バイリンガル文人だけど翻訳家ではない。
幼い頃の夢は、当時流行っていた皆が憧れる職業で、スチュワーデスやデザイナーだ。(昭和だねぇ!)
だが、小学校のいつ頃か覚えていないけれど、親から、カナは無国籍だから、進学することも結婚することも、そして国外に行くことも出来ない!!と知らされ、夢を見なくなった。
勉強机に貼った私の、行きたい所は?シール(小学校✗年生の付録シール)に、「日本」と書き込んでいた私は、とりあえず日本に行かなくてはいけないんだと、何となく知っていた。
そして、日本に船で渡った私は那覇の某高校のクラス文集で、ようやく、また「将来の夢」を書き込んだわけで、そこは現実的に、自分・東郷嘉奈(元ソカナ)の中国語能力と日本語能力を活かせる職業:「通訳」と書いた。
なので、翻訳能力を磨いて翻訳(時々社内通訳)者として仕事をした経験もあり、高校の頃の夢は叶えている。
で、結婚もせず(似合う相手が見つからず)に長編小説を書き始めた2014年後半から、私は文人として生き始めたのだ。
小説家は別に夢ではなかったが、「私の能力がそこまで達した」から、「自然と成った」のである。
もし、私の歌唱力が他人よりも「ずっと優れていた」なら、出場した独唱コンクール(当時、ほとんど何でも屋な優秀才女兼無国籍児童←ハイ、やりますよ先生!!)で上位入賞し、歌手の道を歩んだかもしれないが、そういうことは起きずに、絵やスピーチ等、賞を貰った方面で生きている。
ソレが自分の人生で、「レールは自分で敷ける」のだ。ピカソやモネやその他有名画家も己のレールを敷き、己の画風を見い出し、突出したのだ。
咲かない花を無理やり咲かせるはずもなく、実もならない。ドラッグや媚薬で気持ち良くなる類いのモノではなく、アルコールも必要無いのだ。