翻訳業務は社内か請負(下訳)で無名翻訳者だった昔。
翻訳「家」を名乗れるほど、翻訳者名を書籍や記録媒体(映像や音声作品等)に載せてもらえなかった私は昔、「無名の一般的な翻訳者」だった。
今となっては、本業の小説家(文人・芸術家)を邪魔することなく、且つ、本業の糧にできた仕事であり、それも誇りに思っている。段階を踏んで、徐々に文筆スキルを上げた私は、脳殴打&身体照射や様々な人生&身体阻害と迫害にもめげず、自分の実力で小説家・詩人・画家・写真家に成れたことが、奇跡のようでいて、私のただの「力強い人生軌跡」だ。
ここで言いたいのは、誰かに翻訳してもらったことはない本物翻訳者(日↔中/台湾)で、誰かに書いてもらったことがない本物小説家で、誰かに書いてもらったことのない本物詩人で、誰かに描いてもらったことはない本物画家(イラストレーター)で、誰かに撮ってもらったわけではない本物写真家だ。
芸術家として、どこにも汚点や隠すことが無い私は、燦々としているのも当然である。一生未婚未出産の独身女であるのも芸術作品を生み出す時間や労力が分散されない利点だ。「人生の歩みと芸術家・文人の仕事の歩み」の天秤の秤は、私本人の足下で気持ち良く水平を保っている。