編集ももちろんできるのが作家だ。
分かりやすく言えば、水泳選手が記録挑戦や独自泳法を編み出すのがトップだとすれば、スイミングスクールで初めて浮く練習をするのが底辺の初心者で、初心者はスイミングスクールの先生をお手本に、泳ぎをまずマスターしなくてはならない。
自分のレベルは周囲を見れば自ずと分かるし、大会で何かの代表として活躍できるまで、大変な練習期間が必要となる。
替え玉受験のようなコトをしても、速く泳げる体くらいは作らなくてはすぐにバレる。
テキトーに他のスポーツ選手を連れてなりすましをさせても、速く泳げる体で速く泳ぐ確認をするキチンとした場所なら、やはりバレる。
文章を書くコト自体は、識字率のとても高い国なら、みんな書けるので、作家にもなれる気がするかもしれないが、文章書きのトップというモノは水泳選手と同じで、すぐに独自泳法を編み出したり記録更新できるわけではない。
コピーペースト編集で、書いたつもりを味わうのは先生のモノマネ学生時代であり、キミらは先生の文章を学んでいる身で、先生に文章を教えている側ではない。これを認識できないなら、知恵遅れのクラスに編入することになる。
知恵遅れのクラスに入りたくないから、認識能力に欠けていても正常クラスにいても良いという国ならば、そこはもはや正常者が知恵遅れの餌食となるだけだ。何しろ、知恵遅れは、この国では殺人をしても裁かれないからだ。
正常者殺し放題の、ある集団で、生き残れるのは知恵遅れから離れた正常者のみだろう。