(2023.12.03 Sunday by my jugemブログより転載。)私が書けなくなる日は思考できない時とやる気が無い時。
二十代後半の私は、同居人の別れた男がうざくて、川崎の分譲マンション(彼が購入)の自分の部屋で、鍵をかけてからブログに詩を書いては自分の傷ついた心身を癒やした。
それでも、書けなくなるなんて思わなかった私は、台湾の母元に戻った〜2009年→2013〜の前半で、「詩風をパクられた」のに気づき、やる(書く)気が失せたと以前も書いたが、そういうことだろう。
それが所謂(消された単語だな→)✗✗で、気分が落ち込むと、全く書く気が起きないという現象が起きる。
大人なので仕事が入れば書くだろうが、特に「頼まれずに書くモノ」は、自分の気分が非常に大事だ。
今まで、詩の依頼は無く、ブログで発表している詩は「全て自分の気分で」書いている。
1999年大卒の私は、論文の書き方で、「参考文献が何冊も必要な学生は参考文献を論文の最後に書く」よう教授に教わっているので、参考にした文章があれば書くようにしている。
それがマナーなのだ。
マナーを知らない人は、大学時代もコピー・ペースト編集しながら参考文献(参考ブログ等)を書いて来なかった不肖な学生だろうな?
それとも、大学すら通っていないのか?
大学に通わずに、エセ小説書きになれる時代になったのか?
私の脳細胞破壊をしているアジア血筋らは、私の作品のコピー・ペースト編集で物書きになっているのかもしれないが、強盗殺人(虐殺迫害中)を現在進行形でやっているのだから、見逃してやらせているこの日本は腐っているのだろう。
私の作品をコピー・ペースト編集させ、更に私の脳細胞を破壊する「物書きに為りたい強盗殺人民衆」を、「日本は受け入れている」ようで、華僑娘の私にはそれが理解できない。
本物作者である私を、なぜ日本は排除したがるのか?それも理解てきないが、占いによると、やはり嫉妬殺人に近いらしい。
日本は、モノを書ける女が嫌いなのか、モノを書ける華僑系が嫌いなのか?
両方かもしれないな。
by 東郷嘉奈47歳