こんにちは。
おかげ横丁のお猫さま。本日で,3回目のご登場です。おにぎり食べる?そんな風に語りかけられている感じがします。
さて,先日2日間は,古神道家でもあり,神職さんでもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道 神ながらの伝統」の中から一部を抜粋して紹介させて頂きました。神社の宮司さんや神職さんであるからと言って必ずしも古神道家であるとは限りません。たとえば,大学の教授でも古神道家の方もいらっしゃいますし,仏教界(お寺の住職さん)の中にも古神道家がいらっしゃいます。
一般社会の中にも多く居られます。家と付くからには,何かどこかの組織に入っていたり,特別な修行をしていたり,行法を身に付けていると云うことではありません。法律家のように国家が認めた資格試験の様なものもありません。たとえば,先祖供養をしている人を法律上,祭祀継承者と云う言い方をします。つまり,その家系の祭主として司法府(裁判所)では認定しているのですが,神道家や宗教家であると云う認定基準は曖昧です。ただ無難なところで神社の神職さんやお寺の僧侶の資格を持った人々を神道家や宗教家と認めているだけであります。実に,幼稚な発想で,真に滑稽な話でありますが,いずれにしても祖霊祭祀と大自然や自然崇拝をしている人であれば誰でも立派な古神道家と云うことです。態々,誰か「第三者」に認めてもらうような次元でもありません。
なぜならば,神さまと神さまの分魂を宿した自分自身と直接繋がるからです。祖霊の供養も同じことが言えます。したがいまして,スピ云々・霊能云々では決して神さまと直接つながることはありませんと云うかありえません。神さまと祖霊の中間に人「第三者」を介在しても意味がないのです。もっと純粋に,素朴に,もっと素直に,神さまと祖先と「直接」繋がって見て下さい。大金を掛ける必要などありませんし,自分自身の真心で祈りを奉げることが何よりも大切なのであります。そして,その祈りは必ず届きます。
神社の神職さんやお寺の住職さんが一目置くのが,古神道であり古神道家です。
スピなんとかや霊能者云々がもっとも恐れるのが,古神道であり古神道家です。
これ実際に,私が目撃して来た体験談です。
それもそのはず。だって,本家本元なのだから。神さまの御神名を書くことにとても躊躇してしまいますが,たとえば,太陽を拝すれば直接,天照太御神と繋がります。大地(地球)を拝せば直接,国常立大神と直接,繋がります。富士山を拝せば直接,木花咲耶姫神と繋がります。風を拝せば風の神に,水を拝せば水の神に。こう言った誰も介さずに自分自身が起こす祈りこそ本当の本物の祈りであり正真正銘の古神道家です。祖霊祭祀「先祖供養」に至ってもまったく同じことです。こんなことを書いてしまうと神社の神職さにやお寺の住職さんに,また余計なことを言うなと怒られてしまうかも知れませんが,本当のことなので仕方がありません。
最近,古神道家を名乗りお金集めを目的としているような団体があります。
古神道家であるかどうかの判断基準は,祈願信仰なのかどうかと選民思想(特別意識)を持っているかです。
一番最厄なのが,スピ何者や霊能者云々と生活や行動を共にすることです。わたしがこれまで目撃して来たこう云った人たちに共通することがあります。それは,どんどん貧乏になって行くと云うことです。ほとんどの人がそうです。はじめは良いことがたくさんあるのです。しかしながら,一定期間を過ぎると生活の環境も一変します。そうすると嫌なことがあるとまたスピ何者や霊能者云々を頼りに行くのです。ほとんどの人たちが・・・。これを何度も何度も繰り返して行きます。他人の話など言うことを聞きません。
ここまで来ると,立派なカモです。ここからが坂を転げ落ちて行くような生活が始まります。
そうなると,今度は,どこそこの神社がパワースポットだから行こうとか。あの山は凄い神さまの鎮まる所だから行こうとか,鎮守の森に侵入したり,磐座「巨大な岩」や御神木「大きな木」に抱きついたりするようになって行きます。その時に,先ず失うのが貴重な時間です。これが第1歩になります。さらに,何度もその様な行為を繰り返して行く内,次に失うのがお金です。これが第2歩目です。ここで気が付けば未だ良いのですが,最後に失うのが精神です。つまり,普段の日常生活が出来なくなって行くわけです。
これを古神道が最も戒める穢れ「気枯れ」というものなのです。
古神道とは日常生活の中に道を求めて行く最強の行法なのです。
信じるのは他人ではなく,自分自身です。自分自身が大自然と祖霊と直接繋がっていれば恐れるものなどありません。
スピ何者や霊能者云々の格も質も瞬時に見抜き,判ります。音「波動」も観れるようになります(これ内緒の話です)。
私がよく宗教家に言われる言葉が「あさひちゃんは最強だね」です。自慢したい訳でも,威張っている訳でも何でもありません。日常の生活の中に自分自身の道を求めて行けば誰でもそうなります。誰であってもです。特別な人などいません。わたしが日々,実践しているのはごく普通のことです。基本は,①毎朝,太陽神に祈りを奉げます。②家の掃除をします。③神棚の神さまの御水や御酒を交換します。④祖霊感謝祭をします。⑤仕事をします。⑥夜,北斗七星に祈りを奉げます。その他,ご飯を食べたり,お風呂(禊ぎ)に入ったりするのは,この間に済ませます。氏神神社へ参拝したりするのは月に3回から4回程度です。毎日は行けません。
ただこれだけです。全部,日常の生活の中にあります。
難しいこともありません。組織に入る必要もありません。
あなたが増々,弥栄でありますように祈っています。
日本も貴方も弥栄!!!
毎日,クリック応援ありがとう御座います。
これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。
太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝