まされない場所があることは自分から進んで学び,自ら承知し,自覚しておくべき事柄です。三輪山に限ったことではありません。

御神体に入山すれば「運が開ける」「人生が好転する」「幸せになれる」などは全くの偽りであり違います。御神体などの山は入山するのではなく,遥拝するのが本来の本当の信仰です。繰り返しになりますが,御神体に入山できるのは現代では「神社関係者」と「清掃者」だけであります。不幸になって頂きたくないので本当の事を遠慮せずにどんどん私は書きます。神社関係者の方も御神体を開放するのであれば,襷だけ手渡すだけでは足りません。小さなゴミ袋を持参させるべきです。何も知らない,ただ興味本位で且つ,自分の願望を叶える目的の為だけに入山する人のことを真剣に考えるべきであると私は考えます。拝

だいぶ話が違う方向に行ってしまいましたので,話を観音さまに戻したいと思います。観音さまとは私も様々なところでご縁があります。日常生活はもちろんのこと,仕事においてもたくさんご縁を頂いております。私たちに最も親しみやすく,馴染みやすい仏様でもありますが,観音さまから私もたくさん勉強させて頂き,また様々な事を教えて頂きました。

負の想念や思想,悪い想いは具現化してしまう。だけど具現化させたのは誰か?それは自分自身で創り出したもの。つまり,根拠なき心配や不安の気持ちが自分を包み,圧し掛かり,気疲れを起こす。当然,気疲れを起こせば心身ともに疲れ果てしまう。疲れ果ててしまえば,日常の生活でも仕事でも気力と体力を奪い失い物事が上手く運ばない。そうなると今後は,自分は不幸だと感じてしまう,それどころか家族に八つ当たりしたり,自分の周りの人の責任にしたりする。つまり,負の循環(スパイラル)です。しかし,この一連の連鎖を生み出したのは自分自身だ。そこからどうするか。自分で答えを見つけ出して行くしかない。自分を信じるんだ。

だからこそ「感謝」「反省」「謙虚」「奉仕」「素直」になることが大切なんだよ。こんなことも観音様に教えて頂きました。

合 掌

上の写真は,仙台博物館で東日本大震災復興祈念特別展 奈良国宝室生寺の仏たちに展示された御写真です。撮影は三好和義氏であります。又,本来,私はどこの神社や寺院でも御社殿や本堂を撮影することが出来ません。もちろん仏様も同じですが,今回も前回に続き掲載させて頂くことが出来ました。感謝致します。室生寺公式ホームページはこちらです。http://www.murouji.or.jp/

ここ最近,また東北地方と東日本地域で地震の規模を示すマグニチュードが大きくなりつつあります。震度は3前後ですが,震度よりも深さと規模を観察して防災意識を持って頂きたいと思います。


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氏神に始まり 氏神で終わる。

2016年08月17日 21時54分41秒 | 素直の心柱

こんにちは。今日,祖霊大感謝祭が無事に終了させて頂いたことを一之宮と氏神様へ報告するため参拝させて頂きました。これで,すべての祭事が終了いたしました。真に有難う御座いました。氏神にはじまり,氏神で終わる。祀り事における私の基本です。

そして今日,仕事の合間に,一之宮で神様の御子とお会いすることが出来ました。その方は,年齢にして10歳未満の子供で,性別は男の子にも女の子にも見れる感じでした。車いすに乗ってお父さんと共に参拝に来られており,きっと,足が不自由なのだと思います。霊格が高い魂は,足が不自由な人が多いいです。手水舎でお会いしたのですが,見た瞬間に神の御子だと判りました。私も思わず,その御子に拝礼をしてしまう程でした。今の若い10代前後の子供には霊格の高い魂がとても多いです。

やはり,何かの任務を背負って来ているようです。今日は,仕事の関係でこれで終わらせて頂きたいと思います。拝


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8月11日は気を付けて下さい。防災意識を。

2016年08月02日 05時14分12秒 | 素直の心柱

最近は夜,雲が多く北斗七星を拝むことが出来ず,イジケ気味のあさひです。ですが,朝の太陽は拝むことが出来ているので良しとします。UFO見たことありますか?なんだよ急にと思われるでしょうが,最近,UFOの目撃情報が多いようですね。私は一度も見たことがありません(笑)一度,夜空に点滅する白い光を目撃して,おっ!ついにUFOか?と感動しましたが星でした。

さて,昨日,一昨日と「僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす 1」「僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす 2」を記事にさせて頂きました。そして,きょうはその第3弾を書かせて頂こうかと思いましたが,予定を変更させて頂き,どうしても気になることを記事にしたいと思います。いないとは思いますが,楽しみにして下さっていた方には申し訳ありません。私は,毎月数回ある決まった神社へ参拝に行かせて頂いております。昔は,毎月1日と15日に参拝しておりましたが,今は不定期で行こうと決めたときに参拝するようにしています。昨日も自宅の近くの氏神様へ参拝しましたが,その帰りに何気なく感じたことがありました。

それは「8月11日には気を付けろ」と云うことでした。地震です。(私は霊能者でも占い師でもどこかの宗教団体にも入っておりません)稀にこの様なことがあります。直感的なものなのか解りませんが,子供の時から直観力は凄かったです。氏神様から帰宅して,そのことがしばらく気になっていたので8月11日を調べてみました。すると,上弦の月の日であるようです。月と地震の関係,太陽と地震の関係を研究されている科学者の方もいらっしゃるようですが,私は弓矢が放たれる一瞬感じてしまいました。

その数時間後に,緊急地震速報の誤送信がありました。あの誤送信が防災意識に繋がればと言う思いもあります。偶然に起きたエラーメッセージだと思いまいますが,千葉県・茨城県では香取神宮,鹿島神宮の神様が地震を起こさせないように活動されているように私は感じております。信仰と云う人間本来の感性から素直に解釈すると大地へ感謝しろと云う意味も込められて些細な音波を受信する装置がキャッチしたのかもしれません。つまり,防災意識と災害に対する備えです。地震は千葉沖を突破したくてしょうがないのかもしれません。そうなると地震は南方方向へと南下して行き,首都東京が危険域になってしまう。

それと先日も別の記事①「人々の想念が社会空間を創り上げています。」②「武蔵国一之宮 氷川神社の縄文信仰」に防災意識と備えについて書いておりました。①では,文章末尾に地域自治体の「災害時要援護者」のことが書いてあり,②では,巨大地震の通り道でもある中央構造線についても書いていましたので,参考になれば幸いです。特に,最近の氷川神社は以前とは明らかに違います。やはり,大地のエネルギーを蓄積させないように少しずつ放出して下さっているのかもしれません。昨日8月1日は氷川神社の大祭が斎行された日でもあります。大地の神様が受けてってくれることを祈ります。

念のための防災意識とせめて,御自分のご家族が,その日どこで何をしているのかは事前に把握しておくと安心ですし,又,いまは子供たちが夏休みに入っている時期ですから,子供たちと連絡が直ぐに取れる状態にしておくことが良いと思います。子供たちが心配すると自然災害を誘起させますので,我が家の防災デーの日だよと言ってあげれば良いと考えています。何もないことを祈りますし,8月11日だけが危険な日でもありません。365日毎日が危険であり防災意識が必要な時期であります。

何も起きなければそれで良しです。災害は忘れた頃にやって来る。忘れなければやって来ない。東日本大震災があったあの日,熊本大分地震があったあの日を思い起こし,大自然に生かされて生きていると云う原点を忘れずに感謝できる日であれば信仰で言うところの大難が小難,小難が無難となって行くと私は考えております。備えあれば何とかとも言いますから,備えを忘れず,備えを点検する日でもあるのかもしれません。今日は,どうしてもそのことをお伝えしたくて予定していた記事を変更して書かせて頂きました。まずいないと思いますが(笑)楽しみにして下さっていた方には申し訳ありませんでした。拝


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